2016年12月14日

幸子「今日、私はボクを卒業します」

事務所から外に出ると冷えた空気が頬をはたきます。

11月の末とはいえ、この冷え込みは相当です。



夜空には厚く雲がかかっていて星は隠れていますが、見上げた視線をゆっくり落としていくと、街のあちこちでイルミネーションが輝いています。

迎えの車を待ちながら、私は人工的な星の瞬きを眺めていました。





SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1480150836



「今夜は特別冷えるなぁ」



プロデューサーさんがエアコンの設定温度をいじりつつ言います。

大丈夫だと思いますけど、運転中ですから気を付けて下さいね。





「それにしてもすごい量になったもんだ」



後部座席をチラリと見れば、事務所のみなさんからのプレゼントが山のように積み込まれています。

ファンの方からのプレゼントはまだ事務所にあります。数が多くてちひろさんもチェックしきれてないようです。

「そんな主役をひとり占めなんて、プロデューサーさんは幸せ者ですね」



「確かにひとり占めはよくない。ここから走って帰るか?」



「まったく素直じゃないですねぇ」





「こんなやり取りも毎年だからな……もう10年、か」

10年。プロデューサーさんのこぼした言葉を反芻しながら、ふと思います。

アイドルになってからがむしゃらに走り続けて、気が付けばもうそんなに経ったんですね。





10年という月日は様々なことを否応なく変化させます。

まだ私がボクだったころの事務所のみなさんも引退した人が多いですし、新しい子も同じくらい入ってきました。



私自身、身長も伸びて、もう142'sと言えなくなりましたね。

髪だって今は自慢のサラサラロングヘアです。外ハネは健在ですけど。

「さっきからぼーっとしてるがどうした?」



「ちょっと昔を思い返してただけですよ」



「昔ねぇ……幸子のボクっ娘も何だか懐かしいもんだ」



「よしてください、恥ずかしいです」



「20歳のときだったか、変えたの。最初はよく言い直したりしてたし、無理やり矯正した感じだったよな」





そう、あのときからボクは私になりました。中々慣れなくて苦労しましたよ。

でも、必要な変化でしたから。

「その話はいいじゃないですか。昔といえば、最近お仕事の内容も変わってきましたね」



「あぁ、体張ったものは少なくなったかな。バラエティでも司会進行のアシスタントとか増えたし」



「当時の川島さんのような?」



「そんな感じだな。そういえば今日は川島さん、あーいや、もうその苗字じゃないのか……幸子と誕生日同じだったっけか」



「はい、“Happy birthday to you and me!”ってメール来ましたよ」



「結婚しても相変わらず楽しい人でなにより」

しばらくすると、私の住むマンションが見えてきました。

車はそのまま地下へ、慣れた動きで指定の駐車スペースに停まります。





「せっかく立派な駐車場があるんだから、車買ったらどうだ? 免許持ってるだろ」



「企画で取らせた人がなに言ってるんですか」



“輿水幸子、免許を取る”と銘打ったバラエティの1コーナーで、普通免許を取得するまでを追い続けた密着取材型企画でしたね。

なかなか好評だったようで続編もあり、そんなわけで二輪免許まで持ってます。

「俺は『免許取ろうか悩んでるんですよ、運転するボクもカワイイでしょうからね!』の一言から仕事につなげられる敏腕Pだからな」



「スカイダイビングのときもそうでしたけど、私の会話から仕事に結び付けるの好きですね」



「どんな些細なことも聞き逃さないと言って欲しいね。で、実際買う予定もないのか?」



「あったら便利でしょうけど必須とまでは思ってないですし、車持ったらプロデューサーさんの車を置くスペースがなくなっちゃいますから」



「担当プロデューサーはお抱え運転手じゃないぞ?」



「そういう意味じゃないですって、まったくもう」



「ほら、プレゼントは俺が持つから幸子は鍵だけ準備しといてくれ」

駐車場からエレベーターでエントランス前に出たら、カードキーを端末に差し込みます。



このマンション、エントランスと部屋の鍵が別なので少し面倒です。引っ越す気はないですけど。



寮を出て一人暮らしをすると決めてから、ママとパパが色々と都合してくれました。

そんな両親に安心してもらうためにもセキリュティのしっかりした物件を選びましたし、これくらいで文句を言ったらバチが当りますね。





1度だけゴミ出しの際にエントランスのキーを忘れて慌てたことはありましたが……ラジオで話す種に出来たので良しとしましょう!

エントランスからまたエレベーターに乗って上階へ。

自宅のドアに鍵を差し込んで回すと、カチャリと乾いた金属音が廊下に響きます。





「プロデューサーさん、ちょっと待ってて下さい」



「いや、プレゼント置くだけだからあがるつもりは」



「いいですから! すぐに終わるので!」

返事も待たずに中に入ったら、部屋全体を見回します。

さすが私、特に散らかっていない整理整頓の行き届いた完璧な部屋です。住人に似るんでしょうね。

そのままベランダ、寝室、トイレ、バスルームと確認をします。

洗濯物も干していないので、洗濯機の蓋さえ閉めたら大丈夫でしょう。





「お待たせしました、私の部屋に招かれることを感謝しながら入ってください!」



「おう、まことよきかなー。プレゼントはどこに持ってく?」



「そうですね、ではキッチンカウンターの上までお願いします」



「それじゃ、お邪魔しますっと」

「プロデューサーさんは適当に座っててください。いま私が紅茶を淹れてあげますからね」



「いや、さっきも言ったがあがるつもりなかったからお構いなく」



「もうバッチリあがってるんですから無効ですよ。ほら、座ってください!」



プロデューサーさんはしぶしぶといった具合にソファに腰を下ろしました。





見慣れた私の部屋に、見慣れたプロデューサーさんが座っている。

たったそれだけのことなのに、胸の奥がほのかにあたたかくなるのを感じます。





私は貰ったプレゼントの束をガサゴソと漁ります。桃華さんから紅茶葉を頂いたので、それを淹れるつもりです。

「何か手伝うことあるか?」



「プロデューサーさんは落ち着きがありませんね、座って待ってることもできないんですか?」



「手持無沙汰は落ち着かない性分でね。プレゼントに生花もあるだろ、お茶は後でいいから先にそいつらを何とかするぞ」



「むー、わかりました。ではお花をばらしておいてもらえますか。私は花瓶を持ってきます」

「幸子は普段自炊とかするのか?」



台所のシンクで花を活けながらプロデューサーさんが訊きます。



「えぇ、寮にいる間に色々教えてもらったので一通りは作れますよ」



私は他のプレゼントを開封して、包装紙を畳みながら答えます。





「ほう、案外ちゃんとやってるんだな。」



「案外は余計ですよ。私を誰だと思ってるんですか」



「輿水幸子。俺の担当する自慢のカワイイアイドルだよ」



「フフーン! わかってるじゃないですか。そんなの当然ですけどね♪」







あぁ、やっぱりダメだ。

いつもはからかい半分のプロデューサーさんが素直に褒めてくれるだけで、こんなにも心が弾む『ボク』がいます。

こんなにもあたたかくて、切なくて……。『ボク』の気持ちを抑えきれなくなりそうです。

気付けば作業が止まってしまっていて、あわてて未開封の箱を掴みます。

たまたま手に取った長方形のそれは、楓さんからの贈り物です。





幸子ちゃんと同い年のものにしてみたの――



受け取ったとき、そんなことを言ってました。箱の形状、重さからも中身は想像に難くないです。



何だか、楓さんに背中を押された気がしました。

「幸子、花束は全て済んだぞ。そっちはどうだ?」



「あ、はい! まだ終わってないです!」



「数が多いから無理もないか」



「いいですよ、ひとまずここまでにします。今度こそ座って待っててくださいね」





いつもは滅多に使わないアレは確か、キッチンの引き出しに。

「お待たせしました」



「これワインじゃねーか。車だから飲めないって」



「乾杯するだけです。プロデューサーさんは飲まなくていいですから、ね!」



「……乾杯だけだぞ」



「はい、それでいいです。ではどうぞ!」



「俺が開けるのかよ!」



「何言ってるんですか? 私の誕生日で主役なんですから当たり前ですよ!」



「あーわかったよ。ちょっと貸してみろ」

ワインとオープナーを受け取って開けようとしますが、恐る恐るといった感じで何だか面白いです。





「なぁ……これはこの使い方で合ってる?」



「プロデューサーさんはワインを開けたこともないんですか?」



「あるわ! 俺の知ってるコルクスクリューと形が全然違うんだよ」



「これは女性でも開けやすいタイプですからね。力はいりませんので、そのままゆっくり回してください」







そのうちにポンと心地いい音がして、無事にコルクが抜けました。

プロデューサーさんがグラスに注ぎます。



注ぎ終えたグラスを持ち上げると中の紅い液体が小さく波打って、そのたびに良い香りがします。

ワインには明るくないので詳しいことは分かりませんが、このワインは美味しいのだと香りから理解できました。違いの分かる私です。







「では、幸子の生誕を祝して――」



「はい――」







「乾杯」







グラスを軽く合わせると、小さな鐘の音が静かな部屋に生まれました。僅かな、それでいて確かな余韻を残して。

再び静寂に包まれた私の部屋で、プロデューサーさんは目を細めてグラスワインを見つめています。

味覚以外の五感で味わっているような、そんな感じです。







そして、プロデューサーさんには申し訳ないですが、私は違います。



グラスの液体を一口で飲み干しました。

「ちょ、幸子は飲んでも構わないが酒そんな強くないだろ。ワイン一気にあおったら回るぞ」



その通りです。

すでに体の奥が熱くなっている感覚がします。心臓も高鳴っています。

でも、それはワインのせいだけではありません。





「プロデューサーさん、ボクの話を聞いていただけますか?」



「もう酔ったのか? 一人称がボクに戻ってるぞ」



「わかってます。私じゃなくて、ボクじゃなきゃ駄目なんです」







ついに言ってしまいましたね。



でも、覚悟はできました。『ボク』はもう止まりません。

幼いころから両親にカワイイと溺愛され育てられました。実際カワイイですからね。



このカワイさを世界にアピールするため、アイドルになると決めました。

カワイイ自分をもっと見てもらうために。褒めてもらうために。愛してもらうために。





でも、そのうちに。

プロデューサーさんに褒められたいと。



プロデューサーさんに認められたいと。





アイドルを続ける理由が自分のためでもファンのためでもなく、貴方のためになっていました。



いつの間にか貴方への信頼は、好意に変わってしまいました。

自分の気持ちに気付いてから、たくさん悩みましたよ。アイドルに恋愛なんてご法度です。



ファンのみなさんのために。プロデューサーさんのために。

『ボク』の想いは胸にしまって、『私』がアイドル輿水幸子でいるために。





そうして、この気持ちは伝えないことに決めました。

「――なんて、言っちゃいましたけど」



「……」





私が私でいれば大丈夫、だと思ったんですけど。

私と呼び出して4年が経っても、ボクが消えるどころか大きくなっていって。





「私でいることに、ちょっと疲れちゃいました……自分の気持ちに蓋をするって、シンドいですね」





「幸子、俺は」



「待った! 最後まで言わせて下さい……わかってますから。ケジメ、なんです」



「……あぁ、わかった」











「プロデューサーさん、ボクは貴方が大好きです」











沈黙のなか、心臓の鼓動だけが大きく聞こえます。

プロデューサーさんにまで聞こえてしまうんじゃないかと心配なくらいです。



どれくらいの時間が経ったんでしょう。数秒とも数分とも思える時間でした。





「幸子、ごめん。その気持ちに応えることは出来ない」





「……はい、そう言うと思ってましたよ」





キッパリと振ってくれました。

それでも、胸の奥の詰まっていたものがすっと軽くなったような気がします。

「これからは胸を張って自分のことを私と呼べます。明日からもプロデュース、お願いしますね」



「あぁ任せとけ。それと、ありがとうな」



「こちらこそ、です」





ふと窓に目をやると、カーテンの隙間から白い粒がちらちらと舞っているのが見えました。



「わ、雪ですよ! ベランダ出ましょう!」

窓を開けると冷えた空気が頬をはたきます。

厚い雲で星は見えませんが、その雲から粉雪が舞い落ち、街中のイルミネーションに溶けていって。

それはまるで星屑に包まれているかのようで。





そんな景色を眺めていたら、瞳から涙がぽろぽろと溢れます。

ボクの気持ちも、涙からその星屑に溶けていけばいいのに。



20:30│輿水幸子 
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