2016年11月02日

藤原肇「Happy Endで始めよう」


モバマスSSです。

プロデューサーはP表記。

一応、地の文形式。









SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1474596775





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一つの備前焼の器を作るには、一か月という長い時間がかかります。



ろくろを使って成形した作品を10日ほど乾燥させて、その後配置などを考慮しながら、時間をかけて器を窯に詰めていきます。

そうして窯に火が入ると、徐々に温度を上げながら1週間かけて焼いていきます。焼き上げて火を止めた後は、じっくりと器の温度を下げるため、これまた1週間ほど待つことに。



焼き上げてから1週間が経ち、ようやく今日、窯から出す時がやってきました。

火を止めてから、今か今かと待ちわびていた窯出しです。



少しずつ窯から取り出される沢山の器の中から、私が仕上げた器を手にします。

一番に念を込めた二つの器は、ともに仕上がりといい、色合いといい上出来ではないだろうか。

祖父に見せると、「悪くない、良い感じだ」と、祖父からのお墨付きも得られました。



いよいよ、あの人に送る時が来た。そう思うと、喜びと不安が混ざった感情が心の中に現れたのでした。







割れないように丁寧に梱包すると、母からは「いつになく包むのに時間がかかるわね」とからかわれました。

少し顔が熱くなったのを感じながら、宅配便の用紙に宛先の住所と名前を書いていきます。



送り主の名前には、ちょっとした悪戯を。



この贈り物を見て、私だと気が付くだろうか。この贈り物の意味に気が付くだろうか。

もしかすれば、贈り物の意味を分かってもらえないかもしれない。下手をすれば、私だと気が付かないかもしれない。もう、4年も会ってないのだから。



あの4年前の約束を信じて、互いの想いを信じて、私はこの合図を送り出しました。





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朝のラッシュ時間ということもあり、東京駅は多くの人でごった返していた。



スーツだらけの人混みにいるおかげで、少しかっちりした服を着ているにもかかわらず、自分だけがぽっかりと浮いているかのように思える。



そろそろかなと思っていると、ホームにけたたましくチャイムが鳴り出し、青帯の入った白い車体の新幹線が滑り込んできた。

地面に置いていた、荷物をそれなりに入れて重くなったリュックを、再び背負う。



比較的早くからホームで立っていたため、ドアが開くとすぐに車内に入ることができた。指定席を確保しているから、あまり関係のないことだが。



二人席の窓際を指定した俺は、窓際に買っておいたコーヒーを置き、本やちょっとした書類を取り出した後、リュックを上の棚に押し込んだ。



遠くからドアの閉まる音がすると、程なくして静かに新幹線が動き始めた。

この新幹線とは約3時間半の付き合いの予定だ。



プロデューサーとしてではなく一個人として遠出をするのは、かなり久しい気がする。







こうして有休を使って新幹線に乗ることになったのは、一週間ほど前に起きた出来事のためだ。

大きなライブも終わり、ようやく一息つけるとほっとしていた時に、宅配便でとある荷物が送られてきたことが発端となる。



送り主の名前のない、「ワレモノ注意」のシールが貼られた小さな段ボール箱が、自分宛に送られてきた。

時たまある嫌がらせか何かかと思い処分しようと思っていたら、住所だけはなぜか書かれてある。



その住所をよく見ると、見覚えのある住所だった。



送り主が誰なのか半ば分かった気もしながら、小包を開けてみると、茶色の地に、青のような灰色のような、美しい色合いも見られる茶碗が一つ。

釉薬がかかっていないために、ザラリとした質感だが、温かみのある器だ。





送り主の正体が、はっきりと分かった。

4年前の記憶と共に。







事務所に自分宛で送られてきた小包の中身をまじまじと眺めていると、

ひょいと後ろからちひろさんが現れ、それを覗きこんできた。



「茶碗ですか。ってことは、送り主はもしかして…?」



「はい、そうみたいです」



そう俺は答えると、ちひろさんはにんまりと笑った。



「それで、プロデューサーさんはどう答えるんですか?」



「へっ?…な、何のことですか?」



自分自身が今思案していたことを衝かれ、思わずとぼけた。



「ふふっ、誤魔化しても無駄ですよ?大体のいきさつは知ってますから」



「…」



ちひろさんからは、何でもかんでも見透かされているような気がして、つい閉口する。

本当この人にだけは秘密を作ることができない。







「でもお茶碗ですかあ…時々思ってましたけど、あの子って意外とロマンチストですよね」



「この意味、分かりますか?」



「あら?プロデューサーさんは分かりませんか?」



少し悪戯っぽい顔をしながらちひろさんは尋ねた。そういう顔をするときは特に、年を感じさせない人だなとつくづく思う。



「…いや、分かりますよ。あの子らしいなって思いながら、眺めていました」



そう言って俺は、再び送られてきた茶碗に視線を向けた。



男性が使うよりも一回り小さい、いわゆる女性用の茶碗。

この茶碗ひとつだけでは物足らない、何か足りないと思わせるような、寂しげな色合いの茶碗である。



「じゃあ、やることは一つじゃないですか」



ちひろさんは続ける。



「プロデューサーさんは、そろそろ自分に正直になってもいいんじゃないですか?あの時はあの時、今は今ですよ」



「もう、プロデューサーさんも十分待ったわけですし…あの子からすれば、十分待たされたわけですから」



急かすような、諭すような口調でちひろさんは言った。

その言葉に背中を押されたこともあり、会いに行くことに決めた。







今、その茶碗は割れないよう再び包み、リュックの一番上に入れてある。



あの子と初めて出会ったのは7年前。新卒で入社して1年が経ったとき、初めて担当を任されたアイドルだった。

最後に会ってからもう4年以上会ってない。



新幹線に乗ってからしばらく本を開き眺めていたが、頭の中がチリチリとする感覚がして、どうも頭に入ってこない。

とうとう会うということの高揚感か。または、いよいよ会ってしまうという緊張からか。



ぐいとコーヒーを一口飲んで、ふうと一息つく。

新横浜を出発したが、隣に座る人はいないようだ。



本を閉じ、代わりに音楽プレーヤーを取り出した。

シャッフル機能にして再生ボタンを押すと、最初に流れてきたのは、大滝詠一の「フィヨルドの少女」だった。







つい、その曲の題名から、あの子とノルウェーへ仕事に行ったことを思い出した。

確かあの時は、幸子と麗奈とみちるも一緒だったと記憶している。確か、5、6年前のことだ。



ようやくプロデューサーとして板についてきた時に舞い込んできた大きな仕事で、この上ない喜びとプレッシャーを感じながら、先輩のプロデューサーたちと一緒に必死にやり抜いた。



色々反省点もあったが、プロデューサーとしての自信も付けさせてくれた、思い出のある出来事だ。

おかげで、他の3人のアイドルたちとは、担当でもなかったのに今も仲が良かったりする。



二人で過ごす時間もかなりあったから、あの子と色々な話もしたりと、楽しく過ごした。

陶器を多く置いている雑貨屋に連れて行ったときは、あまりに熱中してしまい2時間近く居続けた気がする。

あの子が俺にと選んでくれたマグカップは、今でも事務所で大事に使っている。



ノルウェーでの仕事も評判となって成功に終わり、トップアイドルとしての道も見えてきたという時だ。





あの子から、担当アイドルであった藤原肇から、告白を受けた。





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「…アイドルになると決めなかったら、今のような華やかな世界を見ることはできなかったと思います」



「私だけだと、きっと変われなかったと思います。でも、そんな私を変えてくれたのはPさん、あなたです」



「自分というものを表現出来なかった私を、少しずつ変えてくれた…!」



「そんな人だからこそ、私は惹かれたんだと思います」



「Pさん、私、あなたのことが!…」



「肇、駄目だ」



「えっ…どうしてですか?私のこと嫌いですか?」



「嫌いなんてことはないさ。むしろ肇のことが好きだし、こうして告白してくれるなんて本当に嬉しいよ」



「そ、それならどうして…!」



「それは、俺たちはアイドルとプロデューサーだからだ」



「…っ!」



「そういう立場である以上、互いが同じ気持ちになってたとしても、それ以上の関係にはなれない」



「そう、ですよね…ごめんなさい、Pさん、出過ぎた真似をしてしまって…」



「いや…こっちこそ、すまない」



「いえ、悪いのは私ですから…でも、ずるいなあ…」





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それは、一昨日の夕べのことでした。



私の部屋でくつろいでいる時に、メールが届きました。

宛先は、私がアイドルだった頃のプロデューサーからでした。



『明後日の昼頃、そちらへ伺います』



思わず、机の椅子に座っていた私は飛び上がりそうになりました。私が数日前に送り出した合図を、受け取ったのでしょう。そして、応えてくれた。



私がアイドルを辞めて4年が経った今も、時々彼と連絡を取っています。

内容は、今日あった出来事やその日のお仕事のことなど、あくまで事務的なもの。



「会いたい」などということを、送る勇気はありませんでした。



その後、藍子ちゃんからもメールが届きました。

メールの最後には『よかったね♪』と一言。



とうとう会える。そうした胸の高鳴りが現れると同時に、

4年前あの人と会った、最後の日のことを思い出しました。





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「…はい。お陰様で、私はトップアイドルになれました。悔いもありません」

「Pさん、今まで本当にありがとうございました」



「こちらこそありがとう。俺も肇のプロデューサーであることを、誇りに思うよ」



「Pさん、もしよければ、お願いが…」



「ああ、いいぞ」



「あの時の返事、改めて聞かせてくれませんか…?」



「あの時?」



「私が、告白したときです」



「…それは、嬉しかったよ。肇みたいな娘に好きだとか言われて嬉しくないわけがない。少しだけ、プロデューサーという立場であることを恨んだくらいだ」

「でも、何より肇の将来を考えると、受け入れることはできなかった」



「私の将来、ですか?」







「よく俺たちはシンデレラと魔法使いに例えられる。プロデューサーは魔法をかけて、女の子をアイドルというシンデレラにする」

「でも、それまでだよ。俺たちプロデューサーは、落としたガラスの靴を拾う王子様ではないんだ」



「今日からはアイドルではない、ただの藤原肇ですよ?」



「けどな、肇」



「私、今でもあなたのことが好きです。この気持ちは、ずっと変わらないと思います」



「…そんなことはないさ。まだまだ見る世界が狭かっただけだ。大学や社会に出たら、もっと魅力のある人にきっと会える」



「それじゃあ、こうさせてください。…もし、私がこれからも他に惹かれる方がいなければ、私から合図を出させてください」



「合図?」



「はい。そして、その合図を受け取ったら、Pさんなりの答えを出してもらえませんか?」



「俺が他の人とくっつくかもしれないんだぞ?」



「構いません。その時は、その時です」



「…相変わらず、頑固だなあ」



「ふふっ、こればっかりは、おじいちゃん譲りなので」





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ちょうど高校を卒業する節目でもあったということもあり、あの子は18歳でアイドルを卒業した。

故郷の家族のもとに戻りたいという気持ちが高まりつつある中で、地元の国立大学に合格したことは、地元に戻る決心を強めたそうだ。

トップアイドルに登りつめ、人気絶頂の時に表明した引退は、芸能界を大いに沸き立たせた。



最後に会ってから4年。一応だが、近況報告を時々していた。

今どんなことを勉強しているだとか、今日は誰々の仕事だった、など。



そうした事務的な報告のようなこと以外は、特にそういう取り決めをしたわけでもないのに、互いに示しを合わせたように連絡をしなかった。



代わりに、あの子は藍子とよく連絡を取り合っていたようで、時々俺も藍子から話を聞いたりしていた。

あれは藍子が肇の実家に遊びに行った後のことだっただろうか、帰ってきた藍子から「バカっ」と言われた。



我ながら、本当に馬鹿だと思う。

結局、あの子のことを忘れられなかったからだ。心の奥底で、合図が来るのを待っていたのだ。



新幹線は少しずつ減速をし始め、車内に響くアナウンスは、岡山への到着を告げた。







岡山駅で降り、在来線へと乗り換える。



本数の少ない在来線特有の乗り継ぎの悪さもあり、20分ほど待って乗車した。

岡山から東へ、40分ほど揺られる。



先ほど新幹線で通った場所を、少しばかり戻ることになる。

そのため、岡山に着く前に一瞬ではあったが、目的地の町並みが新幹線の車内からちらりと見えていた。



岡山を出て10分ほど経つとビル群は消え、窓の外には田園風景と、遠くに山々が広がり始めた。

何度か通った、見覚えのある懐かしい風景だ。







ぼんやりと外の風景を眺めているうちに、目的の駅に到着した。

駅舎は備前焼の資料館も併設しているため、それなりに大きい。



意外と冷たい風が吹いてきて、思わず身をすくめる。天気予報の通り、北風が少し吹いているようだ。

駅舎の外では、まばらに人々が行き交っていた。



一つ隣の駅まで行くと、すぐそばに海が広がっているのだが、それを感じさせないまでに四方に山が広がっている。

空一面に浮かぶうろこ雲は、高い所に張り付いていた。



ここからしばらく北側の山の方へ歩くことになる。

タクシーを使うというのも手だったが、早く着いてしまうとおそらく心の整理がつかないだろう。



胸が早く鳴っていることが、歩いていても分かるほどに強く打ち始めていた。





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いつ来るのだろうか。もうすぐ来るのだろうか。

そういった考えが頭の中で渦巻いて、朝から全く落ち着かない状態が続きます。



昼食を作る手伝いをする間もあまり手が付かず、母からは苦笑される始末。

昼食を家族でとっている間、祖父は相変わらずの不愛想な表情で、父はいつもより少しばかり仏頂面になっていました。



心を落ち着かせるために、昼食を済ませた後は工房でろくろを回していたが、当然ながらそんな心理状況ではまともに土を形にすることができない。

ろくろを止めて、出来上がったものを見てみると、あんまりにもひどいものでした。







隣にいる祖父はいつも通りクルクルとろくろを回し、見事なまでに手早く器を成形します。

相変わらず無心に作業をしているなあと眺めていましたが、表情はよく見ると、口元が緩んでいました。

自分自身の心中を見透かされたような気がして、気恥ずかしくなります。



すると、祖父はすくりと立ち上がり、手に付いた土を流して戸の方へ歩いて行きました。



「おじいちゃん、どうしたの?」



と私が聞くと、



「気分転換だ。散歩してくる」



そう言って工房から出て行きました。





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流石は備前焼の里ということもあり、陶器の販売店や、窯元の看板があちこちに見えた。



近くの田はもうすぐ収穫時なのだろう、黄金色に染まっている。

何度か歩いたことのある道であったため、4年以上歩いていない道だが、小道も迷うことなく選んで進んでいく。



あの子が実家に帰る際、近況報告と称して連れられた時に二人で通った道だ。

「私の地元を案内したい」と言われ、この町を一緒に巡ったことも懐かしい。



今は、実家の窯元の手伝いをしながら、地元の振興の活動をしたり、陶芸関係の雑誌のインタビューを受けて、備前焼の魅力を伝えようと努めているそうだ。

また、自分自身も陶器作りの勉強を続けているらしい。



4年も姿を見ていない、あの子は一体どんな姿になっているだろうか。



会ったとき、まず何と話しかけたらいいのだろうか。



本当に、自分が合図の返事を答えていいのだろうか。



そうした思考が頭の中で駆け巡る中、ふと前に意識を向けると、見覚えのある家屋が現れていた。







砂利が敷き詰められた敷地に足を踏み入れると、足の裏に独特の感触と共に音が立つ。

工房や陶器の直販店も兼ねているため、相変わらずの広さだ。



玄関の方に行こうとしていたら、その隣にある物置の傍に、藍染めの作務衣を着た人影が見えた。

あの子の祖父だった。



数十分歩いていたために丸まっていた背筋が、思わずピンと伸びる。

一礼すると、むすりとした顔つきをしながら近づいてきた。自然と、身構えてしまった。



「ご無沙汰しております。突然お邪魔してしまい申し訳ありません」



唇の震えを抑えようと努めながら、俺の方から話しかけた。

しかし、祖父は開口一番、



「遅い」



「…えっ?」



「男なら、届いたその日か次の日には飛んででも来んかい」



いつ会っても口数の少ないあの子の祖父が、矢継ぎ早に言葉を繰り出す。

4年も孫を待たせおって、とか、そもそも立場捨ててでも一緒になるくらいの覚悟を持っておけ、など…

ひたすら恐縮するしかなかった。







あの子の祖父はふうと息をつくと、少しだけ表情を和らげて言った。



「肇は奥の工房にいるから、早く行きなさい」



「はい」



「息子も出かけてしばらく戻らんし、わしも散歩に行ってくる。しばらく誰も工房には来んじゃろ」

「今日こそビシッと決めんかったら、もう知らんぞ」



「…ありがとうございます」



ぶっきらぼうな言い方だが、背中を押された気がした。



「おおそうだ、息子にはわしが話をつけとくから、安心せい」



少しだけ、察しがついた。つくづく、頭が上がらなかった。







一番奥にある工房へ歩いていく。



右側に大きな縦長の窯と、高くそびえたつ煙突が見える。

今日は窯に火が入っていないようで、近くを通っても熱は感じない。



窯を通り過ぎると、すぐ工房だ。



入り口の戸を叩こうとした手が、ふと止まった。



一度、深呼吸をする。

何を躊躇することがあるのだろうか、もう、言うべきことは決まっているのに。



戸を数回叩くと、しばらくして「はい」という女性の声がした。



迷うことなく、だがゆっくりと戸を引いた。







工房の中には、臙脂色の作務衣を着た若い女性が一人。こっちを見るやいなや、少し驚いたように目を見開いた。



先に口を開いたのは俺の方だった。



「肇…だよな?」



「…はい。お久しぶりです、Pさん」



そう言ってその女性はニコリと微笑んだ。

やはり、肇だった。



「ああ、久しぶり」

「…いや、驚いた。すごく綺麗になってたから、別人かと思ったよ」



つい、本心が出た。高校生の頃は、子供特有のあどけなさや可愛さも残っていたが、その面影は消え、まさに美人となっていた。

もともと長めだった髪を、さらに少しばかり伸ばしているようだ。



「あら?昔の私はそうじゃなかったって言いたいのですか?」



「いや、そういうわけじゃなくて…」



口ごもっていると、肇はくすくす笑って、



「冗談です。私だって、もう23ですよ?お酒も飲める年になってますから」



「確かに、そうだな」



「ちょっと待っててくださいね、着替えてきます。流石に作務衣では…」



肇はそう言って、手に付いた土を洗い流し、工房を出て家に向かった。





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私の部屋がある2階へと、駆けるように階段を上る。



私が4年間待ち焦がれた人がとうとうやって来たのだ。

飛び上るほど嬉しい気持ちを隠そうとしたあまり、つい意地の悪いことを言ってしまいました。



Pさんの「綺麗になった」という言葉が頭の中でリフレインします。

嬉しさと恥ずかしさが入り混じり、手で顔を覆いたくなるほどに。変に顔がにやけてないだろうか、顔が真っ赤になっていないだろうか。

鏡で確認する。少し顔が赤くなっているけど、このくらいなら大丈夫そうだ。



作務衣の紐を解き、クローゼットからお気に入りの洋服を手に取ります。



ふと、私の机の上に置いてある、大きめの茶碗が視線に入りました。

一つだけ置かれてあるその茶碗は、なんだか寂しげに見えました。







「…すみません、お待たせしました」



駆け足で工房に戻ると、Pさんは焼く前に乾燥させている器をまじまじと見ています。

着替えて工房に戻る時に母とすれ違ったとき、恐らく事情を察したのでしょう、くすくすと笑っていました。



「どうされましたか?」



「いや、久しぶりだったから、つい色々と見たくなってさ」



「その辺りは、私が作ったところですよ」



「そうだったのか」



「最近は、壺も作れるようになりました。昔は湯呑や茶碗で精いっぱいでしたけどね」



「壺は難しいの?」



「大型の球体を作るのは、やっぱり神経を使いますね」



「へえ、面白いな」



「Pさんのお仕事の方は、最近どうですか?」



「最近また新しい子が事務所に入ってさ、才能はあるんだけど一癖あって中々大変だよ」



そう言って、あははとPさんは笑いました。懐かしい笑い声です。



「藍子も順調に仕事してるぞ。まだ公表してないからあんまり大きな声では言えないけど、映画の主演も決まった」



「わあ、そうなんですね」



何気ない会話が、続きます。







「でも、懐かしいな…駅からここまで歩いてきたけど、色んな事思い出したよ」



「駅からだと結構遠くなかったですか?」



「確かに遠かったけど、辺りを見ながらだとそんなに苦にはならなかったよ。ああ、あの沢で釣りをしたなあ、とか色々と思い出して」



「ああ、確かおじいちゃんと3人で…」



確かあの時に、祖父はPさんのことを気に入ってくれたのでした。



Pさんは話しかけてくれない、と気落ちしてましたけど。語らずとも分かるものは分かる、と祖父は言って笑ってたのを思い出しました。



「さっき、ここに来る前におじいさんに会ったよ」



「何か言われましたか?」



「近づいてきて早々、『遅い』って言われたよ。後は色々と…今までおじいさんに会ってきた中で、一番まくし立てられた気がする」



私は苦笑してしまいました。



厳しくしつけられることもあったが、どこか優しい。よく周りからは親バカならぬ「爺バカ」だなんて言われてるとか。

そんな私のおじいちゃん。



「本当でも、いいおじいさんだよなあ」



「…はいっ」



私の、大好きなおじいちゃん。

そのおじいちゃんを好きだと言ってくれる、私の…







「そうだ」



思い出したように、Pさんは足元のリュックのファスナーを開け、一つの小包を取り出しました。



「…先週、茶碗が届いたよ。綺麗な茶碗で、届いた後しばらく眺めてた」



「私からのものだって、すぐに気が付きましたか?」



「ああ、住所を見てすぐに。名前を書いてないのも肇らしいなと思ったけどさ」



Pさんは包みを解くと、先週私が贈った茶碗が姿を現します。

茶色の地に、青みがかった灰色のグラデーションがかかった茶碗。



「肇、一つ聞きたいことがあるんだけど」



「何ですか?」



「この茶碗、女性用だよな?」



「あっ…もしかして小さかったですか?そのくらいの大きさで丁度いいと思って作ったのですが…」



「えっ…本当に?」



「…ふふっ。なんて、Pさんの言うとおり、それは女性ものの茶碗です」



またちょっぴり意地悪をしてしまいました。でも、私の意地悪に対するPさんの反応、よかったと安堵するその反応は、4年前と全く変わりません。



「良かった…ってことは、夫婦茶碗の一つってことだよな」



「はいっ、そういうことです」



少しずつ、合図の答え合わせが始まります。







「そう思って、今日この茶碗を持って来たんだ」



「ガラスの靴を持つ王子様のような気持ちになりませんでしたか?」



「やっぱり。この茶碗は、ガラスの靴の代わりだったんだな」



Pさんはちょっと困ったような顔をしながらも、口もとを緩めました。



「ちょっとキザっぽかったですか?」



「正直…結構クサかったかな?」



しばらく考えて編み出した私渾身のアイデアをそう言われると、ちょっとムッとする。



「そんな膨れっ面にならない。そもそも、落としてもないガラスの靴を自分から送りつけて、それを持って来させるなんて無茶苦茶だろ?」



「それも、そうですね」



確かにそうだと、自分のおかしさに吹き出しました。

つられてPさんも笑います。







「それに、私、今でもまだシンデレラなんですよ?」



「へっ?」



Pさんはきょとんとした顔で私を見ました。



「外の窯があるじゃないですか。あの中って定期的に掃除するんですけど、灰がたくさんついていて、掃除し終わったらいつも体中灰まみれになってしまうんです」



高温下で窯の中に舞う灰が、器と反応することで備前焼特有の美しい模様を作り出します。

しかし、当然ながら窯の内壁にもこびり付くことになり、定期的に灰を取らなければ、作品に影響が出てしまうのです。



「それで灰かぶり…つまりシンデレラってことか」



「そういうことです。私の場合は、好きで灰かぶりになってますけどね」



Pさんは「確かに」と言って、くすりと笑いました。



「シンデレラがただの陶芸好きの私なら、想い人は誰でも王子様になるんですよ。たとえその人が、アイドルにとっては魔法使いであるプロデューサーでも」



「…」







「…肇。それで、合図を送ってきたってことは…そういうことなのか?」



会話がしばらく止まった後、Pさんは声のトーンを下げ、一層真面目な口調で私に尋ねました。



少し気持ちの整理をして、私は口を開きました。



「…正直、忘れた方がいいのかもって思ったときもありました。でも、忘れようとすればするほど、ダメでした」

「時々メールでやり取りする時も、会いたいと何度も打ちたく思いました」



藍子ちゃんが泊まりに来て私とPさんの話になった時、色んな気持ちが出たのもあって思わず泣いてしまいました。

一番会いたい人と会えないなんて、一番好きな人と結ばれないなんて、どうしてこんなに辛いのだろう、と。



私は続けます。



「大学でも、色んな男性とお話ししました。優しい人もたくさんいました。でも、彼らが見てたのは、元アイドルとしての藤原肇でした」

「結局、等身大の私を一番理解してくれるのは、Pさん、あなただけなんだと改めて気付かされました」



「…」



Pさんはずっと私の方を見て、話を聞き続けていました。







「…お互い変わらないなあ」



「えっ?」



Pさんがぽつりとつぶやいた一言に、ふと反応しました。



「俺も実を言うと、ずっと忘れられなかった。心の中で、肇から合図が来てほしいってずっと待ってたんだ」



「そ、それじゃあ…」





ドクン、と胸が鳴った。





「ああ、正直に言うよ。肇、君のことがずっと好きだった。いや、今でも…ずっと肇のことを愛してます」





何年もの間、待ち望んできた言葉でした。私が答える言葉は、ただ一つ。



「…はいっ。私も、あなたを愛しています。この気持ちは、ずっとずっと変わりませんっ」







頭が真っ白になりそうになりながら答えると、今までの緊張がどっと抜けたためか、私はへたり込みそうになりました。



「お、おい…肇、大丈夫か?」



すぐにPさんが支えてくれます。



「ごめんなさい、つい力が抜けちゃって…」



「でも…ふふっ、やっとあなたの口から、好きと、愛してると、言ってくれました」



「…一応、あの時はそれ相応の立場ってものがあったからな」



恥ずかしそうに、Pさんは頭を掻きます。



「おかげでずっと待ってたんですよ?…Pさんの、バカ」



「うぐっ…本当にゴメン」



「本当ですよ、本当に…あれ?」



気が付くと目から涙が溢れていました。



「肇」



ふとPさんは私を抱きしめました。



「肇、待たせてしまってごめんな。でも、待っててくれて本当にありがとう」



胸元の優しく暖かい感触が私の頬に当たります。その暖かさに堪えきれなくなり、堰を切ったように彼の胸の中で涙を流してしまいました。







落ち着いたのは、それから10分ほど経ってからでした。



「もう、大丈夫か?」



「はい…ごめんなさい。つい、お見苦しい所を…」



「いや、元はと言えば俺が悪いわけだし。それに正直…泣いてる姿かわいかった」



「かわっ…そんな目で見てたんですか?」



ひどい人です。私の醜態を、そんな目で見ていたなんて。



「いや、かわいいって言うのは語弊があったな。愛おしいっていうか…肇をもう二度と悲しませないように守らないとだな、って」



「…Pさんのお顔、真っ赤ですよ?」



「肇の方こそ」



これ以上にないくらい、頬が熱くなっていることに気が付きました。

互いに目を見合わせて、くすくすと笑います。







「なあ肇、そういえばもう一つの茶碗ってどこに置いてるの?」



「えっと、私の部屋に置いてます」



「見せてくれないか?」



「はいっ、勿論ですよ。だってあなたのお茶碗ですから」



「…よし。挨拶もしなきゃいけないし、行こうか」



「みんな温かく迎えてくれると思いますよ。あっ、お父さんだけはもしかしたら…」



「あー…やっぱり、お父さんは反対なの?さっきおじいさんから『息子には自分から言っておく』って言われてさ」



「きっと本心では喜んでますから、気にしないでください。それに、お父さんとお酒も飲んで話したりして一緒に何日も過ごせば、きっと許してくれるはずです」



「えっ、急に泊まっても大丈夫なのか?」



「大丈夫ですよ。何日かお休み貰ってますよね?」



「確かに、休みは何日か取ってるけど…」



「じゃあバッチリです。まだまだ私の町でPさんに教えたいところ、たくさんありますから!ささ、早く行きましょう!」



「ち、ちょっとそんな引っ張らないで…まったく、強引なところは変わらないなあ…」





4年も会えなかったのですから、それくらいわがままを言ってもいいですよね。

だって、幸せな時間はもうここにあるのだから。





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「…よしっ」



鍋の火を止め、味噌汁の味を確認する。よしよし、今日もいい塩梅に仕上がった。



身に着けたエプロンを外して畳みながら、隣の部屋にいるPさんに呼びかけに行くと、ちょうど電話の最中でした。



「…はい、ありがとうございます」



「では、お義父さんとお義母さんにもよろしくお願いします」



「えっ?…あ、あはは…善処します。ではまた、はい」



電話を切ると、私に気が付きました。



「Pさん、夕飯の準備ができましたよ」



「分かった、ありがとう。お皿とか箸を出すよ」



「いえいえ、大丈夫ですよ。Pさんは食卓で待っててください」



そう私が言うのに、Pさんが「ご飯時はそれくらいしか俺はできないから」と言っていつも手伝います。

事務所の仕事が忙しいにもかかわらず、皿洗いや、風呂掃除といった家事もいつもしてくれるから、それくらいは別にいいのにと私は思ってしまうけど。







「さっきの電話、もしかしておじいちゃんからですか?」



「うん。元気にしてるかっていう電話」



「もう、相変わらず心配性なんだから…」



私たちの会話と共に、カチャカチャと重なった皿が運ばれる音、コトリとその皿を置く音が食卓に響きます。



「それで、おじいちゃんは他に何か言ってました?」



「二人が元気なら十分結構、自分たちもピンピンしてるから安心しろって。あと…」



Pさんは口ごもりました。



「あと?」



「その…もう結婚して1年経つわけだし、ひ孫はまだか、って…」



「あっ…」



部屋がしんと静まり返る。顔が赤くなるのを、感じる。Pさんも、恥ずかしさからか頭を掻きながら目をそらします。

…一応、努力はしているのだけれど。



「…早く、ご飯の準備済ませようか」



「は、はいっ、そうですね」



再び、部屋に食卓の音が響き始めました。







炒め物を大皿に移すと、Pさんが運んでいきます。



「さっきからいい匂いがすると思ったら、これだったのか。ご飯に合いそうだな」



その料理は、今日の自信作。そう言われると、私もつい機嫌が良くなってしまいます。



「ご飯も今よそっていいですか?」



「うん、お願い」



ご飯をよそおうとした時、茶碗をふと眺めてしまいました。



「肇、どうした?」



「いえ、なんでも」



二つの茶碗は色も風合いも似ているけれど、片方が小さく、もう片方は一回り大きい。

私が昔作った、備前の夫婦茶碗だ。







ああ、二つあるからこそ、二つの茶碗が並ぶからこそ、暖かくて美しいのだなあ。



そうつくづく思いながら、私はご飯をよそった茶碗を食卓に置き、彼に微笑んだのでした。



















おわり















17:30│藤原肇 
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