2016年10月25日
藤原肇「方円の器」
身体を傾けて、けれど背には芯を一本。
力を籠めて伸し、されど押し潰さぬよう。
「ふぅっ……」
菊練りを終える頃には幾筋もの汗。
土へと零れないよう手で拭えば、私の頬はきっともう想像通り。
ぺしりと両頬を叩き、蹴ろくろを回します。
「……」
そっと指を入れると、土はゆっくりと姿を変え始めます。
少しずつ、少しずつ。
――大事なのは、焦らない事。
そう自身に言い聞かせ、やがて土は一つの形を成しました。
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「未熟」
数刻ぶりに開かれた、おじいちゃん……師匠の口からは、僅か一言。
その一言は、今の私を的確に射貫いていました。
「今日は、終いだ」
「はい。ありがとうございました」
頭を下げ、頬を拭いました。
すると、乾いた土がぽろりと零れて。
「……」
そろそろ、蝉の騒がしくなりつつある季節。
私は、陶の道に行き詰まっていました。
― = ― ≡ ― = ―
「ぅおわっ……たー……っ!」
「うぇるかむさまばけーっ!」
「ふふっ」
最後の科目である日本史も終了し、これで期末試験は全ておしまい。
にわかに解放感のあふれ出した教室のあちこちで笑顔の花が咲きます。
所々で萎れた花も見えますが、ええと……ご愁傷様です。
私も今回は上手く切り抜けられた為、安心して笑う事が出来ました。
「――うっし、パーッと遊びますか!」
「服でも見に行く?」
「それも良いけどー、時間あるし映画なんてどうよ?」
「おー、映画ね」
今日は二教科だけでしたから、HRが終わってもまだ午前。
幾ら受験生の身空とは言え、やっぱり遊びたくなるのはご愛敬で。
「はっちーは?」
「うん、お供しようかな。赤穂? 岡山?」
「肇、最近付き合いが良いよね」
「……そうかな?」
「ふふふ。この調子で良い子自慢のはっちーも一流の遊び人に」
「仕立て上げないの。ま、勉強ばっかじゃ誰だって参っちゃうか」
漫才を始めた友人に、思わず笑いが零れました。
家業の事もあり、確かに私は付き合いの良い方だとは言えません。
ただ、最近はそういった寄り道やお出掛けに行く事も多くなりました。
最もその理由は、彼女の言う受験だけに限らないのですが。
「ちなみに、何を観るの?」
「ハリーポッター!」
「あー、後編だっけ。珍しいよね」
ハリー・ポッターと死の秘宝。
子供から大人まで楽しめる正統派のファンタジーです。
そういえば、前編を観に行ったのもこの三人だったっけ。
「……魔法、かぁ」
何とはなしに零した独り言に、二人が花を咲かせます。
「良いよねー魔法。手から炎出したい」
「何に使うのそれ」
「さぁ……キャンプファイヤー?」
「いつやるのそれ」
「さぁ……」
じりじりと暑くなりつつある下校路に連なる制服の群れ。
あと半年でこの服ともお別れかと思うと、少し胸は寂しく。
けれど今はそれよりも、考えるべき事が山積みで。
「魔法……かぁ……」
――思い描く器を創り出せる魔法。
そんな呪文を唱えられる魔法使いさんが、この世のどこかに居るのかな。
見上げた七月の空は、心ばかりのそよ風で応えてくれました。
― = ― ≡ ― = ―
土を捏ねるでもなく、ろくろを回すでもなく。
私は何となく、工房の壁に掛けられた書を眺めていました。
『水随方円』
おじいちゃんらしい無骨な書体で書かれた四文字。
古代中国、儒教の言葉だと、おじいちゃんには珍しく、丁寧に教えてくれた言葉。
これはまさに器を表す言葉だ、と。
「……『人の心は、水心』」
水は方円の器に随い、人は善悪の友に依る。
水はその器によって形を変え、人はその友によって心を変える。
器の形を作るのではない。
器こそが、形を作る。
「……」
私は、棚に並ぶ乾燥中の器たちを覗き込みました。
備前に限らず、一つの器を作るのには長い時間が掛かります。
この器たちは、静かに身体を休める時期にありました。
『色が無い』
おじいちゃんの言う通り、私の器には色が足りません。
色と言っても、赤や青など、本当の色を指している訳ではなく。
色気、味わい、個性――それらを総称し、『色』と呼んでます。
ここ暫くはそれに掛かりきりでした。
色とは何か。どうすれば色が出るのか。
私は座りの悪くなった工房を飛び出して、そこら中を探し求めていたのです。
買い食いしたクレープ。
化学式の暗記。
お風呂の後の梳き方。
夏祭りのお手伝い。
「……はぁ」
頭巾代わりの手拭いを脱ぎ、私は工房を抜け出しました。
水面に煌めく陽は眩しく、虫たちの声が騒がしい。
この釣り場はいつだって、いつも通りの色を感じさせてくれました。
針に小虫を引っ掛け、静かな流れに放り込みました。
一瞬だけ小さな波紋を残し、すぐに元通りに流れ始めます。
握った竹竿の感触を確かめ、私はその場で目をつむりました。
チチ、チ、チィッ。
ちゃぷん。
リリリリ、リリ。
ざぁ、ざぁあ。
世界には音が、光が、色があふれています。
どんな闇にも、どんな寒さにもそれらは隠れているのです。
藤原肇の音。藤原肇の光。藤原肇の――
「……!」
ぴんと、竿がしなりました。
いえ、しなっているのにようやく気付けたのです。
「ふっ」
竿を引き、かなりの手応えを感じました。
そしてその感触を噛みしめる前に、ぱきんという音が耳を叩いて。
「…………あ」
確か、これで六代目だったでしょうか。
手製の竹竿さんは中途から真っ二つに折れ、糸と共に流れ去っていきます。
針と、大物と、形容し難い何かも、一緒に。
「……」
手元に残された一握の節を見つめます。
力一杯握りしめてから、勢い良く水面へと叩き付けました。
中空の竹は私の力を伝える事無く、僅かな水飛沫が立つだけで。
我に返った私は、肩で息をしていました。
目元がじわりと熱くなって、それをそれと認めたくなくて。
ぎゅっと目を、先程よりもずっと強くつむって、私はその場に寝転がりました。
水心なんて、分かりたくもありませんでした。
― = ― ≡ ― = ―
「この分なら問題無さそうだな。感心感心」
藤原家の食卓は豪勢です。
いえ、正確には違うのかも。
高級食材をふんだんに使っている訳でもありません。
ただ、少なくとも数百万円ほどが掛かっているのは事実です。
並んでいる器は全て藤原の窯から生まれたもの。
おじいちゃんの焼いた三桁は下らない大皿があり。
父の捏ねた工芸展へも出せる小鉢が並び。
私の作った二束三文の茶碗も混ざっています。
「化学はもう少し勉強だな。陶芸にも役立つぞ」
「うん。次の模試で挽回したいな」
おじいちゃんは寡黙ですから、自然と話題の中心は父になります。
保守的なおじいちゃんとは対照的に、父は新し物好きです。
いつだったか、曜変天目を作れないか試行錯誤を重ねた事もありました。
「……」
おじいちゃんの器も、父の器も、そこには確かな色がありました。
ただ一点、昔からどうしても気になっていた事があるのです。
「……どうかしたか、肇」
「あ、ううん。何でも無い」
おじいちゃんは自身の焼いたものではなく、何故か私の茶碗を使うのです。
それも、私が陶芸の真似事を初めて以来、ずっと。
幼少の私が捏ねたそれは不格好な茶碗ですら、自ら選んで。
「それで、明日からはどうするの? 講習とかあったりするのかしら」
鯖の小骨を取りながら、母が訊ねてきます。
母も昔は陶芸をやっていたそうですが、私が生まれると同時に退いたとか。
「うん。来週から始まるよ」
「そうなのか。肇、悪いがちょっと手伝ってほしい件があってさ」
「え?」
「週末、展示準備の人手が足りなくて。駆り出されてくれないか」
「分かった。いいよ」
「助かる」
明日から、夏休みでした。
― = ― ≡ ― = ―
「……?」
中央公民館で搬出入のお手伝いを終え。
休憩がてらに掲示板を眺めていると、その中に珍しいチラシが一枚。
「ツアーライブ?」
ホールがありますから、コンサートや演奏会は時たま開催されています。
ただ、純粋なライブというのは今まで聞いた事がありません。
席も固定されていますし、第一わざわざここで開く意味も分かりません。
岡山の方が人も、広い会場だってあるでしょうに。
日付を確かめてみれば、今日。六時間後の十八時から。
入場料、無料。チャリティーライブか何かでしょうか。
出演者……うーん、聞き覚えがありません。
「肇ー。お疲れ様。帰るぞー」
「あ、うん」
駐車場へ向かう父へ返事をし、私も歩き出します。
出口の自動ドアを通る前、掲示板の方へ少しだけ振り返りました。
「――ん……」
冷房の効いた自室。
英語の長文読解を終え、軽く背伸びを一つ。
時計を見れば、結構な時間、集中して取り組めていたようでした。
「あ」
十七時過ぎ。
ふと、昼に見かけたチラシの事を思い出しました。
「……」
シャープペンシルを回しながら、くるくると考えを回します。
もう一度時計を確認して、私はクローゼットの前に立ちました。
― = ― ≡ ― = ―
「お母さん。今日は夕飯要らないです」
「あら。お友達とお夕飯?」
「えっと、そんな所」
「そ。次はもうちょっと早く教えなさいな」
「ごめん。行ってきます」
「行ってらっしゃい」
母に頭を下げ、家を出ました。
「はっ……はっ……」
この季節の備前は風鈴の音色に満ちています。
夕方に入り涼しくなった風が吹く度に、街のあちらこちらで澄んだ音が響いて。
小走りだった私は、気付けば腕を振って走り出していました。
「はぁ……ふぅ……」
公民館へ辿り着いたのは十八時を少し過ぎた頃。
防音設備がしっかりしているのか、歌は聞こえて来ませんでした。
受付席に座る、やたら派手な緑の服を着た方に頭を下げます。
彼女はにこりと笑うと、脇にあったホールへの扉を手で指し示しました。
「ふぅ……」
扉の前で一度呼吸を整えて、重厚なドアノブを握りました。
『――お! 同い年の娘かなっ? ヘイ! カマンボーイ!』
『ガールだよ』
『さぁさぁ、前の方へどうぞ! 皆さんも、是非っ!』
扉を開けた途端、ステージ上に居た女の子達にマイクで語りかけられました。
ホールを半分ほど埋めていた人達もこちらを振り返って、中には手を振る方もいました。
「…………あ、はい……?」
面食らってしまった私は聞こえる筈もない返事をして。
おっかなびっくり、ステージすぐ傍の席まで進みます。
そして、明らかにライブらしくはない、ふかふかの椅子へ腰を下ろしました。
『いよしっ! それじゃあ場もあったまった所でー』
『……あったまってるの?』
『……あ、あったまってますよね、皆さんっ!?』
慌てたように見回す女の子に、会場から笑いが起きました。
若い方の姿はそう多くなく、どちらかと言えば年配の方が多いかも。
コンサートライトを振る姿もごく僅かで。
『ふふっ。じゃあ、気を取り直して』
『――お願い! シンデレラ!』
そこからの時間は、私にとって全く未知のものでした。
同い年くらいの三人組が元気良く唄います。
かと思えば、次は小学生くらいの子が奇天烈な歌を叫び。
出演予定だった一名が腰の負傷で出られない点を途中で詫びつつ。
アイドルというよりもモデルのような方が見事な声を響かせました。
僅か一時間と少し。
唄ったのは計五曲。
初めて見たミニライブは、光と音と。
そして何より、色に満ちあふれていました。
― = ― ≡ ― = ―
公民館を出てすぐの椅子に座り、私は風に耳を澄ませました。
公演が終了した今でも、目を閉じれば余韻が頭の中にたなびきます。
遠く響く備前風鈴の音色に、弾けるような色が重なりました。
「こんばんは」
「……え? あ、えっ、と……こんばんは」
「はい、こんばんは」
声に目を開けて、私はまだ寝惚けているのかと首を振ります。
目の前に居たのは見間違えようも無い姿。
ステージ衣装を脱ぎ、お洒落な洋服に身を包んだ、長身のアイドルさんでした。
「実はですね」
「は、はい」
「プロデューサーが貴女をナンパしたいそうで」
「――ちょ、ちょっ、楓さんっ!?」
曲がり角の向こうから、慌てたように飛び出した顔。
メガネを掛けた、スーツ姿の男性でした。
「スカウト! スカウトですから!」
「ふふっ、ちょっとした冗談ですよ」
「洒落になってませんよ」
「あら、お上手」
「前にやりませんでしたっけ、このネタ?」
事態を理解する暇も無く、目の前で漫才が始まりました。
えっと、アイドルさんではなく、芸人さんだったのでしょうか。
いえ、それよりもまず。
「……スカウト?」
「……あ。そう、本題はそれです。ええと」
男性が私へ差し出したのは一枚の名刺。
何かの本で読んだ通り、そっと両手で受け取りました。
そこに書かれていたのは、やたらに長いカタカナ。
そこに描かれていたのは、片方だけのガラスの靴。
「アイドルに、興味はありませんか?」
受験と陶芸とで詰め込み気味だった頭が、新たな情報さんを迎え損ねました。
掌の名刺と掛けられた声を処理しきれずに、私はただ呆然としたままで。
「……アイドル、ですか? 私が?」
「ええ、貴女が」
「この人、見る目は確かですよ。実は私もこの人にナンパされまして」
「スカウト」
「そうでしたね」
「ちょ、ちょっと待ってください」
再び始まりかけた漫才を制して考えを纏めます。
まず、何よりも問うべき事は。
「……どうして、私なんですか?」
「アイドルの器はバッチリだな、と感じたので」
世界が音を無くして、私は息を呑みました。
「これが社長の言う『ガツンと来た』なのかなぁ、って思ったり」
喉が、脚が震えだして、口はただ魚のようにパクパクとするだけで。
突然、頭の中に無骨な四文字が浮かびました。
「……私は、歌を知りません。私は、そんな器ではありません」
「いや。貴女はきっと素晴らしいアイドルに、シンデレラにだってなります」
「プロデューサー、そろそろ私も褒めてください」
「この後飲みに行きましょう」
「やったー」
「いま、歌や踊りは関係ありません。私は、ライブ中の貴女に惹かれました」
隣でステップを踏み始めたアイドルさんを置いて、男性が話を続けます。
「貴女はとても楽しそうで――少し、悔しそうに見えました」
見る目は確かという彼女の評は、決して間違っていないのでしょう。
彼の言葉は余す所無く私の感想を言い当てて見せました。
「……でも、それだけで」
「あ、それだけじゃありませんよ?」
「え?」
「プロデューサー、お昼にここへ打ち合わせに来たんですけどね」
「ちょっ、楓さん今その話は」
「お手伝い中の貴女を見かけて、『うわすっげぇ。楓さんあの娘めっちゃ美人ですね』って」
「……」
「『アイドルになってくんないかなー……でもお仕事中っぽいしなー』って」
にこにこと笑うアイドルさんの横で、彼は目を泳がせていました。
よく泳いでいました。
「……プロデューサーさん、で、宜しかったでしょうか」
「あ、はい……」
「お話、全部聞かせてください」
にこりと微笑むと、アイドルさんが微笑んで、彼の肩に手を置きました。
何となく、彼女とはとても仲良くなれそうな気がしました。
― = ― ≡ ― = ―
そもそも今回のツアーは、採算度外視の宣伝目的でして。
会場規模は問わないからとにかく全国十二都市を回るぞ、と社長が。
楓さん、頬を突っつかないでください。
ええ、プロダクション設立してまだ一年も経っていないんですよ。
こっちの楓さんもこの冬に所属したばかりで。
楓さん、背中を突っつかないでください。
今はとにかくアイドルも社員も足りなくて。
どうもかなりの人数を短期間でかき集めたいらしくて。
ええと、楓さん。突っつかないでください。
え? ああ、ウチはシンデレラをシンボルにしているんですよ。
いや、そうですね。王子様と言うよりは魔法使い?
あの、楓さん。ちょっとおとなしくしててください――
――後ろから高垣さんに弄られつつ。
向かい合ったプロデューサーさんは、事のあらましを説明してくださいました。
「私は、陶の道を志しています」
じゃれ合っていたお二人が、ぴたりと動きを止めました。
こちらを向いた四の瞳を、私は真っ直ぐに見つめ返します。
「なので」
「展示室には、貴女の作品も?」
続けようとした言葉を遮り、プロデューサーさんが公民館の中を指差しました。
「……ええ。以前に入選した器を一点、飾らせて頂ける事になりまして」
「拝見したい」
「そろそろ閉館ですが」
「どうしても」
「……では、案内します」
「ありがとうごふぁあす。はええはん、ほおほふわはないへ」
「はーい」
窓口の方に頭を下げて、私たちはショーケースの並ぶ展示室へ足を踏み入れました。
「まぁ……素敵」
陶芸博物館には敵いませんが、それなりの数の陶器が飾られています。
小さなお猪口から、二抱えはある大皿まで。
プロデューサーさんを案内しようとすると、隣に彼の姿はありませんでした。
「……」
通路の間をゆっくりと歩き、飾られた作品の数々を眺めていました。
私は開き掛けた口を閉じ、彼の後ろをついて行きます。
そしてその歩みが、ぴたりと止まりました。
「――藤原……はじめ、さん?」
「……どう、して」
未だ伝えていなかった私の名を、彼は見事言い当てました。
数々の器に紛れるようにして飾られた、私の茶碗をじっと見つめながら。
この中から見つけ出すなんて、それこそ……それこそ。
「魔法使い……?」
「はは、そうだったら良かったんですけどね」
「プロデューサー、ひょっとしてお昼に情報を仕入れてたとか」
「いえ、皆さん忙しそうなので話し掛けられませんでした」
「なら……どうして」
プロデューサーさんが顔を上げ、展示室へ手を広げました。
「先ほど、藤原さんは『陶器』や『作品』ではなく、『器』と言っていましたね」
「はい」
「それを聞き、壺などではなく食器だろうとアテをつけました」
「……」
「更に、湯呑みや皿ならそう言うでしょうから、椀か鉢だろうとも」
「でもプロデューサー。それだとまだ二十点以上はありますよ」
「名前ですよ、楓さん。明らかに男しか使わない名前を弾いたんです」
作品の横には小さな札が並んでいます。
製作年月日、製作者の氏名、賞の名称。それだけが。
「そうすると、残りはこの茶碗三点。明さん、薫さん、肇さんの三点になります」
「……決め手は。決め手は……何だったんですか?」
「貴女らしさを感じました」
プロデューサーさんはそこで言葉を切って、私へと向き直りました。
自然と私の方も、ぴんと背筋が伸びてしまいます。
「藤原さんの熱、藤原さんの色――藤原さんの志を」
その一言に何かの糸が途切れて、私は立っていられなくなりました。
「――う、ぁ、ひくっ……うあぁっ……!」
「えあのえっ!? 藤原さんっ!? ご、ごめん! 何か気に障る事を……!?」
「いーけないんだいけないんだー。しゃーちょーに言っちゃーおー」
「いやいやいや違いますから! ごめん藤原さん! ホントごめんなさい!」
抑え込んできた熱がこみ上げて、私の中から出ていきます。
あの頃の私を、あの頃の志を思い出して、それが胸へ突き刺さりました。
痛くて痛くて堪らなくて、私は高垣さんの腕の中で泣きじゃくります。
「私は……わたしはっ……!」
幼子のように声を上げて泣きました。
悔しさと不甲斐なさと苛立ちを全て混ぜ込んで、人目もはばからずに涙を零し続けて。
嗚咽が止まり、職員の方へ頭を下げ、外の風を感じた頃。
辺りはすっかり闇に染まって、幾つかの星が瞬いていました。
― = ― ≡ ― = ―
「初めて人の為に作った器なんです。二年前、母の為に」
掌の缶ココアの冷たさが、ようやく頭も冷やしてくれました。
高垣さんが、ワンカップを却下され手渡された缶コーヒーを呷ります。
「プロデューサーさんは、良い目をお持ちですね」
「え?」
「器を見る目もありますよ。今の私は、あの頃の私に敵いません」
とにかく良い器を作ろうと打ち込んでいた日々。
ふと思い立ち、誰かの為に作ってみようと頭を捻った器。
窯から出した際の、驚いたようなおじいちゃんの表情。
「腕は、上がりました。色は、薄れていきました」
その器を超えようと、来る日も来る日も陶芸に打ち込む日々。
確かにあったその何かは、徐々に色を亡くしていきました。
「……ライブ、とても楽しかったです。ありがとうございました」
今なら、高垣さん達の色を感じた今なら、何かが掴めるかもしれません。
空き缶を籠へ放り、お二人に頭を下げました。
踵を返して歩き出し、その歩みが止まります。
私の腕を、白魚の様に細い右手がそっと掴んでいました。
「肇ちゃんは、それでいいの?」
「……はい」
「楽しかった以上に、悔しくはなかった?」
「……」
「肇ちゃんは」
「楓さん」
プロデューサーさんに肩を叩かれ、高垣さんが頷きました。
上手く二人の顔を見られない私へ、彼は変わらない口調で語りかけてくれます。
「藤原さん。アイドル、やってみませんか」
「……私には、陶芸がありますから」
「それでもいい。何かを掴む為に、挑戦してみませんか」
「アイドルを、逃げ道にしてしまうのが怖いんです」
「これほど真剣に器と向き合える貴女なら、何も恐れる事はありません」
「……」
「『色』という藤原さんのお考え、大変興味深かったです。連絡、お待ちしております」
下げられた頭を見られないまま、プロデューサーさんが歩き去って行きます。
腕に感じていた熱が離れて、涼やかな風が肌を撫でました。
「私、高垣楓って言うんです」
「はい」
「実を言うと、小粋な冗談とお酒に釣られてアイドルを始めまして」
「はい」
「実を言うと、夢はトップアイドルなんです」
「……」
「大器晩成、っていう言葉がありますよね」
「……は、い」
「私もまだまだ、アイドルは分からない事だらけで」
「……」
「お互い、頑張っていきましょうね」
「……はい」
「大きくなった肇ちゃん、楽しみにしていますから」
そうしていつも通り、聞こえるのは風と虫と風鈴の音だけになりました。
辺りは闇に包まれて、月明かりだけがただ明るく。
騒ぎ出した風が、私の中に燻っている僅かな熱を吹き飛ばそうとしていました。
彼女達はきっと、明日からも誰かの為に唄うのでしょう。
あの鮮烈な光と、音と、熱と、色とを伴って。
「……方円の、器」
ふと見上げると、夜空には真ん丸のお月様が浮かんでいました。
― = ― ≡ ― = ―
水面に煌めく陽は眩しく、虫たちの声が騒がしい。
この釣り場はいつだって、いつも通りの色を感じさせてくれます。
「……」
ただ目を閉じて、流れに糸を垂らしていました。
世界には音が、光が、色があふれています。
どんな闇にも、どんな寒さにもそれらは隠れているのです。
藤原肇の音。藤原肇の光。藤原肇の色。
まだまだ微かだけれど。
私が確かにもっているもの。いつか掴めるようになりたいもの。
その日に想いを馳せようとして――
――それらを塗り潰すような、とある色がまぶたの裏に焼き付いて、離れませんでした。
「……」
ぴんと、竿がしなりました。
私は目を閉じたまま、竿から伝わる流れに身を委ねます。
「……!」
そして、一息に竿を引きました。
ぱしゃりと水飛沫を上げ、目の前にぶら下がった影。
それは実に可愛らしい、イワナさんの子供でした。
「ありがとう」
針を外して流れへ逃がせば、すぐにその姿は見えなくなりました。
糸を竿へ巻き直し、立ち上がって大きく伸びをしました。
「よし」
気の早い私の両手が、作務衣の袖を捲りました。
― = ― ≡ ― = ―
盆を終え、八月も半ばを過ぎました。
日差しはますます厳しさを増し、山にヒグラシの合唱が響き渡ります。
珠になった汗を拭いながら、父が一週間ぶりに窯の扉を開きました。
すっかり冷まされたとはいえ、未だ窯の中は熱が篭もっています。
足を踏み入れて数分後には、たちまち全身汗みずく。
焼き上がった器たちを順に運び出していくと、待ち望んでいた顔に出会えました。
「……ふふっ」
被っていた灰を払うと、カボチャのような窯変模様が姿を現します。
丁寧に器を改めていた背中を前に、深呼吸を一つ。
吸い込んだ灰と熱で少しむせて、落ち着くのに少し時間が掛かりました。
「師匠」
振り向いた師匠へ、出来上がったばかりの器を差し出します。
今の私を全て注ぎ込んだ、何の衒いも無い湯呑を。
「未熟」
掌の上の湯呑をじっと見つめて、一言。
言い足りない様子で、師匠は更に言葉を継ぎました。
「酷い器だ。勢いばかりで寂びも無い」
「はい」
「展示会どころか、人様の前に出せる出来ですらない」
「はい」
そして私の頭に、煤だらけの手を置きました。
「色は少し、出てきた」
頭を下げると、師匠は再び器たちを検め直しました。
緩まぬよう両手で押さえれば、私の頬はきっともう想像通り。
「師匠」
「……」
「私、やってみたい事があるんです」
「やってみろ。甘くはないぞ」
背を向け、器に視線を注ぎながら呟きました。
その顔を覗き込もうとした父へ、師匠は鬱陶しそうに手を払いました。
父が笑いながら退散し、師匠は溜息を一つ。
「トップアイドル、目指してみます」
がしゃりと音を立てて、師匠の手から小鉢が零れ落ちました。
備前焼は頑丈で有名ですから、この程度では割れたりしません。
取り落とした小鉢もそのままに、師匠がゆっくりと振り向きました。
「…………アイドル?」
「いえ、トップアイドルです」
「……そうか、トップアイドルか」
真剣な面持ちで何度か頷き、師匠はそのまま横に倒れました。
窯の中にどすんという音が響いて、舞い上がった煤と灰が立ちこめます。
靄のような煤を払えば、視線の先には私より先に灰まみれになった姿があって。
「ぷっ」
「……肇が…………アイドル…………」
「――あははははっ!」
灰と煤と汗にまみれて。
我慢出来ずにお腹を抱えて。
水を得た魚のように。
転がり始めた器のように。
私は随分と久しぶりに、いつまでもいつまでも笑い続けていたのでした。
おしまい。
08:30│藤原肇