2016年09月14日

裕子「特別なことができるなら」

【モバマス・デレステSS】です

※注意事項

・ユッコのPが女性、地の文あり

・上記のうち一つでもダメな人はブラウザバックを





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(さいきっく? なにを言っているんだ裕子)



(夢でも見たのよきっと)



裕子(違う……私は……!)



流れていく景色。浮かんでは消えていく人々。見知った顔も、見慣れぬ顔もそこにはあって。



(あの子頭おかしいんじゃあないか?)



(親はどこにいるのかしら……)



裕子(信じて、私は本当に……!)



叫びは言葉にならず、自分を見ていた人々は次々に顔を背けて去っていく。



裕子(待って、お願い! 私は、私は……!)



手を伸ばしても距離は開くばかりで、1人その場に残されていく。誰もこちらを見もしない。

自分は狂ってしまったのか、それとも幻を見ているだけなのか。



裕子(私は……!)



(大丈夫)



その時、後ろから声が聞こえた。それはとても安心できる声で、その人物が誰かは容易に想像が出来る。



裕子(……ッ!)



(私は、ユッコを信じてる)



温かみのある言葉と気配。それを感じた少女は嬉しそうに後ろを振り向いて――。





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裕子「――ハッ!?」



不思議な夢を見ていた堀裕子は、そこで目を覚まし、状況を飲み込めないのか目をパチクリとさせながら天井を見つめた。



裕子「ここは……どこ?」



見たこともない白い天井から視線を移すと、白いカーテン、白い壁、白いベッドが立て続けに視界に入ってくる。

少なくとも自分の部屋でないことだけは理解しながら身体を起き上がらせた裕子は、自分の服装も部屋と同じように

真っ白な物に着替えさせられていることに気付く。



裕子「……なんで、私……っ!?」



ズキリと鈍い痛みが頭を襲い、思わず額に手を当てた裕子は、ここで少しずつここまでの経緯を思い出し始めていく。



裕子(そうだ私……プロデューサーと一緒にご飯を食べに行こうとしてて……)



渋るプロデューサーを説得し、なんとか外に夕飯を食べに出た裕子。そして良い店がないかと2人で歩き回っていた時、

ビルの工事現場のすぐ側を通った所までが頭に浮かぶ。



裕子(そう、そこで……)



上を見上げると、白い天井ではなくその時の光景が裕子の視界に映る。空からビルの建築に使われるはずだった

鉄骨が落下してきている。そして前を見ると、そのことに気づいてないプロデューサーが歩いていて。



裕子(だから……ああ!!)



そこで前に飛び出した瞬間からの記憶がまったくない裕子は、突然恐怖が蘇ってきたのか

ガチガチと口を震わせながらうずくまる。



裕子(ま、まさかあんな……私……もしかして……死んじゃったの……!?)



あまりにも現実味のない真っ白な部屋の中で1人にされていることがさらに恐怖を煽ったのか、

うっすらと涙すら浮かべ始める裕子であったが。



「……ユッ……コ……?」





裕子「ふぇ……?」



聞き慣れた声に思わず顔を上げた裕子は、目の前でドアを開けて固まっているスーツを着た

妙齢の女性の姿を確認すると、すぐさま破顔し飛び上がった。



裕子「プロデューサー……? プロデューサー……!? プロデューサー!!」



あまりの嬉しさにそのまま飛びつこうとした裕子を慌ててベッドの上に押しとどめながら、裕子のプロデューサーは

驚いたような、だがとても安心したような表情を浮かべて裕子の身体を調べていく。



裕子P「ユッコ、いつ起きたの? 身体に痛いところは? 頭痛は? 吐き気は? なにか」



裕子「ま、待って下さいプロデューサー! そんなにいっぺんに言われても困りますよ……!」



裕子P「あ、ご、ごめんなさい……」



裕子「ふふっ……」



普段冷静沈着なプロデューサーが慌てている姿が妙に可愛らしくて、思わず笑みをこぼしながらも裕子はまず

一番聞きたかったことを彼女にぶつけていく。



裕子「そ、それでプロデューサー……あの、大丈夫ですか!?」



裕子P「大丈夫って……なにが?」



裕子「ほ、ほら、鉄骨! 鉄骨がヒューンってプロデューサーの上に!! ぶつかったりしてないですか!?」



裕子P「ああ、それならユッコが突き飛ばしてくれたおかげでぶつからずに済んだわ」



裕子「良かった〜……」



自分の行動でプロデューサーが助けられたのだと分かった裕子は安堵したのか、へなへなとベッドに崩れ落ちていく。



裕子P(大丈夫って言わなければいけないのは私だと思うのだけど……ユッコったら……)



裕子「っは……!? そ、そうです、あとここはどこなんでしょう!?」





裕子P「ここはちひろさんが懇意にしている病院よ。ユッコはアイドルだから下手に普通の病院に入院させたら騒ぎになるからって」



裕子「入院!? じゃあやっぱり私、プロデューサーを助けた後鉄骨に……!」



薄々予想ができていた事態に深刻そうな顔をする裕子であったが、対するプロデューサーは少しだけ呆れたような

口調で事実を述べた。



裕子P「いいえ、突き飛ばした勢いが強かったから、裕子も鉄骨に当たることはなかったの」



裕子「あれ? じゃあどうして……」



裕子P「でもそのあと鉄骨と一緒に落ちてきてたワイヤーに脚を引っ掛けて、転んで地面に頭を打ったのよ」



裕子「えー……」



あまりにも情けなさすぎる話にあんぐりと口を開ける裕子であったが、そういえば鉄骨の下敷きになったのならこんな

綺麗な身体のままではないはずだよなぁと納得する。



裕子「なんていうかそれは……お恥ずかしいことを……」



裕子P「……でも、頭を打って意識を失ってから2日経っても目を覚まさないものだから、本当に心配したのよ?」



裕子「え!? 私そんなに眠ってたんですか!?」



裕子P「ええ。検査したお医者様から気になるデータがあるとも言われたから、このまま目を開けてくれないんじゃないかって……」



裕子「プロデューサー……」



ここで裕子は、自分のプロデューサーのスーツがよれよれであり、さらに髪はぼさぼさで寝不足気味な顔であることにも

気付く。先程から声が微妙に震えていることもあって、きっと自分のことをずっと心配してくれていたのだろうと

理解した裕子は、彼女を元気づけるためにいつものことをすることに決めた。



裕子「心配かけてごめんなさいプロデューサー! でももう大丈夫! ほら、あなたのエスパーユッコはこんなに元気です!!」



裕子P「うん……」



裕子「そしてそれをもっと分かってもらうために、ここで一つスプーン曲げをしてみようと思うのですが!」





裕子P「あ、それはだめ」



裕子「あれ?」



いつもなら喜んで見てくれるはずのプロデューサーがまさかだめと言ってくると思わなかった裕子は、突き出した手を

所在なさ気にぶらつかせながら首を傾げる。



裕子「あの……どうしてですか?」



裕子P「その、ちひろさんとお医者様からユッコが目覚めてもエスパー的なことはさせるなって言われてて……」



裕子「えぇー!? そんな、横暴ですよ!」



裕子P「で、でも検査の結果から判断したって言われた以上、私だってそれに従うしかないの。ユッコにこれ以上なにかあったら……」



裕子「……ごめんなさい」



裕子P「謝らないで。とにかく、今はスプーン曲げもしちゃだめ、いい?」



裕子「……はーい」



これ以上自分のプロデューサーに心配をかけるわけにもいかず、裕子は仕方ないといった様子で引き下がる。

それを見て一安心したプロデューサーは、ここであることを思い出したのか「あっ」と声を出す。



裕子「どうしたんですか?」



裕子P「ユッコが目覚めたらちひろさんとお医者様を呼ぶように言われてるんだった……」



裕子「むむ……ならすぐにでも行ったほうがいいと思います!」



裕子P「うんそうする。ユッコ、すぐに戻ってくるからいい子にして待っててね」



裕子「任せてください!」



満面の笑みを浮かべた裕子に頷いて部屋を出て行ったプロデューサー。そんな彼女の背を壁越しに見つめながら、

裕子はベッドに身体を沈めていく。



裕子(はぁ〜……それにしてもエスパー的なことをしてはだめってどうして……私どこも悪くないと思うのに……)



プロデューサーから視線を外し掌を見た裕子は、さらに無意識の内にその掌を透かして天井を見ながらぼんやりと考える。





裕子(2日も眠ってたなんて信じられないけど……プロデューサーのことだから本当のことだろうし、まずいなぁ……ん?)



さらに見上げていた天井すらも透かして外の青空とそこを飛ぶ小鳥の姿を見たユッコは、

ここでやっと自分の視界の異常に気付いて身体を起き上がらせる。



裕子(そういえば……どうして私、外の景色を見てるんだろう……? 幻かな……?)



目を覚ます前に不思議な夢を見ていたという感触がまだ残っている裕子にとって、今の自分の視界はあまりに

現実離れしており、コレは気のせいだと頭を振ってなんとか正常な視界を取り戻す。



裕子(うぅ気持ち悪い……なんだったんだろう今の? あーあ、こんな時にスプーン曲げでも出来ればいいのに……)



いつしか自分の中で精神を落ち着かせる行動にもなっていたスプーン曲げが出来ないことが微妙に不満なのか、

裕子は口を尖らせて入り口のドアを見て、それからあることを閃く。



裕子(待てよ……スプーン曲げが出来ないなら、別のさいきっくの練習をすればいいんだ!)



先ほど出て行ったプロデューサーが部屋に入ってくる時、入り口のドアが自動で開けばきっと喜んでくれるだろうと

考えた裕子は、直ぐ様ドアを見つめて力み始める。



裕子「これはエスパー的ではなくさいきっく……エスパーじゃなくてさいきっく……むむむ〜ん!」



なんとなく言い訳も口にしながら力む裕子は、ドアを見つめてそれが開く様をイメージしていく。この時一瞬

彼女の虹彩がなにかの覚醒を示すかの如く金色に光ったのだが、それを裕子が知ることはなかった。



裕子「むむ……開け、開け……開けー!」



そして裕子が顔を赤くするほどドアを見つめる視線に力を込めた瞬間。



KA-TA-DOOOOOOOOM!!



裕子「うひゃああ!?」



爆音と爆風が部屋の中を渦巻き、ベッドにいた裕子に襲いかかった。彼女は驚きベッドから転げ落ちると、

振動によってパラパラと埃を撒き散らす天井を放心した様子で見上げる。



裕子「……はへ?」



そして事態を飲み込んで恐る恐る顔を上げた瞬間、爆音を聞いて慌てて戻ってきたプロデューサーと、威圧感のある

笑みを浮かべた千川ちひろや興味深そうな表情の初老の男性と目が合うのだった。





ちひろ「――まぁ、言いつけを守らなかったのはこの際不問としましょう。一度なら誰だって間違えますよ」



裕子「うぅ……」



吹き飛んだ入り口を指を鳴らすことで修復した千川ちひろは、小動物のように怯える堀裕子に微笑みながら

彼女の額に触れる。



ちひろ「……ああ、今のでまた……」



裕子「あ、あのちひろさん……わ、私……」



ちひろ「大丈夫、わかっていますよ。それよりユッコちゃんは、どうして自分があんなことを出来たのか知りたいのでは?」



すでに吹き飛んでいた事実などなかったかのように修復された扉を指差しながら問いかけたちひろに対して、

裕子はぶんぶんと首を縦に振った。



裕子P「……ユッコにエスパー的なことをさせないようにしたのはこのためなんですか」



そして裕子が引き起こした出来事が未だ信じられないプロデューサーも、ちひろに詰め寄って説明を求める。



ちひろ「その通りです。さて、どこから説明したものか……とりあえず、お任せしても?」



少しだけ悩む素振りを見せた後、隣にいた初老の医者に説明を促すちひろ。医者はその言葉に頷くと

すこしばかり興奮した様子で語りだした。



医者「では説明する前に、まずは裕子さんとそのプロデューサーさんは、人間の脳についてどれくらいご存知ですかな?」



裕子「……はい?」



裕子P「……」



突然意味不明な問いかけをされて困惑する裕子と、そんなことはどうでもいいとばかりに睨みつけるプロデューサー。

そのリアクションに満足したのか、医者は2人に親切をするかのように言葉を紡いでいく。





医者「人間の脳というのは素晴らしい。研究すればするほど脳とはまさに宇宙のようなものだと私は思うのです」



裕子「はぁ」



医者「宇宙に浮かぶ星々よりも多い神経細胞が活動し、人は地球の生物の頂点に立った! だがそれでもまだ

我々は脳の力を全て使っているとは到底言えないのです!」



叡智を授けるかのようなその語り方は、医者というよりは聖職者か教授といったところで、プロデューサーは

思わずこの男は大丈夫なのかといった疑惑の視線をちひろに向けてしまう。



だが視線を受けたちひろはただ黙ってにこりと笑みを浮かべるだけで、それが今はこの話を聞けという指示だと

理解したプロデューサーは、渋々といった様子で医者の言葉に耳を傾ける。



医者「人間は未だ脳の力を10パーセントしか使っていないと言われています。もしくは本来超高性能なはずのCPUを、

無意識の内に省電力で使っているとも……」



裕子「それが、さっきのことと関係があるんですか……?」



医者「大有りです! 想像してみてください、10パーセントの脳の力で生物の頂点にたった人類が、もしもっと

脳の力を解放することが出来たら、なにが出来るのかを!」



裕子「それは、ええと……っ!」



そこでまた頭痛に襲われた裕子はたまらず倒れこみそうになり、慌ててベッドに寄り添おうとするも、彼女の手が

触れた瞬間ベッドはグニャリと変形してしまう。



裕子「な、なんで!? うわわっ!?」



裕子P「ユッコ!」



倒れこむ裕子を慌てて支えたプロデューサーは、信じられないものを見るような目つきで変形したベッドに視線を移す。

そして初老の医者もまたプロデューサーと同じくベッドに視線を移すと、歓喜の表情で叫びを上げた。



医者「そう、これです! これこそが我々の可能性! 進化の先! 目指すべき場所!!」



裕子「こ、このベッドの形がですか?」





医者「そちらではない! 先ほどの爆発を引き起こしベッドをそのようにしたキミだ裕子さん! キミこそが人類の可能性なのだっ!」



まるで子供のようにはしゃぐ医者に対して、裕子もプロデューサーも困惑した表情で見つめ合う。突然人類の可能性などと

言われてもピンと来る人間はそうはいないだろう。けれど喜ぶ医者はさらに続ける。



医者「今、裕子さんは地面に頭を打った衝撃で脳が恐ろしい勢いで活発になっている! いや、それだけではない、

キミはもともと常人より遥かに脳の力を抑えて暮らしていたことまで判明したのだ!」



裕子P「……ユッコが、普段は脳の力を10パーセント以下にしていたということ?」



医者「そうとも! そして、今やっと裕子さんは常人と同じく脳の力を10パーセント解放した! その結果がこれだ! 

だがこれで終わりではない、裕子さんはこのままいけばきっと100パーセント脳の力を使いこなすだろう!!」



その時起こるであろう光景に思いを馳せた医者は、恍惚の表情を浮かべて裕子を見た。その瞬間彼の役目は終わったのか

ちひろは一瞬で彼をどこかに移動させた後、未だに困惑している裕子達を見つめた。



ちひろ「まぁ、というわけになります。お二人共、ここまではよろしいですか?」



裕子「なんとか……ところで、私が脳の力を10パーセント以下しか使ってなかったというのはその……」



ちひろ「強力過ぎるが故に自己防衛本能が働いていたためでしょう。それが、生死に関わる状況の後で頭を打ったために変化した」



裕子P「だからユッコはこうして……でも、こんな力、使っていて大丈夫なのかどうか……」



扉を吹き飛ばしベッドを変形させた裕子の力を目の当たりにした上で医者の話を聞いたプロデューサーは、

なにか言い様もない不安に襲われ、支えていた裕子の身体を引き寄せる。それはまるで今の裕子がどこかに

消えてしまわないよう、必死に守っているようにも見えた。



裕子P「どう考えてもこの力はユッコが使えこなせているようには見えません……なんとか元に」



裕子「プロデューサーそんな!? 何言ってるんですか、これはむしろチャンスですよ!」



裕子P「ユッコ!?」



心配するプロデューサーをよそに、やっと理解が追いついてきた裕子は自分の手を見て、それからプロデューサーの顔を見る。

この瞬間裕子は自分の力と制御方法を正しく認識すると、何が出来て何が出来ないのか、もっと脳の力を引き出すにはなにを

すればよいのか、この力を使ってどうするべきなのかを瞬間的に判断していく。





裕子「エスパーユッコの活躍を広げるなら、この力はむしろ積極的に使っていくべきです!」



裕子P「で、でも、さっき扉を爆発させたり、ベッドを……」



裕子「それは目が覚めたばかりでちょっと間違えちゃっただけです! 今なら! むむむん!」



手をかざして力んだ瞬間、変形していたベッドがバキバキと音を立てて元の形に戻っていく。その光景にプロデューサーは

言葉を失い、裕子は満足気に頷く。



裕子「ほらこのとーり! ちゃんとさいきっくを扱えますよプロデューサー! 問題ないですよね!」



裕子P「で、でも……ちひろさんもなにか言って下さい」



ちひろ「私としても、ユッコちゃんが本格的にサイキックを扱えるようになったのなら、それでお仕事をして頂きたいですね」



裕子「ほらー!」



賛同の意見を受けて嬉しそうな裕子に対し、プロデューサーは頭を抱えてしまう。もちろん、プロデューサーとしては

最大限裕子の意思を尊重するつもりであったが、それでもこの異様な力を使い続けて良いのかという不安は

拭い切れない。

そんな彼女の思考を読み取ったのかちひろはプロデューサーの側に寄ると、その耳元で小さく囁いた。



ちひろ「……確かに、ユッコちゃんの状態は一歩間違えると極めて危険です」



裕子P「やっぱり……!」



ちひろ「今、ユッコちゃんは脳の力を12パーセント解放しています。これが20、30、40……と増えていけばどうなるかは、

正直私にも分かりません」



裕子P「なら今すぐにでもユッコを元に……!」



ちひろ「けれど……だからこそ、あなたが、プロデューサーさんがユッコちゃんを正しく導いてあげたほうがいいと思いますよ」



裕子P「私、が?」





思いがけない提案に目を見開いくプロデューサーであったが、ここで裕子と初めて会った時に交わした言葉を思い出す。



裕子P(そうだ……私は、なにがあってもユッコを信じるって……)



ちひろ「プロデューサーさんなら、きっとユッコちゃんを悪い道には進ませないと思っています。だから」



裕子P「……出来るでしょうか、私に」



ちひろの言葉を遮ったプロデューサーの目にはすでに迷いも不安もなく、なにがあっても裕子の支えになるという決意に

満ちていた。その姿を嬉しそうな目で見つめながら頷いたちひろは、プロデューサーから離れると1人だけ先に部屋から出ようとする。



裕子「あっ! ちひろさんどこへ!?」



ちひろ「これから色々と忙しくなりそうなので仕事に戻ります。あ、でもユッコちゃんに一つだけアドバイスを」



裕子「なんでしょう?」



ちひろ「自分が分からなくなった時は、原点を思い出すか呼び寄せてみるといいかもしれませんよ」



裕子「……はぁ」



謎のアドバイスをされた裕子は微妙な返事をするしかなかったが、ちひろはそれ以上なにも言わず部屋から出て行った。

残された2人は改めてお互いを見つめ合い、今後の話をしていく。





裕子P「……とりあえず、まずはユッコの退院手続をしないとね」



裕子「あ、まだ入院中扱いなんですね……でも退院すればこっちのものです! なにからしますか!? お仕事、レッスン? それとも!」



意気込む裕子であったが、その瞬間空腹を告げる盛大な音が鳴り響き、思わず顔を赤らめてしまう。



裕子「うぐ……」



裕子P「ふふっ、退院したら最初は食事にしましょうか。2日もなにも食べてないなら、お腹空いてるでしょう?」



裕子「そういえばそうでした……」



裕子P「食事しながら次にすることを考えましょう。あと、私もユッコが新しく出来るようになったことを正確に把握しないと……」



裕子「それなら任せてください! いまの私、色々絶好調ですから色んな技を見せてあげますよ!」



裕子P「うん、楽しみにしてる」



裕子「えへへ……」



これからのことに思い馳せると自然と笑みが溢れる裕子を見ながら、プロデューサーは覚悟を決める。



裕子P(なにがあっても、私はユッコを……)



そして、覚悟を決めたプロデューサーを試すように、この日から少しずつ、ユッコの中の大事なものが消え始めていった。





――四ヶ月後。ラスベガスのベラージオホテル前にある湖の周辺には多くの人々が詰めかけていた。



「おい、そろそろ時間だぞ!」



「誰だこら押すなよ!!」



「Шумная……」



「hurry, hurry!」



人々の目の前にある湖では毎日必ず噴水ショーが行われており、ラスベガスの中でもそれは一際素晴らしいショーとして

世間に知れ渡っている。けれど、今日ここに集まっている多種多様な人々のお目当ては噴水ショーなどではなかった。



「まだなのか……!」



「Look, look! Over there!」



日も暮れ集まった人々がそろそろ痺れを切らし始めたころ、唐突にスポットライトがベラージオホテルの屋上を照らし、

それに視線を誘導された人々が次々に快哉を叫びだす。



「「「「ワァアアアアア!!」」」」



彼らの視線の先、スポットライトに照らされた人物は赤い衣装のフードで顔を覆っており表情を伺うことは出来ないが、

その体格から少女であることが分かる。そして、その少女こそ、ここに集まった人々が見に来た存在であった。



???『Ladies and Gentlemen!! Boys and Girls!!』



フードを被った少女はそう呼びかけると、ゆっくりと湖を見渡し、そしてなんの躊躇もなく屋上から飛び降りた。



「「キャー!?」」



「Show began!」





あちこちから悲鳴と歓声が上がる中、少女の身体は重力に従って落下していく。スポットライトはそれを忠実に追いかけ、

このまま一つの悲惨な肉塊が出来るまでその姿を照らし続けるのではないかと、少女の生のショーを初めて見に来た

観客達が思い始めた瞬間、突如としてスポットライトの光の中から少女の姿が消滅する。



「「「「ォオオオオオ!!?」」」」



はっきりと目で追っていたのに少女の姿を見失った観客たちは驚き、それぞれ思い思いの場所へと視線を移していく。

それはもちろんいなくなった少女を探すためであり、彼らは皆、すでに少女が新しい場所に移動していることを

知っていた。



なぜなら何度も動画で、またはゲリラショーでそれを実践していることをここにいる全員が知っており、少女も

彼らの予想を裏切ることなく、いつものように落下していた場所から離れた地点に唐突に出現した。



「いたぞあそこだ!」



「Над водой!?」



???『ようこそ皆様ラスベガスへ! そしてー!』



ホテルの前にある湖の中央にESPカードを撒き散らしながら現れた少女は、その湖面を歩きながらスポットライトの光を

自分のもとへと集め、観客達へ呼びかけていく。



呼びかけられた人々は次々に少女へと視線を移し、なんの道具も使わずに湖面を歩いてる少女を見てさらに

歓声をあげる。そうして十分に場が温まったことを感じ取った少女は、ここで顔を覆っていたフードを上げて

噴水が稼働するのと同時に高らかに宣言する。



裕子『エスパーユッコのスペシャルパフォーマンスショーにもようこそー!!』



「「「「ワァアアアアアア!!!」」」」



そう、湖面に立っていた少女の正体は堀裕子。四ヶ月前に手に入れた力をさらに強め、世界中でゲリラショーを

行い動画配信も行った結果、彼女は今や世界トップクラスのエスパーアイドルの地位を手に入れていたのだ。





裕子『今日は暑いですから、まずは皆様涼しくなってもらいましょう!』



そう言いながら裕子が湖面を足で叩くと、周辺の水がせり上がり一つの形を作り出していく。それは水の女神のような

美しい人型になると、意志があるかのように振る舞い、観客たちに腕を振っていく。



「「「「イエエエエ!!!」」」」



水の女神が振るった腕は霧となって観客達に降り注ぎ、彼らに心地よい涼しさをもたらした。しかしその直後、

女神を打ち消すように現れた灼熱の球体が、ベラージオホテル前を赤く照らす。



裕子『むむっ! どうやら皆様を涼しくしたことでドラゴンさんが怒ってしまったようです!』



灼熱の球体は変形しながら裕子へと近づき、彼女が言った通りドラゴンの姿となった瞬間、湖面に立っていた

裕子を丸呑みにして飛び上がってしまう。



「「ウワァー!?」」



無論その灼熱のドラゴンも裕子の力で生み出されたものであり、彼女は観客から悲鳴が上がったのを炎の中で聞いた後、

手に雷光を携えて一気に下降し、ドラゴンを裂いて再び湖面へと戻ってきた。



「「「ワオオオオ!!」」」



裕子『ふー! なんとか戻ってこれました! でもあのドラゴンさんが皆様に手を出す前に退治しませんと! いきますよー!』



雷光煌めく両手をドラゴンに向けた裕子は、観客達にカウントを促し、慣れた観客達もまた裕子のためにカウントを開始する。

無論通常であれば裕子の話している日本語を理解出来る観客はこの場には少ない。しかし強化された裕子の力は、自分の言葉を

聞いている相手に、その人物の母国語として認識させることすらすでに可能なのである。





「3ー!」



裕子『むむ……』



「「2ー!」」



裕子『むむむ……!』



「「「1ー! 0ー!!」」」



裕子『行っけー! さいきっくジャベリーン!!』



投槍のように放たれた雷光はまさしく空に向かう稲妻となって灼熱のドラゴンを貫き、恐ろしいその姿を呆気無く爆発させた。



DOOOOM! DOOOOM! DOOOOOM!



爆発し飛び散ったドラゴンは次々に花火に生まれ変わって夜空に咲き乱れ、観客達の目を大いに楽しませていく。

けれど自分の生み出したドラゴンを自分の創りだした雷光の槍で打ち倒した裕子にはなんの感慨も浮かばず、一瞬だけ

空虚な表情を浮かべた後、湖の上に用意された本来のステージへと瞬間移動し、次の演目に備えていく。



裕子(……)



(((やっぱエスパーユッコのショーはすげーな!)))



(((綺麗……)))



(((どうやってるんだろう……)))



人々が花火に見とれている最中、裕子は密かにこの周辺にいる人々の心の声を聞き取り、どうすれば次の演目が劇的になるか

そのタイミングを測っていく。

たとえ相手が日本語で思考していなくとも、今の裕子にとって言葉など多少使い方の違う道具程度の認識でしかなく、

様々な国の言葉を日本語として聞きながら裕子は手に力を込める。





(((仕掛けがどっかにあると思うんだがな)))



(((あとでサインもらいたい……)))



裕子(……どうしよっかなー……)



演目の準備をしている裕子の心は、観客へ向けて喋っている時の姿からは想像も出来ないほど暗く冷たく、

かつての彼女を知る者がその心を知ることが出来たのならこの裕子は別人ではないかと心配してしまうほどだ。



そしてその心を知ることが出来る唯一の人物は、裕子の背後にあるホテルの一室でこのショーを見守っており、このまま

何事も無く普段通りショーは終わるはずであった。



裕子(……そろそろいっか、とりあえず次の――)



裕子P(((誰ですあなた達!? ここは……うぐっ!?)))



裕子「……プロデューサー……?」



けれど、何気なくプロデューサーへと意識を向けた裕子は、彼女が呻き声を上げたのを確かに聞き取ってしまう。



裕子(((……プロデューサー……?)))



テレパシーで呼びかけるも返答はなく、意識を読み取ろうとしても気絶しているのか反応がない。



裕子(……行かなきゃ)



夜空を染める花火の数を増やした裕子は、ショーの最中だというのにステージの上から瞬間移動する。

これもまた、かつての裕子であれば絶対にしなかったことだろう。しかしすでに脳の力の解放率が40パーセントを

超えた裕子には、それを悪いことだと思う感覚が残っていなかった。





裕子P「――ガハッ!?」



腹を殴られ気を失っていたプロデューサーは、蹴り飛ばされたことで再び意識を取り戻す。



「※※※※!」



「※※※※※!! ※※※!!」



裕子P(なにが……)



床に倒れたまま視線だけを動かして状況の把握を開始したプロデューサーは、自分の周りに立つ複数の男の姿と、

彼らが何かを喋っているといことだけを認識する。



「※※※!! ※※※※※※!!」



裕子P(何を言ってるかは、ほんとど分からないけど……)



「※※※裕子! ※※※※※」



裕子P(裕子を狙いに来たのだけは分かる……!)



今や世界中で仕事をするようになった裕子であるが、活躍が知れ渡れば知れ渡るほど、命を狙われることが多くなってきており、

今回もその類なのだろうとプロデューサーは思案する。



16歳の少女が扱うようになった力は一部の者達にとって妬みや羨望の対象とするには十分らしく、今回で何度目かの

襲撃を受けたのだと結論づけたプロデューサーは、この場をどうやって乗り切るか策を練り始める。



裕子P(少なくとも裕子の力が神様を冒涜している……なんて言うタイプじゃないだけ良かったと思っておこう……)



このような輩は大抵の場合裕子達に近づく前にちひろの手腕によって排除されるのだが、極稀にその間隙を縫って襲撃してくる

者達がおり、その中でも大きく分けて2つのグループが存在するとプロデューサーは考えていた。



そして今目の前にいるのはそのうち、自分たちの組織の力を強化するために裕子の力を欲しているグループだと判断した

プロデューサーは、蹴られて痛む身体を上半身だけなんとか引きずり起こしながら、少しでも交渉出来ないかと英語で会話を試みる。





裕子P[ねぇ、ちょっといいかしら]



[……なんだ]



襲撃者達のリーダーと思わしき男が反応したのを僥倖とばかりに、プロデューサーは直ぐ様会話を続けていく。

裕子が変わってしまってからいつの間にか慣れてしまったこのような作業も、裕子が裕子でいられるようにするには

必要なことだと必死に自分に言い聞かせながら。



裕子P[貴方達、もしかして裕子が欲しいのかしら?]



[ああ欲しいね。むしろお前はあんなすさまじい力を持つガキを手懐けているくせに、なにをしている?]



裕子P[なにって……アイドル活動のサポートよ。あの子のためにね]



[アイドル活動! ハッ、くだらんな]



裕子P[その辺りは議論するつもりないわ。それよりも――]



襲撃者達の組織へちひろが援助する方向で交渉を行おうとした瞬間部屋の扉が開き、そこに立っていた裕子の姿を

見たプロデューサーは絶句し、襲撃者達もまた信じられないといった顔で裕子を見た。



【馬鹿な……ここには誰もこれないよう部下に見張らせてたはず! お前どうやって!】



思わず母国語で叫んだリーダーの男に対して、裕子は笑ってみせた後真顔で返答する。



裕子【見張りの皆さんなら、今頃ぐっすり夢のなかですけど】



洗脳や催眠に対して訓練を積ませた部下達で守りを固めていたにもかかわらず、裕子がここに現れた。

それだけでなく彼女の言葉が事実なら、今頃自分の部下達は……。



「「「這個怪物ー!!」」」



BLAN! BLANBLAN! BANGBANG!!



その場にいた襲撃者達は裕子の気配に呑まれ射撃を開始する。いくつも銃によって無数の弾丸が撃ち込まれていく様を

見ながら、プロデューサーは別のことで裕子を心配していた。





裕子P(ユッコどうして……ショーは……!)



予定では未だ裕子のショーの最中であり、それが終わるまでは戻ってくるはずがないと信じていたプロデューサーは、

目の前で銃撃を浴びる裕子がショーを放棄してきたことに心を痛める。



裕子P(ユッコが……また変わってしまった……)



力に目覚めた日から少しずつ裕子の中で何かが失われていくのを見てきたプロデューサーにとって、ショーこそが

裕子の人間性を繋ぎ止める最後の手段だと考えていた。

しかし実際はそれも見当違いであり、こうして裕子はショーをあっさりと放棄してこちらに来てしまった。



もちろん力に目覚めたことで、こんな事態にも対処出来るようになったと裕子は喜ぶかもしれない。

だが、プロデューサーにとってこの変化はあまりにも悲しい方向で、そしてそれを止めることが

出来ない自分がなによりも腹立たしかった。

 

KLIIIIIN……。KLIIIIIN……。



そんなプロデューサーの怒りを沈めるかのように、無数の薬莢が床に転がり、物悲しい金属音を辺りに響かせる。すでに

襲撃者達は手持ちの弾丸をすべて使い切っており、彼らは皆これで相手を殺せただろうという希望があった。



裕子「……ふぅ」



無論もはや通常の物理攻撃で殺せるような存在ではなくなっていた裕子は、撃ち込まれた弾丸全てを自分の周囲に

浮かび止めて一息つくと、球状に集まった弾丸を一気に手元に集め始める。



【馬鹿な……】



リーダーの男が絶望に満ちた顔になるのを淡々と見つめながら、裕子は次々と弾丸をサイキックで圧縮していき、

一つの巨大な鉛球を形成していく。まるで粘土か何かをこねくり回しているかのように金属を自在に弄ぶ姿は

あまりにも人間離れしていて、それだけで襲撃者の中で気の弱い1人は失禁しかける。



裕子「あと……それも下さい」



さらに追加とばかりにサイキックで襲撃者達の武器を全て一瞬で奪いとった裕子は、それすらもぐにゃぐにゃと

飴のように練っては、手元で大きくなる鉛球に埋め込んでいく。





【ひ……】



襲撃者達は皆これからなにが起きるのかわからない恐怖に襲われるも、いつの間にか裕子のサイキックによって

足を動かすことを封じられており、目の前で出来上がっていく謎の物体が恐ろしいのに、誰も逃げ出すことが出来ない。



裕子「そしてこれを引き伸ばせば……出来た」



そうしている内についに銃と弾丸であったものを別の道具へと創り変えた裕子は、少しだけ嬉しそうに頷きながら

襲撃者達を見渡す。彼女が創りだしたのは黒色の巨大なスプーンで、それはすでに人の背丈ほどもある長さになっていたが、

裕子はそれを片手で持ち上げると、まるでハンマーのように地面に叩きつけた。



GOUUUUNN!!



鈍い音がスプーンの先端を中心として空間を貫き、その音を聞いた襲撃者達は全員立ったまま深い眠りにも似た状態に

陥る。ゆらゆらと揺れ視線の定まらない男達は、裕子がフィンガースナップをすることを止められない。



パチンッ。



裕子「さて、あなた達はプロデューサーを殴ったり蹴ったりしましたね?」



「「「是的……」」」



パチンッ。



裕子「……なら、あなた達はこれから窓を開けて、そこから……」



本当ならこのような手法を用いずとも裕子の力は人を操れる段階に来ていたが、プロデューサーへ自分がなにをしているかを

示すために彼女はあえて手間な方法を選ぶ。なぜなのか? それはもはや裕子自身では、罪の意識が希薄すぎて自分の

行っていることが悪いことなのかどうなのかの判別が難しくなっているからだ。



裕子「そこから、とりあえず皆さん笑顔で飛び降りて下さい!」



まるで無邪気な子供のようにそう命令した裕子であるが、プロデューサーが凄まじい勢いで首を横に振っているのが

視界の端に映り、これは悪いことなのだと理解すると、慌てて命令を撤回する。



パチンッ。



裕子「あ、やっぱり今の無しで……うーんと、そうだ、外のショーに私の代わりに出てください! 裸で!」





きっと面白い光景になるだろうと自分では考えた裕子であるが、プロデューサーはこの命令に渋い表情を浮かべる。



裕子(あれ、ダメなのかな……?)



意外と自分なりに上手い命令が思いついたものだと思っていた裕子は少しだけ困った表情を見せるも、先ほどとは違って

プロデューサーが首を横に振らなかったため命令を撤回することはなかった。



そのため襲撃者達はゆらゆらとゾンビのように1人、また1人と部屋から出ていき、裕子の命令を実行するため外へと走りだす。

それを見送ることなく裕子はプロデューサーに近づいていき、最後の男が部屋から出て行った瞬間、何の躊躇もなく

プロデューサーのシャツを開けさせた。



裕子P「ん……」



裕子「……むむ、お腹を殴られて、肋の辺りを蹴られていますね……痛くないですかプロデューサー?」



裕子P「大丈夫、平気だからこれくらい……」



裕子「……やっぱりあの人達燃やしてきたりしましょうか?」



プロデューサーを傷つけられて許せないのか、その目には静かな殺意が滲む。きっと今の裕子であれば人を

灰にすることなど簡単なことだろう。だからこそ、プロデューサーはしっかりと裕子の目を見つめ返して、

彼女の提案を否定する。



裕子P「必要ない。そんなことしないでユッコ……お願いだから」



裕子「プロデューサーがそういうなら、まぁ……」



裕子P「それよりもショーよ。予定だと花火が終われば次の演目に移ることになっていたでしょう? 早く戻って」



すでに外の花火の音は聞こえず、時計を見ると裕子が空中浮遊をしながら、ラスベガスの夜空に描いたトランプを使って行う

ショーの開始時間になっていた。だがそれを行うはずの裕子は目の前にいて、さらに先ほど彼女の命令。

きっともはやショーに戻る気はないのだと薄々は感じながら、それでもプロデューサーはショーを続けるように裕子に指示する。



裕子P「多くの人が裕子のことを待っているはず。だから、すぐにショーに行って」



裕子「……そんなことより、プロデューサー、立てますか?」



あっさりと指示を無視した裕子は、じっとプロデューサーを見つめて奇妙なことを聞いてくる。なにを馬鹿なことをと

思いながら立ち上がろうとして、けれど足に力が入らないことにプロデューサーはここでやっと気付いて狼狽してしまう。





裕子P「ふっ……くっ……! そんな……どうして!?」



裕子「やっぱり。プロデューサー腰が抜けちゃってますよ? 怖かったんですよね、しょうがないです」



裕子P「う……で、でも私のことはいいから……!」



裕子「こんなプロデューサー置いていけませんよ。だから――」



徐ろにプロデューサーの肩に触れた裕子は、少し目を閉じてなにかをイメージし始める。彼女がなにをしようとしているのか

すぐに理解したプロデューサーは咄嗟にその行動をやめさせようとするも、次の瞬間にはもう周囲の景色は変わってしまっていた。



裕子「はい到着です!」



裕子P「……ここ、私の……」



ラスベガスのホテルの一室から、あっという間に日本にある自分のアパートの部屋へと瞬間移動させられてしまった

プロデューサーは、ニコニコと笑みを浮かべる裕子を見て、途端に凄まじい後悔の念と悲しみに襲われ、

今にも泣きそうな表情を浮かべてしまう。



裕子P「……っ……」



裕子「え、ええっ!? ど、どうしたんですかプロデューサー!? どうしてそんな自分を責めてるんですか!?」



褒められると思っていた裕子は焦り、プロデューサーの心を読んで彼女が後悔に打ちひしがれてことを

知るとさらに困惑する。プロデューサーはなにも悪いことなどしていない上に、ひどい目に遭ったというのに、

彼女はなぜ悲しい顔をするのだろうかと。



裕子「ほ、ほら! お家に帰ってきたんですよ! 喜んで下さいよプロデューサー!」



裕子P「……だって、ユッコ、お仕事……」



裕子「あぁ……それならもう私達には関係なくなりましたよ。だってほら」





この瞬間脳の力がさらに解放されたユッコは、リモコンを使わず画面も見ないでテレビを点けると、日本では

見れないはずの外国のニュース番組を受信させ、さらにプロデューサーにも分かるように日本語の字幕をつけてから

彼女に画面を見せる。



『速報。エスパーアイドル、ユウコ・ホリのショーに裸の集団が乱入。ショーは中止に』



裕子「ね? あとはもうちひろさんが片付けてくれると思いますから、私達は必要ないですよ」



画面には先程プロデューサーを襲撃してきた者達が全裸になって踊っている瞬間が少しだけ放送され、直ぐ様

別のニュースへと切り替わる。裕子が命令をした時点でこうなることはどこかで理解していたとはいっても、

やはり裕子が自分のショーを自分から台無しにして、しかもそれを悲観すらしていないという事実は

プロデューサーにはあまりに衝撃が大きすぎて。



裕子P「ごめんなさい……ユッコ……ごめんなさい……」



自分が不甲斐ないばかりに、裕子から益々人間性が失われていく。このまま力が解放されて、この子は人のままでいられるのか?

もはや最近は止める手段はない段階にまで脳の覚醒は進んでいる。ならば、このままいけば裕子の身になにが起こる?



そんな嫌な考えと恐ろしい未来と、どうしようもない無力感が頭の中に浮かんでは消え、思考がぐちゃぐちゃになっている

プロデューサーに、裕子はどうしていいのか分からずただただ呆然とするばかりで。



裕子「なんでプロデューサーが謝るんですか……どうして怯えてるんですか……? 私、こんなにすごい力があるんですよ?」



裕子P「……わかってる、でも、でもやっぱり……その力は……危険な気がして」



それは純粋に裕子の身を案じての言葉であり、プロデューサーは裕子のことを今でも信じている。けれど、先ほどから

プロデューサーに自分の行いを喜んでもらえなかった裕子には、この言葉がまるで自分全てを否定されたかのように

聞こえてしまい、少女の目には怒りの色が灯ってしまう。



裕子「……プロデューサーまで、そんなこと言うんですか?」





裕子P「ユッコ……?」



裕子「どうして、この力が危険だなんて言うんですか! 私は、プロデューサーに喜んでほしかったのに!!」



裕子P「ま、まって違うの! 私はただ――」



裕子「やっぱりプロデューサーも私の事なんて信じてくれないんだッ!!!」



怒りに任せて叫んだ裕子。それに追従するかのように彼女の周囲に衝撃波が発生し、側にいたプロデューサーは

全身に衝撃を浴びて吹き飛ばされてしまう。



裕子P「カハッ……!?」



吹き飛ばされ、壁に叩きつけられたプロデューサーはそのまま力無く床に落下し、動かなくなる。



裕子「――ハッ!? わ、私、なにを……プロデューサー!?」



叫んだことで少しだけ落ち着いた裕子は直ぐ様自分の引き起こしてしまったことを認識して青ざめると、

床に転がったプロデューサーに駆け寄り、その体をゆさゆさと揺らす。



裕子「プロデューサー! しっかりして下さい!!」



裕子P「ゴホッ……あなたは……悪くな……ユッ……コ――」



痛みで朦朧としながらも裕子が悪いわけでないことを必死に伝えたプロデューサーは、そこで限界を迎えて意識を失う。



裕子「……プロデューサー? ねぇ……? ねぇ……!?」



だが意識を失ったタイミングは、裕子の冷静さを奪うには最適なタイミングであったのがプロデューサーの誤算であり、

直後パニックを引き起こした裕子はプロデューサーを千川ちひろの元へとテレポートさせると、自分は誰も

追いかけて来られない場所へと逃げてしまうのであった。





裕子(――私、なんてことを……)



怒りに任せてプロデューサーを吹き飛ばしてしまってから半日。未だにショックが抜け切らない裕子はゆらゆらと空間を

漂いながら、ぼんやりと考える。



裕子(……どうして私、プロデューサーにあんなことを……あんなこと……? 悪いことなの?)



思わず首を傾げそうになった裕子は、すぐにぞっとして自分の思考を改める。プロデューサーを傷つけたのは悪いことで、

力を制御出来なかった自分は未熟だと。



裕子(これだけは忘れちゃダメ! 絶対にダメ! プロデューサーのことはどうでも良くなったりなんかしない!!)



実のところ力が強まる度、どこかで自分の大事なものが消えていっている感覚も味わっていた裕子にとって、今日の出来事は

あまりにも多くの感覚を奪い始めており、それが僅かに残った彼女の恐怖心に刺激を与える。



裕子(でも、どうでも良くないならどうやって謝ったら……サイキックで操って……ダメダメ!? そうじゃなくて……!)



消えていった大事な感覚の代わりにさらに力を増した裕子は、地球を見下ろし月と太陽を見ながら必死に考える。

そう、彼女は現在宇宙空間を漂いながら、半日前の出来事の反省を行っていた。裕子の周囲は空気に満たされた

空間が固定されており、人体に有害なはずのありとあらゆる宇宙線は、彼女のサイキックによって無力化されているのだ。



この行為は脳の解放率が55パーセントを超えたために行えるようになったのだが、そんなことをもはや気にすることすら

しなくなった裕子は、ただただプロデューサーと仲直りする方法を見つけるためだけに、残った人間性をかき集める。





裕子(こういう時は糸でんわ……使えば……糸でんわ……なんでだっけ……?)



生身で宇宙に行っても生存可能になってしまった少女が、たった一人の女性に見捨てられるのが嫌で必死に悩む。その姿は

ある意味滑稽で、しかしとても大切な、堀裕子という人間がまだ残っている証でもあった。



裕子(やっぱり素直に言葉で謝るのが一番のはず……だけどプロデューサー、許してくれるかな……)



これまでのプロデューサーとの思い出から仲直りする方法を探っては、どうしてその時そんなことをしたのかという

疑問が浮かんでまた振り出しに戻る。そんな繰り返しを続けながら、どうにか自分から謝る決断をしようとした

裕子は、ふと太陽の方向を見つめて首を傾げた。



裕子(……むむ? いまなにか……)



異様な気配を感じたのか、裕子は目に力を込めて太陽の方向へと視界を伸ばしていく。まるで流れる映像のように地球が通り過ぎ

宇宙に浮かぶ星々の形が線になるまでに視界だけを動かした裕子は、金星に視界を伸ばす前に、その気配の源を視認した。



裕子(あれって……!)



それは宇宙全体からみたら塵以下であっても、人から見れば圧倒的な大きさの小惑星。油断すれば裕子でも

見失ってしまいそうなほど凄まじい速度で動くその物体は、裕子の感じた異様な気配が示す通り、まっすぐ

地球へと向かって来ていた。





――それから6時間後。小惑星の接近を視認した裕子は急いでこの情報を千川ちひろに伝え、ちひろ経由で

位置情報を教えられた様々な宇宙機関がその小惑星の観測を行っていた。



そして観測を終えた者達は皆絶望的な口調でちひろに情報を戻し、なんとか足掻いてみるという力無い

言葉を残して通信を終えていく。

報告を受けたちひろは溜息をつき、その場に残っていた裕子が見たこともないような疲れた表情で呟いた。



ちひろ「……あと1時間半で、小惑星の落下……か……」



裕子「やっぱり……落ちてきちゃうんですか? 誰も見つけてなかったのが不思議な気もしますが……」



ちひろ「直径110から130メートルの小惑星が秒速45から60キロメートルで太陽方面から来ていた場合、見つけるのは難しいんですよ」



裕子「そういうものなんですか……」



すでに物事を図る感覚が常人とは違ってしまっている裕子には、ちひろの言葉がイマイチよく理解できない。

迎撃するのではなく見つけるだけなら、自分は肉眼でも出来たというのに。



ちひろ「これが落ちてきた場合、あとは隕石の密度や入射角にもよりますが、落ちた場所は甚大な被害を受けるでしょうね……」



裕子「破壊することは出来ないんですか? ミサイルとか色々あると思いますけど……」



ちひろ「赤ちゃんに戦艦の砲撃を打ち返させるようなものですよ?」



その例えだけで、現在どれだけ危険な状況なのかがはっきりとした裕子は、腕を組んで唸ったあと、

自分とプロデューサーだけなら安全な場所へ逃げられるのではないかと思案する。



裕子(隕石がどこに落ちるかはまだ正確にはわからないけど、落ちる場所から遠くにいれば大丈夫のはず……)



ちひろ「とにかく、貴重な情報ありがとうございましたユッコちゃん。ところで、プロデューサーさんとは喧嘩でもされたんですか?」



裕子「え? あ……」



ちひろ「ユッコちゃんのプロデューサーさん、怪我をされて元気が無いようでしたが、話を聞いても『なんでもない』とだけで……」





裕子「失礼しました!!」



ここで自分がプロデューサーに謝ることを決めるために宇宙に行っていたことを思い出した裕子は、慌ててちひろの部屋から

飛び出し、プロデューサーを探すためにプロダクションの屋上へと瞬間移動する。



裕子(ここからなら……)



視覚と聴覚に力を込め、一気に認識範囲を広げていく裕子は、多くの人々の会話や日常風景を情報として入手しながら、

どこかにいるであろうプロデューサーの姿を求めて、さらに身体機能を強化していく。



(((ママー! 今日の晩ごはんなぁにー! カレー!? ほんとにやったー! ニンジンは入れないでね!)))



(((ねぇ聞いてよ! 今日ついに彼に告白したの!!)))



(((はい、はい。その契約については後ほど書類を送らせて頂いて……)))



(((婆さんや、今日はあのバカ息子が孫を連れて帰ってきよったよ……お前さんにも見せてやりたかった……)))



裕子(いろんな人がいるなぁ……)



強化された視覚と聴覚が拾う人々の姿はとても生き生きとしており、裕子はふと、小惑星がこの辺りに落下したら今見ている

人達も皆死ぬんだろうなという、とりとめない感情に囚われた。



裕子(……プロデューサーも、このまま残ってたら死んじゃうんだろうな……)



刹那、裕子の脳裏に小惑星が東京に落下し、プロデューサーが蒸発する光景が流れる。



裕子「ッ!?」



あまりにも生々しく現実味のあった光景に、思わず身体機能の強化をやめてその場に膝をついてしまった裕子は、頭を振り、

通常の視界に戻った目で眼前の景色を見る。



裕子(いま、のは……)





小惑星落下という危機を前に、ついに脳の解放率が60パーセントとなった裕子は、限定的な未来予知まで身につけた。

しかしそれがなんであるかなど今の裕子にはどうでもよく、ただただプロデューサーが消えてしまう光景が悲しくて、

気付けば彼女は涙を流してしまっていた。



裕子(まだ、泣けるんだ……)



自分がおかしくなってきていることを自覚している裕子にとって、こんな時でも泣けることがなぜか嬉しくて、そうやって

嬉しいと思えることがまた嬉しいのか、そのまま座り込むと、少しだけ空を見上げて想起する。



裕子(そういえば……初めてスプーンが曲げられた時も、とっても嬉しくて……)



小学校の給食の時間に起きた出来事。今にして思えば、ただの見間違いや偶然だったのかもしれない。それでも

初めて曲がったスプーンを見た時以来、裕子は特訓と努力を重ね、多くの人から疑われたり嘲笑されながらも

負けずに突き進んできた。



裕子(……今なら、持ってこれるかな?)



手元に力を込めてむむっと唸った裕子の前に、ぐにゃぐにゃになったスプーンが現れる。それは裕子が初めて

自分の力に気付いたきっかけとなった小学校の時のスプーンであり、かつていつの間にか失ってしまっていた

物でもあった。



裕子(……出来た! ふふっ……もしかしたら、昔なくしたのも未来の私がこうして取っちゃったからですか?)



誰に問いかけるでもなく独りごちた裕子は、手にしたグニャグニャのスプーンを見て少しずつ朗らかな笑みを

浮かべていく。それはとてもいつもの裕子らしい笑みで、見ている者がいれば、裕子から失われていたものが

戻ってきているかのような感覚を味わっただろう。



裕子P「……ユッコ?」



裕子「ふぇ!?」



そしてその見ている者であったプロデューサーは、裕子が四ヶ月前まで普通にしていた明るい笑みを浮かべていることに

少しだけ驚いた後、とても嬉しそうな口調で裕子に声をかけてきた。



裕子「え、え!? プロデューサー!? どうしてここに!? いつの間に!?」





裕子P「ちひろさんから裕子が見つけたものについて話を聞いたから……」



裕子「それで私を探しに来たと……しかしまさかここまで私が接近に気付けないとは、やはりプロデューサーもエスパーですね!?」



裕子P「多分ユッコがそのスプーンに夢中になりすぎてただけだと思う」



裕子「あれー?」



探していたはずの相手に逆に見つけられてしまった裕子であったが、なぜかそれがとても嬉しくて、けれども直ぐ様

プロデューサーに謝らなければいけないことを思い出すと、大慌てで頭を下げた。



裕子「って、そうだった! プロデューサー、ごめんなさい! 私、プロデューサーをふっ飛ばしちゃって……それに……」



手元に思い出の品が戻ってきたことで少し人間味を取り戻した裕子は、ラスベガスのショーを自分で台無しにしたことは

いけないことだったと認識出来るようになっており、そのことについても謝ろうとするが、どう喋れば良いのか分からず

言い淀んでしまう。



裕子「それに、あの……お仕事でも、その……」



裕子P「……うん、わかってる。ユッコが自分のしたことを分かってくれたのなら、私はそれでいいから」



優しく笑みを浮かべて頭を撫でてくるプロデューサーに、裕子は気恥ずかしさを覚えつつも甘えてしまう。この人は

サイキックがなかったとしても、きっと自分のことを全部分かってくれるんだろうなぁと思いながら。



裕子P「……ところで、その手に持ってるスプーンはどうしたの?」



裕子「これですか? ふふふ、プロデューサーには前に話しましたよね? 小学生の時初めて曲がったスプーンの話!」



裕子P「……もしかして、これがそうなの?」



裕子「はい! どうですか、すごいグニャグニャでしょう!」



裕子P「うん、ぐにゃぐにゃ……ぐにゃぐにゃ……ふふっ」



凄まじい形に変形しているスプーンを見て思わず笑みをこぼしたプロデューサーは、不思議そうな顔をする

裕子を見て思う。ああ、やはりこの子はスプーン曲げにも全力だった時がきっと一番いいんだろうなと。





裕子P「ユッコって、本当にスプーン似合うね……」



裕子「そ、そうですか? な、なんだかそういうの照れますね、えへへ♪」



裕子P「それで、実は私も大事にしてるスプーンが一つあって」



裕子「そうなんですか!? 初耳です! 見せてもらってもいいですか!」



グニャグニャのスプーンを手にしてから、以前の裕子の姿が戻ってきたことを喜ばしく思ったプロデューサーは、ここで

ずっと大事にしていたスプーンをポケットから取り出した。これがもう少し裕子の助けになればと願いつつ。



裕子P「これなんだけど……」



裕子「……曲がってますね? これじゃカレーは食べられそうにも……ハッ!? まさかこれはプロデューサーが曲げた……!」



裕子P「ハズレ。これはユッコが曲げたスプーンなの……覚えてる? 初めて会った時のこと」



勿論その時のことを忘れるはずもない裕子は、初めてプロデューサーと会った瞬間の出来事を思い返す。今になってみれば、

この人はスプーンを曲げられなかった自分を、面白いから採用、なんてよくそんな博打みたいなことをしたものだと感じてしまう。



裕子「当然ですよ! でもプロデューサーって変な人ですよね。さいきっくぱわーの足りなかったあの頃の私を

採用するって決めて、本当に大丈夫だったんですか?」



裕子P「それなんだけど、ユッコあの後、オーディション会場にスプーン忘れていったでしょう?」



裕子「そういえば……って、それじゃあプロデューサーの持ってるスプーンってもしかして……!」



裕子P「うん。その時のスプーン」



裕子「……曲がって、曲がってたんだ……」



プロデューサーから手渡された、オーディションの時のスプーンを見て、思わず嬉し涙を零す裕子。あの時はプロデューサーが

優しい人でよかったと思うあまり、曲げられなかったスプーンのことがすっかり頭から抜けてしまっていたのだ。

けれども実際はそのスプーンもこうして曲がっていたことを知れて、さらにはプロデューサーがそれをずっと

持っていてくれたことが、裕子の心に温かい何かを取り戻させていく。





裕子「もしかして……プロデューサーが私を信じてくれるのは……」



裕子P「初めて会った時にこんなの見せられると、信じるしかないから。サイキックアイドルになるのはこの子しかいないって」



裕子「……ッ!」



ぐにゃぐにゃになったスプーンと、折れ曲がったスプーンを手に持って、改めてサイキックアイドルという言葉を

聞かされた裕子は、それ以上何も言えず、言葉に詰まって嗚咽してしまう。



裕子(そうだ、私はサイキックアイドルを目指してたんだ。それも1人でじゃなくて、プロデューサーと一緒に、トップまで!)



脳が覚醒したことで、いつしか自分の力を見せつけることだけを目的としてしまっていた裕子は、ここでやっと

自分が本来何を目指していたのかもを思い出す。

多くの人々を楽しませて、自分も楽しんで、そしてプロデューサーと一緒にどこまでも。それが堀裕子の進む道であり、

決して忘れてはいけないことだったのだ。



裕子「……思い出しました。プロデューサー、私達が目指すべき場所を!」



裕子P「……そっか」



すでにその目には空虚さがなく、諦観もしていないことを見て取ったプロデューサーは頷く。未だに

脳の覚醒は続いているはずだが、きっともう裕子は大丈夫であると。



そして自分が何者であるかを思い出した裕子は空を見上げ、太陽の方角に目を凝らして視覚を強化し、接近してきている

小惑星を見つけると、覚悟を決めて改めてプロデューサーと向き直った。



裕子「それでプロデューサー。私がこうして特別なことができるなら、やるのが使命だと思うんですよね! だから東京に

近づいてきている小惑星を」



裕子P「……どうするつもり?」



裕子「破壊します! ……って言えたらカッコ良かったんですけど、流石にアレは今の私でも壊すのが無理そうです。なので

壊すんじゃなくて、地球にぶつからないように逸らしてみようかと! ……それも出来るかどうか不安ですが……」



すでに小惑星の落下まで40分を切っており、民間でもかつてロシアに落下した隕石のことを覚えていた

人間が太陽側を観測していたこともあって、騒ぎが世間に広まり始めている。





また宇宙機関からの情報で小惑星が落下する場所が東京と判明したことで、政府中枢は大騒ぎとなっているのだが、

そちらはちひろが対処していることを二人は知らない。



どちらにしてもここで裕子が動かなければ東京が壊滅することは必定であり、それを分かってか、プロデューサーは

心配そうな表情で声をかけようとして、それから首を振っていつもの凛々しい表情になったあと裕子を元気付けた。



裕子P「大丈夫。私は、ユッコを信じてる」



裕子「……はい!」



それさえ聞ければ百人力だとばかりに大きな返事をした裕子は、それからすぐにプロデューサーに背を向けて空を見上げた。

これから行うことはもしかしたら凄まじい表情をする可能性があるため、ちょっとでも恥ずかしいところを

見られないためにという妙な乙女心が働いたらしい。



裕子「ミラクル起きます、起こしてみませます! いーきーまーすーよー!! むむむむーんッ!!」



プロデューサーに見守られながら、空に向かって手を伸ばした裕子は、そこから一気に力を放出していく。裕子の腕から

放たれた、金、橙、赤、とグラデーションする粒子が一直線に空を駆け抜け、一瞬にして宇宙へと到達すると、

さらに止まることなく小惑星へと向かっていく。



裕子「むぐぅ!?」



粒子が小惑星に触れた瞬間、凄まじい熱と抵抗が裕子を襲い、彼女は思わず吐きそうになるのを堪えながら、小惑星の

感触を確かめていく。



裕子(大きさは130メートル! 速さは秒速60キロメートル! あとこれは……岩じゃなくて鉄みたいな……ぐうう!?)



単純な大きさだけでも裕子の何十倍もある相手が、音速など遥かに超えた速度で動いているのだ。それの軌道を逸らすには

並大抵の力では通用せず、少しの間押し負けた裕子の手から粒子が消えかかる。



裕子「まだだ!!」



けれどここで負けては結局プロデューサーも自分もおしまいだと気合いを込め直した裕子は、小惑星を相手にしながら

自分の力で自分の脳へとアクセスし、未解放となっていた脳の領域を無理やり覚醒させ始める。



裕子「もっと、もっと、もっと!!」





急速に脳の覚醒は進み、いきなり70パーセントまで解放されると、そこから時間を刻むように71パーセント、

72パーセントと脳の領域が開かれていく。



裕子「ググッ!」



無論そんな急激な解放は裕子の肉体に多大な負荷をかけ、彼女の周りには小惑星に向かって放っているのと同じような

粒子が漂い始める。



裕子P「これは……いっ!?」



漂う粒子に触れたプロデューサーは、まるで電撃を浴びたかのような痛みに思わず腕を引っ込める。粒子の触れた指先は

バチバチと放電しており、どうやら迂闊に裕子に近づくことはできなくなってしまったようである。



裕子P「ならせめて……頑張れ、ユッコ!」



裕子「もちろん、ですよ……むむむむーん!!」



吹き飛びかけていた意識を応援されたことで再び取り戻した裕子は、歯を食いしばってさらに脳の力を強めていく。



裕子「アアアアッ!!」



80パーセントを超えると視覚から風景という情報と、距離という概念が取り払われ、自分が逸らすべき小惑星が目の前に

あるかのような視界へと変貌し、さらにあれだけ耳障りだった風の音や、日常音などありとあらゆる雑音が取り払われ、

ただ裕子の集中に必要なプロデューサーの声だけが響くようになる。



裕子P「ユッコ……!」



それでもまだ小惑星は地球に落下する軌道から外れず、痺れを切らした裕子はついに脳の力を90パーセントまで解放していく。

すでにこの時点で落下までの残り時間は20分を切っていたが、奇妙なことにそのことを裕子は体感として理解し、

時の流れというものがどういうものかすら、少女は認識出来るようになっていた。



裕子「これで、どうだーッ!」



きっと世の学者達が聞けば羨むような体験をしながら、しかしそんなことなど露ほども興味のない裕子は、ひたすらに

腕の先から力を、粒子を放出して小惑星にぶつけていく。



そしてついに、実際にそういう音が鳴ったわけでも、そういう明確な触感があったわけでもないが、小惑星がゴリッと

地球の落下軌道からズレ始めたのを裕子は感じ取る。





裕子「これ……来たぁ!  来ましたよー!! ここだ、ここです! むむむむーん!!」



いつの間にか自分の周囲を漂っていた粒子すらも小惑星に向けて放っていた裕子は、その両目から血の涙を流し、

小惑星を受け止めている状態になっている両腕を赤熱させながら、最後の脳の覚醒を行う。



ガチリと、遠い何処かの歯車と噛み合った感触のあと、裕子の脳はその力を99パーセントにまで解放し、ついに

小惑星と自分ただ2つだけの存在がある空間へと認識が吹き飛んだ裕子は、せめて声だけでもプロデューサーに

届けとばかりに叫ぶ!



裕子「逸れろー!! ムムムムーン!! そーれーろぉおおおお!!!」



――オオオオオオオッ!!!



瞬間、小惑星がまるで悲鳴のような音を上げた幻聴を裕子の耳は聞き取り、直後、吹き飛んでいた空間から、元のプロダクションの

屋上へと裕子は戻ってきた。

実際のところはずっと裕子の身体はそこにあったのだが、たしかに彼女の意識は別の世界へと吹き飛んでいたのだ。



そして、落下予定5分前。地球に直撃するはずだった小惑星はその軌道を大幅にずらし、ついに多くの人々が

肉眼でも捉えられる距離にまで接近してきた。

小惑星は美しくグラデーションをする粒子を纏ったまま空を横切り、幻想的な尾を残しながら地球を去っていく。

その光景を、その時空を見上げられる場所にいて、そして実際に空を見た人々は決して忘れないだろう。



裕子P「……なんて、ステキな……」



小惑星が空に残した美しい粒子の線を見ながらそう呟いたプロデューサーは、この光景が彼女自慢のアイドルが頑張った結果で

あることを誇りに思いつつ、微動だにしない裕子に近づいていく。



裕子P「ユッコ、お疲れ様……。やっぱりユッコはすごい……ユッコ?」



裕子「……えへへ、やったんですね……私……なにも見えませんけど……でもプロデューサー……」



裕子P「ユッコその目!?」



裕子「私……ミラクル起こして……みせました……よ……」



そこで限界だったのか裕子は両目から血の涙を流した状態のまま、それでも満足そうに微笑んで、その場に崩れ落ちるのだった。





裕子「――ハッ!?」



不思議な夢を見ていた堀裕子は、そこで目を覚まし、状況を飲み込めないのか目をパチクリとさせながら天井を見つめた。



裕子「ここは……どこ?」



見覚えのある白い天井から視線を移すと、白いカーテン、白い壁、白いベッドが立て続けに視界に入ってくる。

少なくとも自分の部屋でないことだけは理解しながら身体を起き上がらせた裕子は、自分の服装も部屋と同じように

真っ白なものに着替えさせられていることに気付く。



裕子「……なんで、私……っ!?」



ズキリと鈍い痛みが頭を襲い、思わず顔に手を当てた裕子はここで少しずつここまでの経緯を思い出し始めていく。



裕子(そうだ、私、すごい力に目覚めて……それで色々あって、小惑星を逸らして……)



けれどもそれはまさしく夢物語のようで、赤熱していたはずの両腕も、血の涙を流してなにも見えなくなっていた両目も

正常に戻っていることを確認してしまえば、裕子は思わず首を傾げてしまう。



裕子(やっぱりあれは……夢だったのかな……?)



ここで何気なく隣の棚に視線を移した裕子は、そこに載せられていた新聞に気付いて手にとった。新聞には大きな見出しで

『小惑星の接近、またしても観測出来ずか』などといった文言が踊っており、さらに内容を読んでいくと、今回の

小惑星が地球から逸れたのはまさしく奇跡であることや、小惑星が残した粒子の尾については、未だ学者達の

間でも見解が分かれていることなどが記載されていた。



裕子「夢じゃ……なかったんだ……」



裕子P「本当は、夢でも良かったんだけど」



裕子「わわっ!? プロデューサー!?」



新聞に夢中になっていた裕子は側によってきていたプロデューサーに気付かず、慌てたのか新聞を放り投げてしまう。

それをうまく掴みとり元の場所に戻したプロデューサーは、裕子の身体を一通り眺めた後、身体上はどこにもおかしな

部分が残っていないことに安堵する。





裕子P「でも、おかげでもっとユッコのことを大事にしようって思えるようになったから、結果としては良かったのかも」



裕子「えへへ……あ、それでプロデューサー。私は今回何日くらい眠ってたんですか?」



裕子P「……5日」



裕子「5日!? そ、それはその……ご心配をお掛けして……」



裕子P「……まぁでも、こうしてちゃんと目覚めてくれるって信じてたから」



裕子が自分の道を思い出したように、プロデューサーもまたあの騒ぎで裕子のことを信じる気持ちを強めたのか、

その表情は以前似たようなことがあった時よりも穏やかで、あの時のように慌てている様子もなかった。



それが嬉しくも微妙に不満に感じてしまう自分は贅沢者なのかなと考えながら、裕子はふと何かが気になったのか

扉の入り口に視線を向ける。



裕子P「どうかしたの?」



裕子「いえちょっと……むむむむーん!!」



少し前までやっていたのと同じように力んでみるも、扉はまったく反応せず、次に棚に置かれていたプラスチックのスプーンを

手にとった裕子は、今度は手に力を込めて叫ぶ。



裕子「ムムムーン! ……たはぁ、だめみたいです」



プラスチックのスプーンもまた、力んだにも関わらずその形状は変化しておらず、裕子は自分の中からあの人間離れした

力が失われたことを理解した。





裕子「どうやら小惑星を逸らしたことで力を使い果たしちゃったみたいです……今のユッコはただの美少女ユッコ……」



裕子P「やっぱり、あの力は残っていたほうが良かった?」



裕子「……この四ヶ月の間にしてきたことを考えたら、今度からのお仕事にすごいプレッシャーが……」



手に入れた力で行っていた種も仕掛けもない、純粋なサイキックショーを今また求められたら

どうすればいいのかわからない裕子は項垂れるも、そこでなぜかプロデューサーが言いにくそうに口を開いた。



裕子P「ユッコ、それなんだけど、実は……」



プロデューサーは何から言うべきか迷った後、淡々と裕子に説明していく。裕子の解放されていた脳の力は、

小惑星を逸らしてすぐに消えたことが検査で判明したこと。さらに裕子の力が消えたことで、これまで四ヶ月の間

裕子が行ってきたライブやショーはすべて人々の記憶や、あらゆる媒体の記録から消失していること。

さらには配信していた動画までも、最初から存在していなかったものとして、全て抹消されていること。

それらを同時に説明された裕子は目を丸くし、事情の飲み込みに数分使った後、驚きの表情で叫んだ。



裕子「……ええええええええええっ!?」



裕子P「うわっ!? び、びっくりした……ともかく、そういうわけだから」



裕子「じゃ、じゃあどうしてプロデューサーはこれまでのこと、覚えてるんですか!?」



裕子P「私だけじゃなくてちひろさんも覚えてるみたい。多分、ユッコの事情を知っていた人だけは忘れないようになってるのかも」



しかし、裕子を検査していたはずの初老の医者の男性までもが裕子のことを忘れていたのを思い出し、

少しだけ複雑そうな顔になったプロデューサーであったが、これはもう裕子には関係のないことだと

そのまま秘密にしておくことにした。





裕子「そうなんだ……結局、四ヶ月の間にやってたことは全部忘れられちゃったんですね……」



裕子P「あ、で、でも私が覚えてるから……!」



元気がなくなったように見えた裕子を慌てて慰めるプロデューサーであったが、顔を俯けていた裕子は、次の瞬間

嬉しそうにプロデューサーへと視線を向けてきた。



裕子「良かったです!」



裕子P「え?」



裕子「これで良かったんです! あんな力で有名になっても、きっといつか、嫌な終わり方をしていたと思うんです」



一瞬、プロデューサーのことを吹き飛ばしてしまった時のことを思い出し、それから裕子は頭を振って、明るく宣言する。



裕子「だから、これで良いんです! それに、記録も記憶もないなら、ここからエスパーユッコはまた出発ですよプロデューサー!」



心の底からそう思っているのだろう。拳を突き出しながら紡がれた、まるで悩みを感じさせない言葉にプロデューサーは

少し吹き出しながらも、裕子の拳に合わせるように自分の拳もまた突き出していく。



裕子P「ふふっ、ホント……言われなくても、また一緒に頑張っていこう。ユッコ、よろしくね」



裕子「はい! 2人でトップの座までテレポーテーションしちゃいましょう!」



そして2人は互いに拳をコツンとぶつけ合うのであった。



〈終〉





21:30│堀裕子 
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