2016年09月30日

渋谷凛「一行足らずの恋」


この紙を前にすると、ああ今年も春がやって来たんだなって実感する。





【年齢:17歳】。夏にはもう18か。





【身長:167cm】。ちょっとずつだけど、まだ伸び続けてる。



【体重:47kg】。さっき測った。お腹空かせたまま乗ったのはここだけの秘密。



【スリーサイズ:





 「……」



いや、大丈夫。

これから、これからが本番だから。

文香に訊いたらそう言ってたし。間違い無い筈だ。

次。





【好きなもの:ハナコの散歩、チョコレート】





 「……」





そこへ、いつものように書き足す一言。





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【好きなもの:ハナコの散歩、チョコレート、プロデューサー】







その一行をしばらく眺めてから、溜息と共に消しゴムを掛けた。











  ” 一行足らずの恋 ”







 ― = ― ≡ ― = ―





 「ん」



 「お、サンキュ」





埋め終えたプロフィール用紙を手渡すと、プロデューサーがさっと目を通す。

途中で一度だけ私と用紙を見比べて、最後に一つ頷いた。



 「うん。ありがとうな、凛」



 「ねぇ」



 「ん?」



 「今、どこ見てたの?」



 「どこって、いやほら……背だよ。背」



 「……ふーん」



 「本当だって」



 「他の娘にそういうセクハラしたら駄目だよ」



 「だから違うって」



一通りからかい終えてから笑うと、プロデューサーも困ったように笑って頭を掻く。





でも他の娘にしたら許さないのは本当。





 「そういや好きなんだっけか、チョコ」



 「そこそこね」



 「そこそこなのか」



チョコも、後は花とかも、そこそこ好き。

そこから大好きになると、ハナコとか、ライブとか、目の前の唐変木とか。

これ見よがしに大きな溜息をつくと、プロデューサーが怪訝な表情を浮かべた。



 「どうした」



 「別に」



 「分かったよ。訊かない」



 「ん。じゃあレッスン行ってくるね」



 「凛。成績表の方がまだだ」



 「……覚えてたんだ」



 「忘れるか。ほら」



返そうとした踵を再び返して、観念したように定期考査や模試の成績表を渡す。

何枚かめくると、プロデューサーは安心したように頷いた。



 「何だ。そう悪くないじゃないか」



 「そうだけど……志望校にはまだちょっと遠いし」



 「世界史と英語なら教えてやれるぞ」



 「苦手なのは数学なんだけどな」



アイドル兼高校三年生。それが私の今の身分。

いや、逆なのかな。

だから当然受験に備える必要がある。

親からも選択肢は多く持っていた方がいい、って言われてるし。



 「まぁ、俺も大学は行っておいた方がいいと思うよ。色々あるし」



 「色々あったの?」



 「……言われてみると胸を張れる程は無かったな。彼女が出来たくらいか」





意識の外から殴られて視界が揺れる。

落ち着け、落ち着いて。

ここはひとまず情報を引き出すべき場面だ。

進め、乙女。





 「…………へぇ。プロデューサー、彼女って」



 「プロデューサーさーん、少しいいですかー?」



 「あ、今行きます……悪いな凛、またレッスン後に」





ちひろさんの元へ向かうプロデューサーの背中を見送って、跳ねていた胸を押さえ付ける。

たった一言が、耳にこびり付いて剥がれない。





 「……いたんだ」





そりゃ、プロデューサーの事だからいてもおかしくはない。

好きになる人くらいいる。当然だ。好きな人くらい。





 「……」





黙っていると何かを叫び出しそうな気分だった。

暴れる鼓動は激しくなる一方で。

歯を食いしばって、視線を下げて、私は事務所を駆け出した。



 ― = ― ≡ ― = ―





アーニャほど綺麗な女の子を、私は他に知らない。





スカウトされて、私はアイドルになった。

だからまぁ、容姿はなかなか良い方なんだろう、って思っていた。

それから一年くらいが経って、初めてアーニャと顔を合わせた。



ああ、勝てない。そう思った。

口には出さないけれど、他のみんなもほとんどがそう思ったんじゃないかな。





しっかりと鼻筋の通った、けれどやや幼さを残した顔立ち。

何かを間違ったんじゃないかと疑うくらい、高い腰。

雪のように白いせいで、返って桃色に染まる肌。





本当に妖精みたいだった。

こんな女の子も居るんだと、神様が私をムリヤリ頷かせようとしてるみたいだった。





 「――これが、リュボフ……好きの気持ち、なんだと思います」





だから私は、こんな女の子も恋をするんだと、ひどく驚いてしまった。





冷房の効いた店内にも、外の蝉時雨が漏れ聞こえている。

チョコレートだってあっという間に参ってしまいそうな夏でも、アーニャは涼しい顔だった。



 「……そう、なんだ」



 「ダー。多分、だけど」



私達の他には、品の良いお婆さん二人組と強面のマスターが居るだけだ。

受験勉強の息抜きにと戦友を誘った喫茶店で、私はまさかの爆弾を手渡されてしまった。

アーニャにも、好きな人がいるんだ。



 「あのさ、アーニャ。その、好きな人って」



 「シトー?」



 「まさかとは思うけど……私のプロデューサー、じゃ……ないよね」





私の言葉に、アーニャがきょとんと目を丸くする。

しばらく間を置いて、堪えきれなくなったように小さく笑いを零し始めた。

世の男共を纏めて恋に叩き落としそうな笑みだった。



 「フフッ……イズヴィニーチェ。でも、違いますよ。凛」



 「……そうだよね」



 「とらないから、安心してください」



 「とっ……違うから」



正直、アーニャと争うような事になったら勝てる自信が無い。

違うって言うなら大変助かる。



 「夏は、暑いですね」



出し抜けにアーニャの放った一言に、思わず楓さんの顔が思い浮かんだ。

あ、いや、今のは駄洒落じゃないか。



 「でも、最近感じるぽかぽかは……暑さのぽかぽかとは違うって、気付きました」



 「……」



 「その人の事を考えると、夏でも、冬でも、いつでも、ぽかぽかして」



何て幸せな男なんだろう。

こんな娘に想われるなんて、こんな娘が好きになるなんて。

というか。



 「あのさ」



 「ダー」



 「アーニャの告白とか、断る人なんていないと思うけど」



そう告げると、アーニャは困ったように笑って。

それから、ゆっくりと首を振った。



 「私の好きな人、一番幸せになってほしいです。私より、好きな人を好きな人が、います」



 「っ、そんな」



そんなの、関係無い。

好きなら好きだって、そう言えばいい。





そう言おうとして、心の中の私に嘲笑われた。

その一言が言えない女は、一体どこの誰だ?







 「私の好きな人。好きな人を好きな人――私は、二人とも、とっても大好きです」





そこまで言われて、ようやく私にも分かった。



 「アーニャ――」



 「――北風と太陽……」

 (あつかったー……すずしー……)





カウベルを鳴らしながら現れたのは、身を漆黒のゴシック上下に包んだ蘭子だった。

そりゃ暑いよ。日傘以前の問題だよ。



 「プリヴェート、蘭子。レッスン、順調ですか?」



 「アーニャちゃん達が居ないと調子出ないー……」



 「来年は蘭子の番だよ。受験」



 「天の岩戸……」

 (聞こえないもん……)



蘭子語にもいつものキレが無い。

どうやら外はよっぽど暑いらしい。やっぱ無理があるでしょその服。



 「蘭子。まぁまぁ、パフェどうぞ」



 「わーい」



蘭子がやって来た途端、さっきまでの憂いを帯びた表情はどこへやら。

半分くらいになったパフェをにこにこ笑顔で蘭子へ差し出している。



 「プロデューサー、今日も元気でしたか?」



 「うむ。定められし封印を解き放たんとしていたわ」

 (うん。ジャケット着たくないー、ってぼやいてた)



 「蘭子もプロデューサーも、チョルニー……黒、好きですね?」



 「お揃い……じゃないかー」



 「……アーニャ」





アーニャの好きな人。

アーニャの好きな人を好きな人。





彼女は唇にそっと指を添えて、星も霞むようなウィンクを寄越した。





 「シクリエト、です」



 ― = ― ≡ ― = ―



 「じゃあ白地図問題。キプチャク=ハン国はどれだ?」



 「……B?」



 「お、正解。じゃあオゴタイ=ハン国は?」



 「Dかな」



 「外れ。Aだよ」



 「もう全部纏めて滅ぼしたい……」



 「全部滅びてるよ」





勝負の秋、らしい。

春が勝負とか夏が勝負とも言ってた以上、全く信用はしてないけれど。



 「まぁ、何だかんだ言って事務所来て勉強してる辺り偉いよ、凛は」



 「他にやる事無いし……」



 「あ、ポッキー切れ」



奈緒に世界史を教わりながら、加蓮と駄弁る午後の事務所。

色々試してみた結果、自宅や学校よりもここが一番落ち着く事が判明。

主に大人組から色々なちょっかいを頂戴しつつ勉強している。



アイドルは一時休業中だ。



 「もう勉強したくない……」



 「普段から勉強に身体を慣らしておかなかったからそうなるんだよ」



 「奈緒、何だかお母さんみたいだねー」



 「失礼なドラ娘だな全く」



 「トライアドドラムス……」



 「ドラ娘グループ? ドラマーユニット?」



こういう何の生産性も無い会話の間は特に捗る。

その内に頭が疲れてきたら軽くダンスレッスンをこなすループだ。

受験で休業中の間にも、身体が鈍らないくらいには運動を続けている。



 「そろそろ帰るかな。加蓮はどうする?」



 「あたしもゴロゴロし疲れたし帰ろっかな」



 「おのれ加蓮」



 「楽しいよ、華の大学生」



 「私も推薦にすればよかった……」



 「アレはアレで小論文とか面接とか面倒だけどね」



そもそも私の場合、内申点が足りないかも。

よく受かったね加蓮。



 「凛はどうする?」



 「ん……もう少し残る」



 「はいはいいつものね。私達は優しいから気を利かせてあげるから。ね、奈緒」



 「へいへい帰るぞ加蓮」



二人が居なくなると一気に周りが静かに戻る。

七時過ぎの事務所は人も幾分か減って、空調やタイピングの音が目立った。

しばらく勉強を続けて、ふと顔を上げる。



そろそろ、かな。





 「――お。今日も精が出るな、凛」





 「うん。プロデューサーもお疲れ様」



 「送ってくか?」



 「迷惑じゃなければ」



 「迷惑なんかじゃないさ。ちょっと待っててくれよ」



アイドルお休み中はプロデューサーと顔を合わせる機会も減るかな、って思ってた。

けれどプロデューサーはちょくちょく差し入れをくれたりして。

結局今でも、週に何度かは顔を合わせている計算になる。



 「調子はどうだ?」



 「もう勉強したくないかな」



 「じゃあ、何がしたい?」



 「アイドルがしたいよ」



何の気無しにそう返すと、プロデューサーが驚いたように目線だけを寄越した。

エンジン音が疲れた頭に眠気を誘って、目蓋が閉じないよう意識に活を入れる。



 「好きなんだな」



 「え?」



 「アイドル」



意外そうなプロデューサーの口調に、思わず笑ってしまった。



 「そりゃ、好きじゃなきゃこんなに続けてないよ」



 「そうか…………そう、だよな」



 「ふふっ……何。どうしたの急に」



 「いや」



プロデューサーの指が言葉を探すようにハンドルを叩く。

『お願い! シンデレラ』のリズムだった。

染みついてるの、それ?



 「今だから言うけど、最初は不安で仕方無かったんだ」



 「へぇ?」



 「新卒で入社したと思ったらアイドル捕まえて来いって言われるし、それで凛はちょっと恐いし」



 「食べたりしないよ」



 「でもまぁ、色々あってさ、今はこうしてアイドルが好きだって言ってくれるだろ」



 「うん」



 「それが……それが、嬉しくてさ」



 「……プロデューサー?」



 「え? あ……? 何だ、これ」



ふと横を見ると、プロデューサーの目には涙が浮かんでいた。

本人も驚いたような様子で、私から顔を逸らす。



 「悪い、凛。ごめん」



 「……別に、謝る事なんて無いでしょ」



 「ごめん……ありがとうな、凛」





 「格好悪い所、見せちまったな」





路肩に停まると、数分もしない内にプロデューサーの目は乾いていた。

わざとらしい咳払いにも似た唸りを上げて、再び帰り道を走り出す。



 「凛」



 「うん」



 「待ってるから」



 「うん」



 「入試なんてさっさとブッ飛ばしてさ。やろうぜ、アイドル」





 「うん。待ってるから」



 「おう」





プロデューサーの格好良い所、見ちゃったね。



 ― = ― ≡ ― = ―





 【冷やし中華、はじめました】





壁に掛けられたボードの一文を見て、思わず外へ目を向ける。

分厚いコートのおじさんや短いスカートの学生が、ポケットに手を突っ込んで行き交っていた。



 「気になるメニューでもあったか?」



 「いや、あれ……」



 「ん……? ……ん?」



ジュージュー。カコン、カコン。



ラーメン屋なんて久しぶりに入るけど、この賑やかさは嫌いじゃない。

厨房向かいのカウンターは変装用のメガネが曇るくらいに暖かいし。

ラーメンがお腹に入れば身体だって温まる。



 「すみません」



 「あいよ。お決まりで?」



 「あの……冷やし中華、やってるんですか?」



 「ん……? ああ」



壁のボードを見て、店長らしき旦那さんが笑った。



 「あれは年中掛けててね。春が暑けりゃ早く始めるし、夏が寒けりゃさっさと終わらせたり」



 「……なるほど」



 「どうしてもってんなら作れるけど、二つかい?」



 「いえ、俺は塩の大盛りで。凛は?」



 「私も同じの。普通で」



 「あいよー」



悪戯に笑った旦那さんが再び中華鍋をかき回す。

そういえば『冷やし中華、おわりました』の方は見た事無い気がする。

冷やし中華、意外に哲学的だ。



 「それにしても」



 「ん?」



 「ラーメン屋なんかでよかったのか? どこか連れてって、っての」



 「うん。あんまり遠くまで行く訳にもいかないし」



 「そりゃそうだが」



事務所からそう遠くない、でも今まで入った事の無いラーメン屋。

急なワガママにプロデューサーが頭を悩ませた末のお店だった。



 「プロデューサーと行くなら、どこだって楽しいよ」



 「そりゃ光栄だ」



お。今日の私の口はいつになく滑らかだ。

何か訊いてみようか。

でも、何の話を…………あ。



 「ねぇ」



 「おう」



 「彼女、いる?」



 「はっ?」



うん。自然に訊けた。

……うん。自然、だったよね? うん。



 「いるって……必要の要るか? 有無の居るか?」



 「じゃあ、両方」



 「じゃあって」



いや、気になるし。訊きたいし。



 「ほら、前に聞きそびれてたから」



 「ん? そんな話したか?」



 「大学入ったら出来たとか」



 「あー……言われてみれば」



 「それで?」



 「いないよ。半年も経たない内に自然消滅」





カウンターテーブルの下で拳を握った。

アイドルが出しちゃいけない握力が出てる気がする。





 「さっきの話だと、居ないから要る、ってとこだな」



 「欲しいんだ」



 「そりゃな、絶賛募集中だ。というか何だ凛。急に目を輝かせて」



 「乙女だからね。こういう話は大好物」



 「乙女はそういう事を言わないし、ラーメン屋にもついて来ないと思うぞ」



 「そういう事言っちゃうから彼女いないんだよ」



 「ぐ」



今日は良い日だ。

第一志望の二週間前だけど、この気分のままなら余裕で解ける気すらする。

かかって来い、入学試験。



 「で?」



 「ん」



 「凛の方はどうなんだよ」



 「……へぇ。気になるんだ」



 「おいその言い方は卑怯だろ」



乙女はどうか知らないけど。

女ってのはズルいんだよ、プロデューサー。







 「いるよ」







 「……どっちの意味だ? 一応言っとくが、凛はアイド」



 「あいよ。塩二丁お待ち、凛ちゃん」



旦那さんがカウンターの上に丼を置く。

プロデューサーがびっくりしたように旦那さんを見つめた。



 「よく店の前を通ってるからな。他の娘も。ほれ、棚に雑誌だって揃ってるぜ」



 「……本当だ」



 「それに、アンタの魅力は帽子とメガネぐれーじゃ隠せてない」



腕を組んで豪快に笑う旦那さんに、両手を挙げて降参。



 「ほら、プロデューサーも。話は後にして、食べよ」



 「……分かったよ」



 「飯は熱い内に食え、って未央も言ってたし」



 「本田さんも受験生だよな……?」



プロデューサーから手渡された割り箸を開く。

ぱきりと綺麗に割れて、うん、やっぱり今日は良い日に違いない。

そう意気込んで箸を入れようとして、気付いた。



 「……あれ、私のも……大盛り?」



 「冷やし中華の分のサービスさ。多いかい?」



魚介スープの良い匂い。鶏で作ったらしい二種類のチャーシュー。

食べ応えのありそうな、良い面構えの塩ラーメンだ。

後は私がどうするか、で。



胃袋、いける?

そう。その言葉が聞きたかったんだ。

乙女心はどう?





そうだ。彼女は出張中だった。





 「頂きます」





入試も大盛りも、今ならどんと掛かってこい。



 ― = ― ≡ ― = ―





 「ん」



 「お、サンキュ」





この紙を前にすると、ああ今年も春がやって来たんだなって実感する。





【年齢:18歳】。いわゆる華の女子大生。



【身長:167cm】。残念ながら今年は伸びず。でももう十分かな。



【体重:48kg】。レッスンでついた筋肉のせいであって、決してお菓子の食べ過ぎとかではない。





以下、中略。





 「凛」





 「ん」





【好きなもの:ハナコの散歩、チョコレート】





やっぱりいつもと同じ。最後に書き足した言葉に消しゴムを掛けて。

けれど私も、そろそろ次のステップへ進まなきゃいけないお年頃。





ただ、好きなら好きだって伝えられるほど、私は眩しくなくて。





 「……これ、どういう意味だ?」



 「さて、どういう意味だろうね」





だから。

今年は背が伸びなかった分、少しだけ背伸びをしてみたんだ。







 【備考:恋、はじめました】











今はまだ、一行足らずの。







おしまい。







23:30│渋谷凛 
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