2016年08月30日

新田美波「君の隣に居たいだけ」




第一印象は『何で俺?』だった。







芸能プロダクションの求人に応募して採用された。これはいい。

人手が足りないらしく、経理課からプロデュース課へ異動した。これもまぁ分かる。

プロデューサーとしてアイドルを一人、担当する事になった。これが分からない。





いやだって俺、事務員だぜ?

経理課の事務員とプロデュース課の事務員なら、まぁそう離れてもないだろうさ。

プロデューサー? 何だそれ、旨いのか?





それで対面したアイドルが、とびきりの別嬪さんと来た。

よく分からんが、すげぇ分かる。これは分かるよ。





SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1469787958







 「新田美波、19歳ですっ! よろしくお願いしますね、プロデューサーさん!」





俺の目からしたら既にバリバリのアイドルに見える。

まぁ、右も左も分からん身には大変ありがたい。

この娘の器量なら俺でも何とかやってけるだろう。



 「あぁ、よろしく。趣味は……資格取得。勉強熱心だね」



 「ふふっ、褒められると照れちゃいます」



 「ちなみに最近取った資格って?」



 「はい! この間、日商簿記の2級を取ったばかりなんです!」



 「……」



 「プロデューサーさん?」





――出来れば経理課で仲良くやっていきたかったなぁ。





目の前の笑顔に、喉元まで上って来た台詞を飲み込んだ。



 ― = ― ≡ ― = ―





第二印象は『こんな恋人が居たらなぁ』、だ。





ともかくプロデューサーとやらになった以上、新田さんをプロデュースしなきゃならない。

先輩方に訊ねた結果、まずは色々とやらせて試してみる事に決めた。





ダンス、軽快。

歌、明朗。

演技、華麗。

スタイル、抜群。





 「はっ……はぁっ……プロデューサーさん、次は何をしましょうかっ?」





……俺、要らなくね? 売れるよこの娘。見えるよもう。





 「うん、お疲れ様。休憩がてらお昼でもどうかな?」





開拓したての洋食屋にて、昼食。



 「美味しいですね、このソテー♪」



 「だろう?」





笑顔、可憐。





寄り道したゲーセンにて、クイズゲーム。



 「えーと……何だっけ、ベストヒット……?」



 「……あ! ベストキッドじゃありませんでした?」





教養、豊富。





三日間のオリエンテーションを終えて、帰り道。



 「お疲れ様、新田さん。ゆっくり休んでね」



 「ありがとうございました! これからよろしくお願いしますねっ♪」





性格、天使。







総評――付き合ってください。





 ― = ― ≡ ― = ―



この一週間で分かった。

新田美波は間違い無くトップアイドルの卵だ。



 「ふむ」



今後のプランもおおよそ決まった。



新田さんの武器は総合力の高さだ。

そう尖った点がある訳ではないが、何をやらせても器用にこなす。

19歳という若さにしてこの完成度。

他のアイドル達と比べても優れた素質を持っているのは間違い無い。



 「……」



何せ、顔を合わせてまだ一週間の俺ですら、だ。

彼女には何としてでも、トップにまで昇り詰めてほしいと考えてしまっている。



頭の中で算盤を弾いた。

彼女の実力を最大限まで引き出すプロデュース法。つまり――





 「おはようございますっ、プロデューサーさん♪」





 「おはよう、新田さん」



 「美波でいいですよ?」



 「いやー、ちょっと恥ずかしいっつか……」



 「はい、リピートアフターミー。み・な・み」



 「……ミ・ナ・ミ?」



 「何でカタコトなんですか、ふふっ」



――まぁ、その辺はずっと先の話になる。

まずはその前にこなさなきゃならないステップが山積みだ。



テーブルを挟み、さっそく新田さんとの打ち合わせを始める。



 「ダンスで行こうと思うんだ」



 「ダンス……」



 「ああ。正確にはダンス寄りの正統派アイドル路線って所かな」



 「理由を訊いてもいいですか?」



 「うん。まず、新田さんはとてもスタイルが良い」



 「えっ」



努めて下品にならないよう視線を向ける。



 「長い手脚を活かしたパフォーマンスはきっと人目を惹くと思うんだ」



 「なるほど……」



 「まぁあくまで最初は、だけどね。将来的には色々なお仕事をしてもらいたい」



 「はい。美波、頑張りますっ!」



 「良い返事だ」



表立っては言わなかったが、正統派を目指す理由は他にもある。

いわゆる正統派以外の売り出し方がさっぱり分からんからだ。

例え新田さんが蘭子ちゃん路線で行きたいと言い出そうが、今の俺にはどうしようもない。





いや、メチャクチャ面白そうだけどな。中二病の新田さん。





 「しばらくはレッスンばかりになって辛いと思う。大丈夫?」



 「はい。スポーツも勉強も、基礎の積み重ねが大事ですもんね」



 「その通り。そういえばラクロスやってるんだっけ」



 「面白いですよ。プロデューサーさんも一緒にやってみます?」



 「ボール役なら任せてくれ」



新田さんにシバかれるならご褒美だろう。



 「それじゃ、早速レッスンといこうか。道は覚えた?」



 「いえ、まだ……」



 「しばらくは送っていくよ。途中でオススメの店も教えとこう」



 「頼りにしてます♪」





よーし、お兄さん頑張っちゃうぞ。



 ― = ― ≡ ― = ―



零した溜息の大きさに自分で驚いた。

顔を撫で付けて、やたらに甘い缶コーヒーを啜る。何だコレ甘っ。



 「……はぁー……」





連戦連敗。

打率で言えば一割を余裕で切ってる。



アホみたいな数のアイドルを抱えるこのプロダクション。

いわゆるルート営業先も相応の件数がある。

だが、そこはそれ。ご多分に漏れず壮絶なパイの奪い合いだ。





そもそも俺は事務方だっつーの。

営業の経験なんざ今回が初めてだ。

いや、そもそもプロデューサーって営業も掛けたりするもんなのか……?



考えれば考える程このプロダクションはおかしな点だらけだ。

社長は何故かマゲなんて結ってるし。

妙な瓶入りのやけに効くドリンク社販してるし。

気付いたら部屋が増えてるし――





 「――いかんいかん」



脇道に逸れかけた思考を引き戻す。

今はこんな事を考えてる場合じゃない。

もう一つ溜息をついて、俺は重たい腰を上げた。





 「――お疲れ様です、プロデューサーさん!」





 「新田さんもお疲れ様。あ、続けて続けて」



 「はい!」



今日も今日とて新田さんが汗を流していた。

促されて再開したダンスのレッスンを眺めて、改めてプランを練り直す。

新田さんの動きは三ヶ月前に始めたとは思えないくらいキレが増していた。



……この娘、積ませる訓練次第なら特殊部隊にでも入れるんじゃないか?



 「よし、休憩だ。20分後に今のターンの復習から入る」



 「分かりましたっ」



トレーナーさんへ頭を下げ、ポニーに纏めた髪を後ろから肩口へ流す。

うなじの汗をタオルで拭い、熱くなった息を零した。

スポーツドリンクの蓋を捩り、嬉しそうに口へと運ぶ。





 「んっ……んくっ…………っはぁ、美味し……♪」



 「……」





背筋を正して反応を抑えた。

わざとか? わざとなのか?





 「……あー、新田さん」



 「はい?」



居心地の悪さに、つい口を開く。



 「ごめんな、中々お仕事取って来られなくて」



 「いえ、仕方ありませんよ。まだまだ駆け出しの身ですし」



 「そうは言ってもな……」



そろそろ夏になろうかという頃になっても、こなした仕事は片手に収まる程度。

これじゃ本気で俺の居る意味が無い。

夏はアイドルの稼ぎ時だってのに。



それもこれも俺の営業トークもどきのせいだろう。

数字や実績を示そうにも、その根拠がまだ揃っていないと来た。

新田さんの良さをイマイチ伝え切れていない感触だけは掴んでいる。

興味を抱かれても、そこからが膨らませられなくて。





 「……いや、待てよ?」





夏?





 「……新田さん。そろそろ期末考査の時期だろうけど、勉強は進んでる?」



 「はい。今期は必修科目が多くて気が抜けません」



 「偉いね。それで、夏休みの予定とかってもう決まってたり?」



 「え?」



きょとんとした表情になる新田さん。

かと思えば、慌てたように首を振った。



 「い、いえっ! 特に決まってません、けど……」



 「そっか」



 「……あの、もしかして……どこかに連れて行ってくれたり?」



 「お。鋭いね」



 「じゃ、じゃあ」



何か期待するような眼差しに、大きく頷いた。





 「オトナの社会科見学、興味ある?」



 ― = ― ≡ ― = ―





打率四割を数える伝説のバッター、新田美波。

もう自分でも何言ってんのかよく分からんが、とにかくそんな感じだった。





 『そう言われてもねぇ……ヤマメのつかみ取りなんてのはある……え? いいの?』



 『うーん、運動会の枠なら空きがあったけど……バラエティいける?』



 『モーターショーのコンパニオンなんてどう!? 捩じ込んだらやってくれるかい!?』





もう説明するより見てもらった方が早いんじゃないか。

そんな諦めにも似た考えは見事に当たってしまった。





大学が夏休みへ入ったのを利用し、俺は新田さんを各所へ連れ回した。

局の歩き方や挨拶の仕方。初対面は必ず笑顔で。誠実感を与える姿勢。

そんな細々としたテクを教えつつ、試しに営業の席にも同行してもらった。



効果は抜群。

今までなら出し渋られたような仕事も新田さんの笑顔が引き出してくれる始末。

まぁ、新田さん美人だしな。おっさん連中には効くだろうとも。

営業の世界には明るくないが、四割ってのはけっこう破壊的な数字なんじゃないか?





 「はい、抹茶ミックス」



 「ワガママ言っちゃってすみません」



 「連れ回してるのは俺の方さ。ほんのお礼って事で」





ソフトクリームを手渡し、ウッドデッキに並ぶ。

初夏のお台場は照り返しと人混みとで熱気に満ちていた。

海風が無ければあっという間にグリルの完成だ。



 「新田さん。アイスが鼻先に」



 「あ……えへへ、すみません♪」



これでこの後の仕事さえ無けりゃまるきりデートなのにな。

だが現実は容赦無く俺のケツを蹴り上げる。

お前如きにゃこの娘とデートなんぞ十年早い。うるせぇ分かってら。



 「お仕事、段々と増えて来ましたね」



 「あんまりアイドルっぽいの取って来られなくて悪いね」



 「色んなコトを経験出来て愉しいですよ?」



底無しの優しさが滲む慰めが、今は耳に痛かった。

こうなると当初のプランも少々変更せざるを得ない。



 「新田さん」



 「どうしました?」



 「ダンスはもう心配無い。第二段階へ進もうか」



 「……!」



本来ならライブ用のレッスンを始める時期だったが、軌道修正。

なかなか計算通りに運ばないもんだな、アイドルってのは。





 「露出をどんどん増やしていこうと思うんだ」





 「……え、あ、はいっ!?」



新田さんが素っ頓狂な声を上げた。

まぁ、無理も無いか。唐突に過ぎる。



 「まず、みんなに新田美波がどんなアイドルなのかを知ってもらう必要がある」



 「え、ええ……それは……分かるんですけど」



 「まだ新田さんは見られた……もっと言えば人目に晒された経験が少ない」



 「……まぁ、そうです、ね……?」





 「あぁ。だから今は、ありのままの新田美波を見せてやりたいんだ」



 「あ、ありのままっ!? いえ、そこまではちょっと……!」





腰が引けるのは分かる。人前に立つってのは勇気の要る行動だ。

何かの賞を取った時に壇上で表彰された事があったが、あんなのでさえ冷や汗が出る。

ましてや地上波なんかに映るなら、だ。



 「その……具体的にはどんな事を……?」



 「カメラの前にはバンバン立ってもらうし、写真もバシャバシャ撮ってもらう」



 「カメラ……写真……」



 「インタビューなんかに答える事も増えるだろうし」



 「…………インタビュー」



何だろう。新田さんの顔が赤い。

幾ら気恥ずかしくても、アイドルとなる以上はこなしてもらわなきゃならない。

外せない重要なステップだ。



 「……あ、あのっ」



 「うん」



 「アイドルに……トップを目指すのには、必要な事……なんですよね?」



 「ああ。その通りだ」



 「……」



 「新田さん?」



 「……プロデューサーさん」



 「ああ」





 「――美波……が、頑張ります……っ!」



 「その意気だ!」





すっかりふやけたコーンを口へ放り込んで、新田さんが拳を握った。



 ― = ― ≡ ― = ―





ハロウィンの夜に首が飛びそうなイタズラをされかけたり。

イメージビデオのスタッフにスープレックス決めて懲戒処分喰らったり。

何でも言う事聞く権を賭けたテニスで壮絶な打ち合いにもつれ込んだり。

低反発枕のCM契約結ぼうとしたら何故かえらい騒ぎに発展したり――





新田さんが所属してから季節も二巡りした事になる。

思い返してみればまぁ濃密な日々だったこと。

お陰様で新田さんも、アイドルとして堂々と活躍出来るまで立派に成長した。



 「――う”ぅーい”……」



着替えもせずにベッドへ倒れ込む。

二週間ぶりにやって来た連休様だ。誰にも文句は言わせねぇ。

どうも他のプロデューサー達もこんな具合らしい。じきに誰か死ぬぞ。



 「あ”ー……メシ……冷凍のつけ麺まだあったっけ……」



ぼやけた思考を巡らせたまま、積み上げた雑誌の山に手を伸ばす。

あ、そういやゲッサンまだ買ってねぇや。

適当に抜き出したのは今週号のマガジンだった。



 「……」



表紙を新田さんが飾っている。念のため二冊買っておいた号だ。

表紙をめくり、4ページに渡って掲載された巻頭グラビアへ目を通す。





 「エロい」





けしからん。





いや、彼女をプロデュースしてる身で言うのも何だが、エロい。

一応言っておくと、アオリは『渚の天使』という使い古された表現だ。

確かに肌の面積もそう多くない。清楚だ。たおやかだ。天使だ。



だがエロい。童貞の身には少々刺激が強い。



 「何でこうなっちゃったかなぁ……」



当初の狙い通りライブ出演を果たし始めた頃、こういう仕事も回って来るようになった。

マイナー誌のグラビア、ごく健全なイメージビデオ、女性向けの水着モデル。

正統派アイドルを目指すという目標上、それらの優先度はそう高くない。

だが、新田さんにやってみるか訊ねてみると。





 『――経験は大事、ですから……Pさんが、望むのなら……』





といった具合に、ほとんど断る事をしない。

何せ新田さんだ。こなしてみれば当然ながら好評を博す。

だから俺もこれ幸いとばかりにメディアへの露出を増やし続けた。

そうしてますますそういう仕事が舞い込んで来て。



 「エロい」



女子大生らしからぬ色気が板についてしまったという訳だ。

恐るべしは新田美波なり。

ああ、俺にもこんな恋人が居れば。



 「……ん?」







――新田さんって、彼氏居るのか?







 「……」



一旦落ち着こう。

クールになろう。



まず、彼氏が居るとは今まで聞いていない。オーケー。

彼氏が居るようなそぶりを見せた事も特に無い。オーケー。

アイドルだから恋愛はガマンしてね、とは伝えてない。オー



 「……」



……いやいや、新田さんなら流石にそれくらい分かってるだろ。

何より今やなかなか売れっ子のアイドルだ。そんな恋愛なんてしてるヒマ



 「……」



いや、新田さんだぞ?

アイドルと女子大生の二足のわらじ履きこなしてる才女だぞ?

そこに恋愛の時間ねじ込むくらい朝飯前なんじゃないか?



第一だ、考えてもみろ。

眉目秀麗、文武両道、才色兼備。

スタイル抜群の美人アイドル。

周りがそんな娘を放っておくか?



 「……」



最初に確認しておくべきだった。

いやまぁ、居るなら居るでいい。そういう場合のプランだって用意する。

ゴシップをこちらから利用して売り出す方法だって全く無い訳じゃない。



ただ、出来れば居ないでくれ。頼む。



 「……寝よ」



頭から布団を被って目を瞑る。

せめて良い夢が見られますように。

 ― = ― ≡ ― = ―





 「――はい……両親の世代から学び取った……一種の意趣返しとも読み取れます」



 「解放区、だったっけ?」



 「いわゆる……闘争の時代の産物ですね」



 「昔は大学も荒れてたって聞くものね」



 「新田さんって彼氏居るの?」





挨拶も省略して本題を打ち込む。

この二日間どうやって切り出すか悩みに悩んだ挙句の正面突破だ。

鷺沢さんとの歓談をお楽しみの所申し訳無いが、何しろ喫緊の事態なんで。





 「……えっ? あの……いま何て」



 「新田さん、いま恋人は居るのかって」





鳩が火縄銃喰らったような顔が、そのまま赤みを帯びていく。





 「……は、はぃっ!? 何ですか、いきなりっ……」



 「頼む教えてほしいんだ!」



 「な……Pさんには関係無いでしょうっ!?」



 「いや関係あるし重要なんだよ!」





文庫本を抱えて目を丸くする鷺沢さんを横目に、ああだこうだと論を重ねる。

弁の立つ新田さんだが、俺の熱意に負けたのか、やがて観念したように俯いた。



 「……居ません、けど」



 「うん、そっか……ならいいんだ」



 「……も、もう……何なんですか、Pさん」



 「それで、いま好きな人とかは居る?」





突如として世界が暗転し、後頭部に衝撃が走る。

混乱した頭で顔を確かめようとして、ようやくクッションだった事に気付いた。

顔面に喰らった勢いのまま椅子ごとひっくり返ったらしい。



 「…………っ……!」



逆さまになった視界の中で、赤いままの新田さんは涙まで浮かべていた。

鞄を引っ掴むと、踵を返して足早に事務所を出て行く。

この後レッスンあるんだけど大丈夫かな。



 「……大丈夫、ですか……プロデューサーさん……?」



 「……あ、うん、ありがとう」



鷺沢さんが手を差し伸べてくれる。

流石だ。哀れんだ目でこちらを遠巻きに見つめるあの薄情者たちとは一味違う。



 「やっぱ居るのか、意中のイケメン……しかしどうしたんだろ急に」



 「……ところで、プロデューサーさん」



 「あ、うん。何かな」



 「この後……急ぎのお仕事などは……おありでしょうか」



急ぎの仕事?

この休みで溜まったメールの返信くらいか。

まぁ午前中くらいに終われば問題無い。



 「特に無いけど」



 「では、今からお説教をしますので……そこに座ってください」



 「うん……ん? お説教?」



 「はい……座ってください」



 「え、ちょっと待って何の」



 「その話から始めます…………座って、ください」



 「はい」





有無を言わさぬ声色だった。

物静かな美人が匂わせる叱責の気配は、死ぬほど恐ろしかった。



 ― = ― ≡ ― = ―





曰く、恋愛とは神聖かつ等しく祝福さるべきものである。

曰く、女子大生というのは微妙かつ繊細な心情の宿主である。

曰く、身近な立場なればこそ行動には慎重を期すべきである。

曰く、ばか。





鷺沢さんの説教は緻密かつ圧倒的だった。

反論の余地などどこにも残されていなかった。

めちゃくちゃ恐かった。





 「……怒ってる?」



 「当たり前ですっ」





レッスンを終えて尚、新田さんはご立腹。

口を尖らせ、ご機嫌斜め感を全力で漂わせている。



 「俺が悪かったです……配慮が足りませんでした……許してください……」



 「……足りませんね、誠意が」



 「御意」



だからこそ、こうしてアクセサリーショップに来た訳だ。

鷺沢女史曰く、こういった場合は贈り物で誠意を示すと吉でしょう――



 「へぇ、色々あるんだな……」



 「……」



 「……あの、新田さん。そろそろご機嫌を直しては頂けませんでしょうか……」



 「……じゃあ、条件があります」



 「条件?」



 「美波にぴったりのアクセサリー、見つけてください」



 「む」



新田美波からの挑戦状だ。

成功報酬はご機嫌の新田さん。ペナルティはジト目の新田さんか。





あれ。約束されてるぞ、勝利。





 「任せてくれ」



 「頑張ってくださいね♪」



 「ん? 機嫌直った?」



 「あ、いえ、直ってません。美波、ご立腹です」



 「気のせいか……」



試行錯誤の連続だった。





ブレスレットを巻いてみたり。

ヘアバンドを載せてあげたり。

ネックレスを提げてあげたり。

リングを填めてあげたり――恐ろしい事に全部似合うんだこれが。





 「ふふっ♪ 次はどれにしましょうか?」



 「機嫌直ってない?」



 「直ってません♪」



 「気のせいか……」



新田美波、予想以上の強敵だ。

だが、俺も紆余曲折あったとは言え今や一端のプロデューサ−。

アイドルにやられっ放しじゃ格好が付かない。



 「降参します?」



 「舐めてもらっちゃ困る、これまでのは前座さ。俺の答えは……これだ!」



そう啖呵を切って、新田さんに――イヤリングを差し出した。



 「イヤリング、ですか?」



 「ああ。ただのイヤリングじゃないぞ。よく見てくれ」



 「真珠に……これ、ディフォルメされてるけど、船……?」



 「新田さんのお父様は海洋学者だったよね」



何か格好良いよな。この娘にしてこの父ありって感じだ。



 「真珠は美の象徴で、船は波の間を進むから……」



 「合わせて美波……ですか?」



 「うん。まぁ……そんな感じ。うん」



あれ、説明してたら恥ずかしくなってきたぞ。

これやっちまったかな。

いやこういうのは勢いが大事だって先輩も言ってたし往くしかねぇ。



 「うんそんな感じで買ってくるから外で待っててすみませんこれください」





意外に高かった。



 ― = ― ≡ ― = ―



 「よく考えたら試してもなかったなコレ……」



 「すごい勢いでレジに飛んで行きましたもんね」





何とか新田さんもご機嫌を直してくださったらしい。

ファミレスで腰を落ち着けるやいなや嬉しそうにパフェをお注文なさった。



 「機嫌を直してくれて何よりだよ」



 「あら、残念。元通りになるまでもう一手間加えないと」



 「……ああもう、パフェを喰らわば器までだ! お次は?」



 「これもPさんの手で着けてくださいな」





目の前でイヤリングが揺れる。

新田さんが微笑みを浮かべながら横髪をかき上げた。



 「失礼します、と」



新田さんが耳に掛かる髪を後ろへ流す。

めちゃくちゃ良い匂いがした。隙は無いのかこの娘。



 「えーと」



耳たぶに触れる。







 「っあ、んっ……!」







あ、こらっ。抑えなさい。レディの前だぞ。

帰ったらすぐに構ってやるから。マジで。ホント頼む。

何がティンと来ただやかましいわ。





 「……」



イヤリングを宛がって、裏の留め具を回す。



 「……ん、これ……っ」



時折、新田さんの肩がぴくりと震える。

無心。無心が大事だ。





 「――ふぅ……何だか、ちょっぴり恥ずかしいですね……えへへ」





僅かに上気したようにも見える頬に微笑みが浮かぶ。

何故だろう。最近の新田さんを真っ直ぐに見られない。



 「Pさん……」



 「何でございましょう」







 「……コッチにも……早く、お願いします……?」



 「反対の耳ね。うん。耳」







無心。無心が大事だ。









 「――ふぅ……何だか、ちょっぴり恥ずかしいですね……えへへ」





僅かに上気したようにも見える頬に微笑みが浮かぶ。

何故だろう。最近の新田さんを真っ直ぐに見られない。



 「Pさん……」



 「何でございましょう」







 「……コッチにも……早く、お願いします……♪」



 「反対の耳ね。うん。耳」







無心。無心が大事だ。





嬉しそうに手鏡で耳元を確かめる頃には、店中の視線が背中に突き刺さっていた。

こんな所に居られるか。俺達は事務所へ帰らせてもらう。





 「新田さん」



 「お待たせしました……ストロベリーパフェでございます」





妙にガタイの良い男性店員さんが注文の品を運んで来た。

太い腕には血管が浮き出ていて、お盆が軋んで音を立てる。



 「何ですか、Pさん?」



 「……いや、うん。召し上がれ」



 「頂きます♪」



背中どころか全方向から射込まれる視線に無視を決め込んで。

俺は新田さんの笑顔だけを視界に収めていた。

 ― = ― ≡ ― = ―





 「――ふぅ……」





えらい一日だった。

夕飯や風呂やアレやソレやらを済ませ、気持ちを落ち着かせる。



そろそろ本格的に考え始めるべき時期だろう。



 「……」



必要なステップは危なげ無く跳び越えて来た。

ハイレベルなダンスもこなせるビジュアル系アイドル。

オマケに色々と余分な属性まで付いてきたが、まぁ計算の範囲内だ。



スケジュール管理の練習も積ませている。

そういえば一時期は営業の席にだって立ち会ってもらっていた。

業界内での評判も上々。良過ぎて悪い噂も立てられ始めている。

クソどもが。鼻っ柱ヘシ折ってやる。



 「……っと」



まぁ、その辺を新田さんが知る必要は無い。

彼女はあのまま前だけを向いていればいい。

そんなどーでもいい勘繰りなんぞ蹴散らせるだけの力だって着いてる。





 「頃合いだな」





最終段階、始動だ。



 ― = ― ≡ ― = ―





 「…………え?」





これは予想通り。

自分の力ってのは自分じゃなかなか正当に評価出来ないもんだ。







 「セルフ、プロデュース……?」



 「ああ」







新田美波の武器は総合力の高さだ。

それを最大限に活用する方法こそ――セルフプロデュース。







 「全部説明するよ。『新田美波』をアイドル業界の一大ブランドに仕立てようと思うんだ」



CGプロには数々のアイドルが所属しているが、ここまで器用な娘は居ない。

ならばそれを強力な個性としてパッケージングし、マルチタレントに仕立て上げる。



 「界隈でもセルフプロデュースをこなすアイドルはほとんど居ないからね。これは大きい」



 「……」



 「ダンス、作詞、モデル、何でもござれ。全ての女性の憧れ、新田美波」



 「……」



 「もちろん今すぐって訳じゃない。準備も根回しも必要だし、最低でも一年半は見ないと」



新田さんはぽかんと口を開けたまま微動だにしない。

ムリも無いか。事務所でも前例の無い売り出し方だし。

だからこそ誰も居ない会議室でこっそり話し合ってる訳で。



 「大学を出る頃がちょうど良いかな? それまでに必要な」



 「…………Pさん」



 「ん」



ようやく新田さんが呟いた。



 「それは……それは、Pさんの手を……離れてという、事、ですか……?」



 「そうなるね。もちろん最初の頃はサポートを惜しまないけど」



 「……」



 「不安なのは痛いほど分かるよ。だからそ」





喉が震えて口が止まる。

突然の光景に脳が反応し切れていない。









 「……え、ぅ……ひくっ……うえぇ……」







新田さんが泣いていた。







 「……え、ちょ、新田さんっ!?」



 「わた、わたしっ……えくっ……ジャマ、でしたか……?」



 「いやいやいや違うから! 新田さんをトップアイドルにする為の戦略だから!」



 「Pさん……ぐすっ……私……Pさんがいつも、そばに居てくれた、から……」



 「っほぅぁ」





出した事の無い声が出た。いやそれはどうでもいい。

新田さんに抱き着かれてるのからすれば死ぬ程どうでもいい。

めっちゃすげぇ。何だコレ死ぬ。





 「ひくっ……いかないで……くださいっ……」





柔らかい良い匂いあったかいふわふわする死ぬ。

五感の全てが新田さんに死ぬ。

ヤバい死ぬ。





 「にっ、はな、はなれて」



 「…………イヤ、です」



 「はなれてにったさんはなれて」



 「美波って……呼んでください」



 「いいからはやく」



 「呼んでくれなきゃ、イヤ……」





目の前で揺れる髪と、背中に回された腕。

顔を押し付けられた肩から直接声が染みてくるみたいだった。





 「み、みなみ……」



 「……もっと、気持ちを籠めてください」



 「…………美波」



 「……」



 「ちょ、美波、ちゃんと呼んだんだからはなっへぇあ」





新田さ……美波がますます強く抱き締めてくる。

胸に表現不能の柔らかさが押し付けられて、俺のそれがそれはもうえらい事になってる。

うん、まぁ分かる。無理だよなこりゃ。すげぇ分かるよ。





 「あ、あ、え、みな」



 「……約束、してくれなきゃ……絶対に離しません、から」





頭が回らない。

何が起きてるのか理解出来ない。

耳から入って来る音が脳まで届いて来ない。





 「美波、あの、分かった、分かったからはなして」



 「……ず、ずっと……美波のそばに……居てくださいっ……!」



 「分かった、わかったからはやく」





マジで行為する5秒前。

いかん、頭が良い感じに悪くなってる。

宙を泳いでる両腕が今にも美波の背中へ吸い付きそうだ。



 「……本当、ですか……?」



 「ホント、だから頼むみなみマジで」



 「や、約束、ですからね……?」



 「約束、約束だから、も、無理」



 「…………はいっ♪」



ようやく俺と美波の間に隙間が出来る。





 「……あ、えっ? Pさんっ!?」







――泣いてる顔も綺麗だなぁ。







寂しくなった胸を撫で下ろそうとして、俺は床にブッ倒れた。



 ― = ― ≡ ― = ―





 「――美波さん。そのイヤリングは……」



 「あ、コレ? Pさんに選んでもらったんだ♪」





自慢じゃないが、昔っから計算は得意な方だった。





 「――それで、ずっと一緒だ、って約束してくれて……」



 「……なるほど。勇気を出されたのですね、美波さん」





だが、プロデュースってのは複雑怪奇なもんで。

誤算、誤解、また誤算。

未だご破算になってないだけマシなのかも分からない。





 「新田さん」



 「み・な・み。リピートアフターミー?」



 「…………美波」



 「何ですか、Pさん♪」





二年掛かりのプランは敢えなく頓挫。

けれども担当アイドルを失う事は無かった。

それで手打ちにしよう。儲けものだと言い聞かせよう。





 「ちょっと言っておきたい事があってさ」



 「はい」



 「気になる人……居るんだろう?」



 「…………はい」



いつか俺の手を離れて、美波も飛び立って行くんだろう。

それはいい。それは分かってる。





だからそれまでの間。

俺も少しは役得に預かろうとしたって、彼女に損は無いだろ?





 「本当に悪いとは思うけど……しばらくはガマンしてほしいんだ」



 「……」



 「その、こっちでの対応も、色々考えないといけなくなるからさ」



 「……Pさんは、それでいいんですか?」



 「……え? ああ、事務所的にも俺的にもそっちの方が助かると言うか」



 「そういう事じゃなくて……もういいです」



何よりも分からないのが女性心理だ。

こっちとしては最善手を指したつもりでも、予期しない一手が跳ね返って来る。

全く。アイドル業界も女心も、複雑怪奇極まり無い。



 「じゃ、ちょい早いけど現場まで送ってくよ」



 「Pさん」



 「ん?」



 「たまには歩いて行きませんか?」



 「え? まぁ……いいけど。時間もあるし」



 「じゃあ行ってくるね、文香さん♪」



 「はい……行ってらっしゃい、美波さん」



鷺沢さんが俺達を見て微笑んだ。珍しい。

表情に乏しい娘だと思っていたが、こんな笑顔も出来るんだな。

いや、やっぱ美人さんの笑顔ってのは良いよなぁ。うん。





そう頷きながら納得していると、隣から腕と意識を引っ張られる。





 「……もうっ。行きますよ、Pさんっ」



 「わ、分かったから。美波、そんなに引っ張らなくても……」



 「……ふふ……行ってらっしゃい、プロデューサーさん」



ご機嫌かと思えば、次の瞬間には真っ逆さま。

美波を理解するにはまだまだ掛かりそうだ。

だがまぁ、それでも構わないさ。







今はただ、彼女のそばに居られるだけで。







照り返しが容赦無く肌を焼く。

今年の東京も暑くなりそうだ。



 「おー、良い天気だ。すぐに夏が来るな」



 「……」



 「どうかした、美波?」



 「……せっかくこうしてるのに、それだけですか、Pさん?」



 「へ?」







 「……何でもありませんよー、だ!」







引っ張っていた腕を放し、美波が眉を曲げてそっぽを向いた。

流れる髪から覗く銀のイヤリングが、夏の日差しを跳ね返して揺れる。

隣で口を尖らせる彼女へ、俺は抑えきれずに笑いを零した。







なかなか計算通りにいかないもんだな。

人生も、プロデューサーも、アイドルも。







おしまい。





20:30│新田美波 
相互RSS
Twitter
更新情報をつぶやきます。
記事検索
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計: