2013年11月07日
真「時をかけるボクら」
これは『時をかける少女』の設定を一部お借りしたアイマスSSです。
こちらでSSを投下するのは初めてですが、よろしくお願いします。
では、次レスから投下していきます。
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SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1340213689(SS-Wikiでのこのスレの編集者を募集中!)
高校最後の夏休みも後半を迎えた8月19日。
3人で腰掛けたベンチは、空と同じ薄い青色だった。
「両手に華だね、真君」
右隣に座った美希がボクの顔を覗きこむように言った。
左隣の雪歩はいつものように穏やかに笑ってる。
「ボク、いちおう女なんだけど……」
1日1回は言ってる気がするなぁ、このセリフ。
「それはそれ、これはこれなの!あはっ」
このセリフを聞くのもボクの日課。
ここは765プロの事務所が入っているビルの屋上。
ここに来てお昼ご飯を食べるのは、ボクら3人の日課になっていた。
いまから1ヵ月ほど前、雪歩が765プロに移籍してきた日からのね。
まだアイドル候補生のボクらは、できるだけたくさんのオーディションを受けるように促される。
場慣れさせるって意味もあるし、運良くオーディションに合格してそのままデビューする可能性だってある。
残念ながら、竜宮小町以外のメンバーはいまだに候補生のままだったけど……。
「そういえばあと10日だね」
「へ?何が?」
「えへへー。真ちゃんの誕生日まで、だよぅ!」
「あっ、そっか!ミキ、プレゼント考えなきゃ!」
そういえばそうだった。
10日後の8月29日は、ボクの18歳の誕生日だったね。
だけど、「誕生日が来る」=「もうすぐ夏休みが終わる」だから、あんまり嬉しくないんだよなぁ、毎年……。
「あっ!ミキ、そろそろボーカルレッスンに行かなきゃ!」
携帯電話の時計を確認すると、14時45分だった。
「ボクと雪歩は16時からダンスレッスンだね」
「うん!今日もお手本にさせてもらうね?」
「むー。ミキもダンスレッスンが良い!」
拗ねたような口調でそう言いながら、ゴミを白いビニール袋に入れてる美希。
おちゃらけてるように見えて、けっこう公共のマナーとかにうるさかったりするんだよね。
この前3人で駅まで歩いてたときなんて、タバコをポイ捨てした「そちら系」のお兄さん3人組に向かって。
「ちょっとそこの人たち!歩道は灰皿じゃないの!」
って叫んでたし。
そのあと当然のように絡まれたボクたちだったけど、雪歩の、
「わ、私のお父さんは萩原建設の社長なんですぅ!」
って一言を聞くなり、顔を真っ青にして走り去っちゃった。
予想外の出来事に唖然としたボクと美希だったけど、雪歩のお父さんが何者なのかは、ついに聞けなかったんだ。
世の中には知らない方が良いこともたくさんあるってことだよね?
「それじゃミキ、行くね!」
「頑張ってね美希ちゃん!」
「頑張って!」
「ハイなの!真君と雪歩もね!」
大きな荷物を抱えて屋上を後にした美希。
青いベンチにはボクと雪歩が残った。
「みてみて真君!あの子とっても可愛いの!」
あれは確か今年の1月。
同じオーディションに参加していた美希に言われて視線を送った先には、透き通るような白い肌の女の子が、怯えたように立ちすくんでいた。
「なんだかあの子、『自信ないですぅ』って顔に書いてあるね。あんなに可愛いのに」
「せっかく可愛いのに、あれじゃ受かるものも受からないの。ねぇ、声かけてみよっか?」
美希がそう言い終わると同時に、審査員の人たちがオーディション会場に入って来ちゃったから、このときは声をかけることができなかったんだよね。
そして、残念ながらそのオーディションはボクも美希も不合格。
だけど、ボクも美希も、その儚げな佇まいを忘れることは無かったんだ。
「美希!あの子!」
「真君もやっぱり覚えてた?」
夏休みに入って1週間が過ぎたころ。
クーラーが壊れて蒸し風呂状態の事務所で、ボクと美希は再びその子を見た。
「諸君!今日から765プロの仲間に加わる、萩原雪歩君だ!」
「は、萩原雪歩ですぅ……。よろしくお願いします………」
セミの大合唱にかき消されてしまいそうな声で、雪歩が自己紹介した。
それっきり俯いて黙り込んでしまった雪歩を見かねたのか、社長が代わりに紹介し始めた。
「萩原君は先月まで別の事務所にいたんだが、残念ながら倒産してしまってね。ウチで引き取ることになったんだよ」
この業界では、プロダクションの倒産ってそんなに珍しくないみたい。
クーラーの修理もできない765プロは……大丈夫なのかなぁ?
「学年は高校3年生。ウチの事務所だと…そうだ、菊地君と同学年だ!」
社長の声に反応したみんなが、一斉にボクの方を見た。
そしてその視線をたどるように、雪歩も。
「き、菊池真です!よろしく!」
なぜかアタフタしながら言うと、雪歩は微笑みながら頷いた。
(ひょっとして……向こうもボクのこと覚えててくれたのかなぁ?)
そんなふうにも思ったけど、どうやらボクの勘違いだったみたい。
あとで雪歩に聞いた話だと。
「何で男の子がいるんだろ?」
って思って可笑しくなっちゃったんだってさ。
そう思われるのには慣れてるけどね、うん……。
「私、天海春香って言います!よろしくね、雪歩ちゃん!」
「こちらこそ。あと、呼び捨てでいいよ?」
「ホントっ?じゃあ……よろしくね、雪歩!」
「わたくし、双海姉妹の姉、双海真美であります!こっちは妹の亜美!」
「よろしくねんっ!えっと……ゆきぴょん!」
「ゆ、ゆきぴょん……?」
「あら〜。早速、可愛いニックネームを貰ったのね。うふふ」
765プロはやっぱり765プロで、雪歩に緊張する時間も与えなかった。
そして、あっという間にみんなと打ち解けた雪歩を、ボクと美希は屋上のベンチに誘ったんだ。
それから今日までの間、たくさんの時間をここで過ごしてきた。
「あっ!私、ちょっと事務所に行ってくるね」
「うん、行ってらっしゃい」
何か確認しておくことでもあったのか、食べかけのサンドイッチを置いたまま、雪歩は事務所へと降りて行った。
1人残されたボクはベンチの背もたれに背中を預けて、軽く眼を閉じた。
……そのときだった。
「クワァーッ!」
「うわぁっ!!!」
1羽のカラスが雪歩のサンドイッチに向かって急降下してきた。
「こら待てっ!!!」
真っ黒なカラスは、まるで、「お前の声なんて聞こえちゃいないよ」と言わんばかりにサンドイッチを掴み、あっという間に飛び去って行ってしまった。
そしてあとには、雪歩の白い肩掛けバッグからこぼれた中身が、屋上のコンクリートの上に散らばっていた。
「あ〜あ……」
ボクは肩掛けバッグを手に取り、軽く叩いてホコリを払った。
そして散らばった中身をバッグの中へと戻していく。
ポーチ、財布、手帳、リップクリーム、白いハンカチ、そして……、
「香水……かなぁ?」
最後に残ったのは小さく透明なガラス製の容器。
その中には、薄く紫がかったピンク色の液体が半分くらいまで入っていた。
容器の真ん中あたりに貼られたラベルには、雪歩の几帳面な字で、
『2012/8/18』
と書かれている。
「昨日の日付?」
ボクは少しだけフタを開け、その隙間から香りを嗅いでみた。
容器の中から漂ってきたのは、甘く優しく、そしてどこか儚い香りだった。
そう、まるで雪歩のような……。
「あ…れ……?」
いつの間にかコンクリートに尻餅を突いている自分に気付き、何とか立ち上がろうとする。
だけど膝にはぜんぜん力が入らず、すぐにまぶたも重たくなってきた。
「ゆき……ほ?」
遠くなっていく意識の中、屋上に戻ってきた雪歩の姿が見えた。
ゆっくりとボクに歩み寄ってくる雪歩。
「真ちゃん……」
雪歩の手のひらがボクの頬に触れた。
そしていつものように、ボクに微笑みかけた雪歩。
その微笑みが、何故だかとても、悲しそうなものに思えた……。
書きため分はここまでです。
額に冷たさを感じて眼が覚めた。
まだ重たいまぶたをゆっくり開けると、事務所の天井が見えた。
「ボクは……」
まだはっきりしない意識の中で呟くと、誰かがボクの顔を覗き込んできた。
「お、眼が覚めたわね?」
「りつ……こ?」
「そうよ。もうしばらく横になってなさい」
もう一度眼を閉じると、右頬に風が当たり始めた。
どうやら律子がうちわで扇いでくれてるみたいだ。
そして額には、氷嚢が乗せられていた。
「大変だったのよぉ?雪歩ったら、大慌てで事務所に駆け込んでくるなり、涙声で、『真ちゃんが倒れちゃいましたぁ!』って叫んでたんだから」
雪歩が?
あのときボクは確かに、頬に雪歩の手のひらが触れたのを感じた。
そのあとは……。
「……雪歩は?」
「ダンスレッスンに行ったわ。20分くらい前にね」
ダンスレッスン……。
レッスン……。
ん?
「律子、いま何時何分!?ボクもダンス」
「いいから寝てなさい!トレーナーの先生には休むって連絡しといたから」
「……わかった」
半分起き上がりかけた身体をもう一度ソファーに沈める。
律子は床に落ちた氷嚢をタオルで拭い、再びボクの額に乗せてくれた。
「軽い日射病じゃないの?ちゃんと水分採ってた?」
日射病かぁ。
そんなヤワな鍛え方はしてないハズなんだけどなぁ。
「あとで雪歩にお礼言っときなさい。電話でもメールでも良いから」
「はい……」
横目で壁掛け時計を見ると、16時ちょうどを指していた。
そのあと30分ほど横になっていると、次第に身体も気分もスッキリしてきた。
「もう大丈夫そう?」
「うん、おかげさまで!ありがと律子」
「これもプロデューサーの務めよ。……って、そうだ。あんたのプロデューサーにもちゃんと連絡しとくのよ?」
「プロデューサーは?」
「千早とやよいを連れて営業に行ってるわ」
「そっか。わかった、仕事が終わる頃合いを見計らって連絡しとく」
もう少し事務所にいたい気もしたけど、
「今日はもう帰って休みなさい」
律子からそう促されたボクは、大人しく指示に従うことにした。
鼻の奥にはまだ微かに、あの香りが残っていた。
「ただいま」
「ん?真か?今日はやけに早いな?」
うちに帰ると、黒いタンクトップに白いハーフパンツという出で立ちの父さんが、玄関先でスクワットをしていた。
「なんかボク、日射病で倒れちゃったみたいでさ。今日はもう帰りなさいって」
「日射病だぁっ!?鍛え方が足りねぇから、そんな腑抜けたモンになるんだ!!!」
言われると思ってたよ。
まぁ、倒れたボク自身が信じられないんだけどさ。
「まぁ、あれだ。さっさとシャワーでも浴びて汗を流してこい!」
相変わらず分かりやすいツンデレだよね、この人。
伊織と良い勝負かもね、へへっ。
今回はここまでにしておきます。
シャワーを浴びて自分の部屋に戻ると、まずは雪歩に電話をかけた。
『もしもし、真ちゃん?』
「あ、雪歩?いま大丈夫?」
『うん!体調良くなった?』
「おかげさまで。心配かけちゃってごめんね」
携帯電話の向こうからは、電車の通り過ぎる音。
まだ帰宅途中だったのかな?
『真ちゃんでも倒れたりするんだね』
そう言って笑っている雪歩にちょっとだけ拗ねたフリをして、ボクは電話を切った。
すぐあとにプロデューサーにも電気をかけたんだけど、雪歩と同じこと言われちゃったよ
『真でも倒れたりするんだな』
ってさ。失礼しちゃうよ、まったく!
晩ご飯はカレイの煮付けと豚肉の野菜炒め、それからポテトサラダだった。
「しっかり食えよ?食わなきゃ体重増えないからな。体重が増えれば、突きも蹴りも重くなる」
早々と3杯目をおかわりしながら、父さんが言った。
ボク、体重なんて増やしたくないんですけど。
これでも年頃の女の子なんですけど。
「明日の午前中は補講なんでしょ?今日は早く寝なきゃダメよ?」
ボクのグラスに麦茶を注いでいる母さんから言われて、思い出してしまった。
あぁ、そうだった……。
当然ながら予習復習なんてしてるハズもなく、一気に憂鬱になる。
しかも英語なんだよなぁ……。
「英語なんて簡単なもんだろ。要は度胸だ」
かつてレーサーとして世界中を転戦してた父さんは、どうやら英語が堪能らしい。
もっとも、母さん曰わく、
「2/3はボディランゲージ」
みたいだけど。
晩ご飯の後片付けを終えて部屋に戻ると、押し入れの奥から黒猫のぬいぐるみを取り出した。
去年の誕生日に母さんが買ってくれたんたよね、この子。
もちろん、父さんには内緒でね。
見つかったら問答無用で捨てられちゃうから、出かけるときは押し入れに隠れてもらうことしてるんだ。
「もうすぐうちに来て1年だね」
「うん!あっという間だったにゃ!」
ニャン太の頭を撫でながら、しばしのあいだ1人芝居に没頭する。
……女の子ならこれくらい普通だよね?
伊織だって、ウサギのぬいぐるみ相手に同じことしてるよ、きっと。
「ふわぁ……」
大きなあくびをしながら時計を見ると、時刻は22時を過ぎていた。
いつもならまだ起きてる時間だけど、今日は母さんの言い付けを守って、もう寝よっと。
電気を消して、ニャン太を抱いたまま布団に入ると、心地いい眠気があっという間にボクを包んだ。
次の日は朝8時に母さんに起こされた。
寝たのが22時過ぎだから……10時間くらい寝ちゃったのか。
やっぱり疲れてたのかなぁ、ボク。
目覚めのシャワーを浴びてから制服に着替え、美味しそうな匂いのしている居間に向かう。
「いただきまーす!」
白いご飯とネギをかけた納豆、そして焼き魚と味噌汁。
これが菊地家の、いつもの朝ご飯。
やっぱり朝は白いご飯だよね!
「補講は何時から?」
「10時半から」
「遅刻しないようにね」
「はーい」
余裕を持たせるために、9時50分には家を出た。
学校までは自転車で20分ほど。
今日も天気が良くて、顔に当たる風も気持ちいい。
いったん切ります。
21時くらいから再開する予定です。
「おはよう、真!」
「おっはよ!」
補講開始の10分前に教室に入ると、いつものメンバーが揃ってた。
繪里子、宏美、智秋、直美の4人にボクを加えた5人が、補講のレギュラーメンバーってわけ。
「今日は小テストっぽいよ?」
窓際の自分の席に座ったボクに、2列隣の宏美が教えてくれた。
「えっ、マジで?」
勘弁してほしいなぁ……。
頭を抱えてうなだれたボクに、廊下側の繪里子から声が飛ぶ。
「ちゃんと予習復習してこないからだよ」
「じゃあ繪里子は、予習復習してきたの?」
「私がそんなことするわけ無いじゃないですかぁ!てへっ!」
相変わらずウザいキャラだ。
始業のチャイムが鳴り、先生が答案用紙を配り始める。
どうやら宏美の予言は的中したみたいだね。
もっとも、だからどうなるってワケでもないんだけどさ。
「えっと……」
開始から1分も経たないうちに頭が痛くなる。
『comparison』ってどう意味だっけ……。
他の4人の様子を横目でチラリと伺ってみたけど、みんな早くも諦めムード。
はぁ……卒業できるのかな、ボクら。
グラウンドからはソフトボール部と陸上部の元気な声に混じって、セミの声も聞こえてくる。
その上に広がる空には、いくつかの白い雲が気持ち良さそうに浮かんでた。
もう少しのあいだ、夏は続きそう。
終わりのチャイムが鳴ると同時に、ため息を吐く音が5つ聞こえた。
無理やり埋めた答案を先生に渡すと、他の4人と一緒に教室を後にした。
「ねぇあんた達。ついでにお昼ご飯食べてかない?」
智秋の呼びかけに直美が即答する。
「いいね!じゃあ、二郎にしない?」
「はぁ?あんたねぇ、女子高生が5人集まって、昼間からラーメン?」
っていうか、全員で行くって決まってるんだね……。
屋上の青いベンチに座る美希と雪歩の姿が思い浮かんだけど、昨日あそこで倒れてしまったばかりということもあって、ボクは智秋たちに付き合うことにした。
行き先はどうやらカレー屋さんに決まったみたい。
よーし!半熟タマゴをトッピングしよっと!
「またねー!」
カレーを食べ終わったあともお喋りは続いてたけど、14時からの演技レッスンを控えているボクは1人でカレー屋さんを出た。
「10分前には余裕で着きそうだね」
携帯電話の時計は13時12分。
レッスンスタジオまではここから自転車で20分かからないくらい。
10分前行動は、体育会系の基本ですから!
駐輪場で自転車にまたがりペダルをこぎ出すと、少し湿った空気が顔を撫でた。
空を見上げると、いつの間にか黒い雲に覆われつつあった。
「ヤバっ!降ってきちゃうかも!」
夕立の気配を感じたボクは、ペダルをこぐ脚に力を込めた。
グングン加速していく自転車。
頬には小さな雨粒が当たり始めた。
「やった!間に合った!」
レッスンスタジオが入っているビルが見えたとき、思わず叫んじゃった。
夕立はまだ本格的に降り出してはいなくて、相変わらず小さな雨粒がパラついてるだけだった。
最後の横断歩道で信号待ちをしながら、もう一度時間を確認してみた。
「まだ13時25分かぁ。早く着きすぎちゃうなぁ」
だけど、びしょ濡れになるよりはマシだもんね。
信号が点滅し始めたから携帯電話をしまい、自転車をこぎ出す用意をする。
そのときだった。
ビルの方角からこちらに向かって走ってきた猛スピードの車が、信号ギリギリで右折して、そしてスリップした。
「雨は降り始めが一番怖いんだ。道のゴミやホコリが浮くからな」
かつてレーサーだった父さんから聞いたそんな話を、ボクは呑気に思い出していた。
ボクに向かってすっ飛んでくる車を、やっぱり呑気に眺めながら。
―高そうな車だなぁ。
―あ。いま、運転手さんと眼があっちゃった。
―父さんと同年代くらいの人かなぁ?
ゆっくりと流れていく時間の中で、そんなとりとめの無いことを考えてた。
それが終わると、今日までの記憶が次々に頭をよぎり始める。
ひょっとして、これが走馬灯ってやつなのかな?
だとしたら……。
死んじゃうのかな、ボク?
スローモーションでボクに近付いてくる車。
身体は次第に、心地いい感覚に包まれてきた。
右足はペダルに、そして左足は地面に着いている。
それなのに、身体が少しずつ浮かび上がっていくような感覚。
視界は霞がかったように白くなってきて、両手の指先にはくすぐったいような痺れ。
そして……。
ボクの世界は真っ白になった。
全身を包み込む、浮翌遊感の中で。
―高そうな車だなぁ。
―あ。いま、運転手さんと眼があっちゃった。
―父さんと同年代くらいの人かなぁ?
ゆっくりと流れていく時間の中で、そんなとりとめの無いことを考えてた。
それが終わると、今日までの記憶が次々に頭をよぎり始める。
ひょっとして、これが走馬灯ってやつなのかな?
だとしたら……。
死んじゃうのかな、ボク?
スローモーションでボクに近付いてくる車。
身体は次第に、心地いい感覚に包まれてきた。
右足はペダルに、そして左足は地面に着いている。
それなのに、身体が少しずつ浮かび上がっていくような感覚。
視界は霞がかったように白くなってきて、両手の指先にはくすぐったいような痺れ。
そして……。
ボクの世界は真っ白になった。
全身を包み込む、浮翌遊感の中で。
沈んでゆく太陽を背に、ボクは走った。
空にはオレンジ色に染まった大きな入道雲。その入道雲に向かって、わき目もふらずにただ走った。
15分間の全力疾走なんて経験したこともないから、すぐにわき腹が痛くなってきた。頭もクラクラするし、心臓も激しく鼓動してる。
だけど脚だけは、懸命に動かし続ける。
だって、これはただの徒競走なんかじゃなくて、かかっているのは美希の命なんだから。
ボク、いまならメロスの気持ちが分かる気がするよ。
走らなきゃ友達を助けることができないんだったら、走るしかないじゃん!
ボクのそんな思いが通じたのか、歩行者用の信号は常に青。
神様がいるのかどうかなんて分からないけど、雪歩以外の誰かも、美希を助けるためにボクに力を貸してくれているような気がした。
事故現場までの最後の信号を越え、事務所が入っているビルの前を走り過ぎた。
そこからさらに走ると、交差点の路肩に停まっている一台の車が見えた。
その傍らには、夕陽を受けて輝く金色の髪。
美希だ。
車に乗り込もうとしてる。
脚は動かし続けながら、荒い息づかいのまま思い切り叫んだ。
「美希ー!!!」
届いた。
車のドアを開けたまま、辺りをキョロキョロ見回してる。
もう一度、さっきよりもさらに大きな声で叫ぶ。
「美希ー!!!!!」
こっちを見た。
ボクに気付いたのか、手を振っている。
ボクはそのままのスピードで美希に走り寄り、そして思い切り抱きついた。
全身が汗まみれになってることなんてお構いなしで。
「美希…美希!」
抱きしめたまま、美希の名前を呼んだ。
「ま、真君?」
当たり前だけど、困惑してる美希。
だけどその様子さえ愛おしかった。
「あ、あのね真君?ミ、ミキにも心の準備が必要で…それに……」
腕の中の美希が頭を動かして、車の方へ視線を送った。
美希を解放してその視線をたどってみると、運転席に座っている女性と眼が合った。
「ミキのママなの」
慌てて頭を下げると、美希のお母さんは苦笑しながらそれに応えてくれた。
「王子さまの菊地真ちゃんね?」
美希とは違う低い声。だけど、悪戯っぽい口調はよく似てる。
「は、はじめまして!菊地真です!あの…その……」
おかしな関係だと思われちゃったんじゃないかと、ドギマギしてるボク。
「美希から話は聞いてるわよ?とっても格好いい女の子だって」
美希に眼をやると、ボクらのやり取りを聞きながらニコニコ笑ってた。
「私のことは気にせず、続きをどうぞ」
さっきよりもさらに悪戯っぽい口調で促す、美希のお母さん。
「い、いえ!もう大丈夫です!」
我ながら間の抜けた返事だよね、まったく。
「ところで、どうしたの真君?汗びっしょりだよ?」
……そう聞かれても、返答のしようがないよね。
「美希を助けるために時間を越えて、それから走った」
なんて言えるわけないし。
何も言えずにオロオロしてるボクに、美希が心配そうな声をかける。
「真君、大丈夫?ホントに熱でもあるんじゃない?」
……まぁ、そう思われても仕方ないよね。
ボクが美希でも同じこと言うだろうし。
「美希?そろそろ帰らないと」
運転席からの声に、美希が元気よく返事をした。
「また明日!」
そう言って車に乗り込んだ美希。
走り出した車が見えなくなるまで、ボクは手を降り続けた。
車が見えなくなると、一気に全身の力が抜けた。
張り詰めていたものが切れたのか、膝にもまったく力が入らない。
ボクは路肩にへたり込み、走った大きく息を吐き出した。
美希を助けられたことへの安堵感と、未来を変えてしまったことへの恐怖感。
その2つが交互に頭の中を行き来してる。
そう。まだ終わっていないんだ。
ボクには聞かなきゃいけないことがたくさんある。
膝に手をあてがい、立ち上がる。
そしてさっき走ったきた方向きを振り返った。
ゆっくりと歩いてくる、1人の女の子。
ボクの親友。そして……。
「雪歩」
その呟きは、夕暮れどきの喧騒にかき消された。
「間に合ったんだね?」
ボクの前に立った雪歩が、微笑みながら言った。
軽く頷いてその問いかけに答える。
それからしばらくの間、ボクらは見つめ合った。
ねぇ雪歩?
ボクはキミに聞きたいことがあるんだ。たくさんたくさん。
聞いてしまったことで、何かが変わってしまうかもしれない。
だけどボクらは、それを乗り越えられるハズだよ。
だってボクらは……親友だから。
頭の中にはいくつも言葉が溢れてる。
それなのに、口からは何も飛び出していかない。
そんなボクを見かねたのか、雪歩が先に口を開いた。
「真ちゃん?」
そして、いつものように優しくて儚い声で言った。
「ベンチに座ろ?あの、青いベンチに」
「綺麗な夕焼けだね」
ベンチに座って空を見上げた雪歩が、なんだか名残惜しそうな口調でそう言った。
それからボクの方へ向き直り、ゆっくりと語り始めた。
「これからするお話は、全部本当のこと。 真ちゃんに信じてもらえるかどうか分からないけど……」
そこで一度言葉を切って、眼を閉じた。
駅の方からは走り去っていく電車の音。
その音が消えたとき、雪歩は再び眼を開けた。
そして何かを決意をしたような表情と声で、ボクに言った。
「私の住んでいる世界のことだよ」
東の空はオレンジから紫へと、その色を変えて始めていた。
2876年。
それが雪歩の住む世界。
何度もの大きな戦争のせいで地上は荒れ果て、空気は汚れてしまった。
だからその時代の人たちは地上を捨て、地面の下で暮らしている。
大きな穴を掘り、地下に建物を造って。
「時代を遡って来たときも地面の下で暮らしてるんだよ?
穴を掘って、1人用の居住ルームを備え付けるの」
―私が自分で掘ったわけじゃないけどね。そう言って照れたように笑った雪歩。
2876年の技術を用いた道具なら、それくらいの穴は30分ほどで掘れてしまうみたいだ。
「そして、時間を遡る理由は、これ」
そう言ってポケットから取り出したのは、例のガラス製の容器。
薄く紫がかったピンク色の液体が、小さく波打ってる。
「これはね?コスモスの花びらから抽出した液体に、特殊な溶液を混ぜ合わせたもの」
「コスモス?」
「うん。私たちの世界からはもう、失われてしまったお花」
雪歩が生まれる10年前。
科学者である雪歩のお父さんは、ある発見をした。
特定の品種のコスモスから抽出される液体に特殊な溶液を混ぜ合わせると、時間を飛び越えることができる、って。
その頃の地上はまだそれほど汚染されていなくて、コスモスも簡単に手に入れることができた。
飛び越えることの出来る時間が数秒から数分になるまでに、5年の歳月が費やされた。
数時間、数日、数ヶ月、そして数年……。
発見から27年が経ち、好きなだけ時間を越えられるようになった頃、最も大きな戦争が巻き起こった。
「トドメ、ってやつだね。コスモスだけじゃなく、地上に存在する総てに対しての」
そう言って力無く笑った雪歩の表情は、ボクなんかよりもずっと大人びていた。
「最初はお父さんが時間を遡ってたんだけどね。いまは私のお仕事」
「どうして雪歩が?」
「お父さんには研究に集中して貰いたいから。それに……」
「それに?」
「やっぱり楽しいから。この時代は」
そっか……。
人々が地面の下で暮らす世界に、年頃の女の子が喜ぶ娯楽なんてあるハズないもんね。
「でも、今回はちょっとハメを外しすぎちゃったかも。
だって、アイドルになっちゃったんだもん!」
満面の笑顔でそう言った雪歩。
彼女が「ハメを外しすぎた」ことに、ボクは大いに感謝した。
だってそうでなきゃ、ボクらは出会えなかったんだから。
そして美希は助からなかったんだから。
再び真顔に戻った雪歩が話を続ける。
あるとき、雪歩のお父さんはこう考えた。
「時間を越えることが出来るのなら、空間も越えることも出来るのではないか」
って。
それが実現できれば、どこにだって行ける。
汚れてしまった地上から、他の星に旅立つことだって……。
「無責任だって言う人もいるよ?汚れてしまったんじゃなくて、『汚してしまった』んじゃないか、って。だけどね……?」
すでに半分ほど紫色に染まった空を見上げながら、雪歩は言った。
「生き物はやっぱり、お日さまの下で生きるべきなんだよ」
ボクには想像も出来ない世界に生きている雪歩の言葉に、胸が痛んだ。
「ねぇ真ちゃん?コスモスの語源、知ってる?」
「…何語?」
「ギリシャ語だよ」
『comparison』の意味も分からなかったボクに、ギリシャ語なんて分かるハズもない。
無言で首を横に振ると、雪歩はからかうような微笑みを浮かべた。
「もともとはね、『Kosmos』っていうギリシャ語。秩序とか、美しいっていう意味の」
「そう…なんだ」
「当時のギリシャの人たちはロマンチックだったんだね。夜空の星が整然と並んでいるのを見て、宇宙のことを『Cosmos』って呼ぶようになったんだって」
突然始まったギリシャ語の講義に、頭の回転が付いていかないボク。
2876年の常識なのかな、それ?
「そして整然と花びらが並んだ可愛らしいお花にも、同じ名前を付けたんだよ」
「それがコスモス?」
「うん。人間って凄いよね。何千年も前に、宇宙とお花を結び付けたんだから」
興奮気味に話してる雪歩。
それを見て戸惑っているボクに気付いたのか、大きく深呼吸した。
「『Cosmos』から作られた液体を使って、『Cosmos』に飛び出してゆく。
もう一度、お日さまの下で暮らすために」
また空を見上げた雪歩。
だけど今度は、空を見ているわけじゃなかった。
その先にあるもっと大きなものに思いを馳せているのが、ボクにも分かった。
「『Kosmos,Cosmos』それが私たちの世界の合い言葉」
ボクを見ながらそう言った雪歩の表情は、とっても誇らしげだった。
「……もう一つ、お話ししておかなくちゃいけないことがあるの」
さっきまでの表情とはうって変わって、悲しげな顔をした雪歩。
「……なに?」
雪歩が何を言うのかなんて見当も付かないけど、それを聞きたくはなかった。
聞いてしまうことで、何かが終わってしまうような予感がしたから……。
「この液体を作るのに、1ヶ月くらいの時間がかかるの」
手のひらに載せたガラス製の容器に視線を落としながら、声まで悲しげになっていた。
「完成しちゃったから、もう帰らなくちゃいけないんだよ。私の世界に」
―みんなが待ってるから。
その呟きはまるで、自分に言い聞かせてるみたいだった。
「……また、帰ってくるんだよね?」
ボクと眼を合わせようとしない雪歩に、返答を促す。
だけど返ってきたのは、期待しているものとは大きく異なる答えだった。
「帰ってくるよ。だけど……真ちゃんは私のことを覚えてない。真ちゃんだけじゃなく、みんなも」
「……どういうこと?」
「そういう決まりだから。飛び越えた先の時代で関わった人には、私の記憶を残しちゃいけないって……」
「そんな!?」
言っている言葉は理解できた。
だけど、言っている言葉の意味はちっとも理解できなかった。
正確に言うと、理解しないように努めてた。
「真ちゃんが初めて私を見たのはいつ?」
雪歩を初めて見た日……?
うん、よく覚えてるよ。
あれは今年の1月。美希と2人で受けたオーディションの会場に、怯えたように立ち竦んでいる女の子がいた。
「それが雪歩だった。そうでしょ?」
「ごめんね真ちゃん。それは偽物の記憶なんだよ。初めて見たのは私が765プロに入った日」
俯いたまま申し訳なさそうな声で喋っている雪歩。
泣くのを我慢しているようにも見えた。
「……どういう…こと?」
「この時代では催眠術って言うのかなぁ?」
「そんなの…そんなの信じられるわけないじゃないか!」
「そうだよね……。だけどね?催眠術っていうのは、1人にかけるより大勢にかける方が簡単なんだよ。
記憶を植え付けるのも、そして、消してしまうのも」
2人の間に流れる、重い沈黙。
ボクは拳を握りしめ、なんとか声を絞り出した。
「……どこまでが偽物の記憶なの?」
「……私のお父さんのこととか。もちろん、この時代のね」
「萩原建設の社長、っていうのは?」
「あのときとっさに思い付いた会社名。ごめんね……」
雪歩を責める気なんてなかった。
だけど、ボクの知ってる雪歩が、どんどん消えていくような気がした。
それが悲しくて、辛くて、悔しくて……。気が付くとボクの眼からは、大粒の涙がこぼれ落ちていた。
そして、雪歩の眼からも。
「……雪歩のこと、誰にも喋らないから」
嗚咽混じりの声で、途切れ途切れの声を投げかけるボク。
「雪歩は親友だから…忘れたくないから…だから……」
ボクから雪歩の記憶を消さないで。
そう叫びたかった。
だけど、涙が邪魔をして、声にはならなかった。
「ダメだよ真ちゃん…ダメなんだよ……」
ボクを諭すような雪歩の声。
儚くてキレイで、だけど稟とした、ボクの大好きな声。
この声を忘れてしまうことなんて、考えられなかった。
「もう…行くね?」
そう言ってベンチから立ち上がった雪歩。
ボクも雪歩に引っ張られるように立ち上がり、行かないで、って叫ぼうとした。
だけどその前に、雪歩の細い腕で抱きしめられていた。
「言わないで真ちゃん…帰りたくなくなっちゃうから…このままでいたくなっちゃうから…お願い……」
震えている雪歩の身体を、ボクも強く抱きしめた。
こんなに華奢な身体に、あんなに大きな覚悟と使命をしまい込んでる。
そう思ったとき、雪歩の頭を撫でながら自然にこう言っていた。
「分かったよ、雪歩」
腕の中の雪歩が、震える声で「ごめんね」って言った。
何度も何度も、「ごめんね」って。
そして最後に、今までで一番透き通った声で言ったんだ。
「ありがとう、真ちゃん」
って。
ボクの腕から離れた雪歩が3歩ほど後ずさった。
ボクの眼をまっすぐに見つめたままで。
「お願い真ちゃん。後ろ向いてて」
ボクは雪歩が望む通りに、背中を向けた。
空はまだ少し明るくて、夏の余韻を感じさせた。
「眼を閉じて」
声のままに、ゆっくりと眼を閉じる。
背中の向こうで雪歩が動く気配がした。
そして後ろから抱きしめられた。
背中から伝わる雪歩の温もり。
ボクの大好きな雪歩の、優しい温もり。
「約束するよ、真ちゃん」
「何をだい?」
「いまから何年か先の未来。きっと真ちゃんの前に現れるよ。真ちゃんに私だって分かるような形で」
「……うん」
「だから、さよならは言わないよ?」
「うん。ボクも言わない」
少しずつ頭の中が白くなっていく。
背中の温もりも消えていく。
「またね、真ちゃん」
「またね、雪歩」
2つの声が混ざり合い、溶けていった。
そして再び眼を開けたとき……。
ボクは1人で、いつもの屋上に立っていた。
自分がどうして泣いているのかも分からずに。
不思議な感覚だった。
まるで自分の父さんや母さんの顔を忘れてしまったかのような、不思議な感覚。
「……ボク、何を忘れたんだろ?」
頭をフル回転させてみたけど、何も浮かんでは来なかった。
「……ま、いっか。思い出せないってことは、大したことじゃないってことだよね、きっと」
自分で勝手に納得すると、屋上の出入り口に向かって歩き出そうとした。
そのとき、ジーンズの後ろポケットから、何かがコンクリートの上に落ちた。
「これは……?」
膝を屈めて、それを手に取ってみる。
「花?えっと、この花はたしか……コスモス、だよね」
それは薄く紫がかったピンク色の、一輪のコスモスだった。
8月28日、快晴。
ボクはいつものように、美希と2人でお昼ご飯を食べていた。
「いよいよ明日だね!」
「へ?何が?」
ゴミを白いビニール袋に入れながら、美希が思い出したように言った。
「真君の誕生日、なの!」
あ、そっか。
明日8月29日は、ボクの18歳の誕生日だったね。
「あんまり嬉しくないんでしょ?夏休み終わる直前だから」
「そうなんだよね……」
「誕生日を迎える」=「もうすぐ夏休みが終わる」だから、今年もあんまり嬉しくないなぁ。
しかも、学生生活最後の夏休み……。
「ミキ、もう行くね?ダンスレッスンに遅れちゃうの」
「うん、わかった。頑張ってね」
「ハイなの!」
レッスンに向かう美希を見送ると、ボクはベンチの背もたれに背中を預けた。
そしてバッグの中から、白いハンカチを取り出した。
ハンカチを開くと、その真ん中にはコスモスの押し花。
薄く紫がかったピンク色の、優しく、そして儚いコスモス。
あの日うちに帰ると、不器用な手付きでこれを作った。
なんでこんなことを思い付いたのかは、自分にも分からない。
だけど、こうするのに十分な理由を、ボクは持っているような気がしたんだ。
ハンカチを畳み、空を見上げた。
ベンチと同じ、薄い青色の空。
その空の真ん中を、一筋の飛行機雲が貫いていた。
太陽が昇る方角に浮かぶ大きな入道雲を目指して、真っ直ぐに。
もうすぐ夏が終わり、コスモスの季節がやってくる。
お し ま い
終わりです
時間かかってごめんね
>>105
一週間くらい前に書いたのが最後
>>103
ありがとう
ネタがあれば毎日でも書くんだけど、なかなか思いつかない……
高校最後の夏休みも後半を迎えた8月19日。
3人で腰掛けたベンチは、空と同じ薄い青色だった。
「両手に華だね、真君」
右隣に座った美希がボクの顔を覗きこむように言った。
左隣の雪歩はいつものように穏やかに笑ってる。
「ボク、いちおう女なんだけど……」
1日1回は言ってる気がするなぁ、このセリフ。
「それはそれ、これはこれなの!あはっ」
このセリフを聞くのもボクの日課。
ここは765プロの事務所が入っているビルの屋上。
ここに来てお昼ご飯を食べるのは、ボクら3人の日課になっていた。
いまから1ヵ月ほど前、雪歩が765プロに移籍してきた日からのね。
まだアイドル候補生のボクらは、できるだけたくさんのオーディションを受けるように促される。
場慣れさせるって意味もあるし、運良くオーディションに合格してそのままデビューする可能性だってある。
残念ながら、竜宮小町以外のメンバーはいまだに候補生のままだったけど……。
「そういえばあと10日だね」
「へ?何が?」
「えへへー。真ちゃんの誕生日まで、だよぅ!」
「あっ、そっか!ミキ、プレゼント考えなきゃ!」
そういえばそうだった。
10日後の8月29日は、ボクの18歳の誕生日だったね。
だけど、「誕生日が来る」=「もうすぐ夏休みが終わる」だから、あんまり嬉しくないんだよなぁ、毎年……。
「あっ!ミキ、そろそろボーカルレッスンに行かなきゃ!」
携帯電話の時計を確認すると、14時45分だった。
「ボクと雪歩は16時からダンスレッスンだね」
「うん!今日もお手本にさせてもらうね?」
「むー。ミキもダンスレッスンが良い!」
拗ねたような口調でそう言いながら、ゴミを白いビニール袋に入れてる美希。
おちゃらけてるように見えて、けっこう公共のマナーとかにうるさかったりするんだよね。
この前3人で駅まで歩いてたときなんて、タバコをポイ捨てした「そちら系」のお兄さん3人組に向かって。
「ちょっとそこの人たち!歩道は灰皿じゃないの!」
って叫んでたし。
そのあと当然のように絡まれたボクたちだったけど、雪歩の、
「わ、私のお父さんは萩原建設の社長なんですぅ!」
って一言を聞くなり、顔を真っ青にして走り去っちゃった。
予想外の出来事に唖然としたボクと美希だったけど、雪歩のお父さんが何者なのかは、ついに聞けなかったんだ。
世の中には知らない方が良いこともたくさんあるってことだよね?
「それじゃミキ、行くね!」
「頑張ってね美希ちゃん!」
「頑張って!」
「ハイなの!真君と雪歩もね!」
大きな荷物を抱えて屋上を後にした美希。
青いベンチにはボクと雪歩が残った。
「みてみて真君!あの子とっても可愛いの!」
あれは確か今年の1月。
同じオーディションに参加していた美希に言われて視線を送った先には、透き通るような白い肌の女の子が、怯えたように立ちすくんでいた。
「なんだかあの子、『自信ないですぅ』って顔に書いてあるね。あんなに可愛いのに」
「せっかく可愛いのに、あれじゃ受かるものも受からないの。ねぇ、声かけてみよっか?」
美希がそう言い終わると同時に、審査員の人たちがオーディション会場に入って来ちゃったから、このときは声をかけることができなかったんだよね。
そして、残念ながらそのオーディションはボクも美希も不合格。
だけど、ボクも美希も、その儚げな佇まいを忘れることは無かったんだ。
「美希!あの子!」
「真君もやっぱり覚えてた?」
夏休みに入って1週間が過ぎたころ。
クーラーが壊れて蒸し風呂状態の事務所で、ボクと美希は再びその子を見た。
「諸君!今日から765プロの仲間に加わる、萩原雪歩君だ!」
「は、萩原雪歩ですぅ……。よろしくお願いします………」
セミの大合唱にかき消されてしまいそうな声で、雪歩が自己紹介した。
それっきり俯いて黙り込んでしまった雪歩を見かねたのか、社長が代わりに紹介し始めた。
「萩原君は先月まで別の事務所にいたんだが、残念ながら倒産してしまってね。ウチで引き取ることになったんだよ」
この業界では、プロダクションの倒産ってそんなに珍しくないみたい。
クーラーの修理もできない765プロは……大丈夫なのかなぁ?
「学年は高校3年生。ウチの事務所だと…そうだ、菊地君と同学年だ!」
社長の声に反応したみんなが、一斉にボクの方を見た。
そしてその視線をたどるように、雪歩も。
「き、菊池真です!よろしく!」
なぜかアタフタしながら言うと、雪歩は微笑みながら頷いた。
(ひょっとして……向こうもボクのこと覚えててくれたのかなぁ?)
そんなふうにも思ったけど、どうやらボクの勘違いだったみたい。
あとで雪歩に聞いた話だと。
「何で男の子がいるんだろ?」
って思って可笑しくなっちゃったんだってさ。
そう思われるのには慣れてるけどね、うん……。
「私、天海春香って言います!よろしくね、雪歩ちゃん!」
「こちらこそ。あと、呼び捨てでいいよ?」
「ホントっ?じゃあ……よろしくね、雪歩!」
「わたくし、双海姉妹の姉、双海真美であります!こっちは妹の亜美!」
「よろしくねんっ!えっと……ゆきぴょん!」
「ゆ、ゆきぴょん……?」
「あら〜。早速、可愛いニックネームを貰ったのね。うふふ」
765プロはやっぱり765プロで、雪歩に緊張する時間も与えなかった。
そして、あっという間にみんなと打ち解けた雪歩を、ボクと美希は屋上のベンチに誘ったんだ。
それから今日までの間、たくさんの時間をここで過ごしてきた。
「あっ!私、ちょっと事務所に行ってくるね」
「うん、行ってらっしゃい」
何か確認しておくことでもあったのか、食べかけのサンドイッチを置いたまま、雪歩は事務所へと降りて行った。
1人残されたボクはベンチの背もたれに背中を預けて、軽く眼を閉じた。
……そのときだった。
「クワァーッ!」
「うわぁっ!!!」
1羽のカラスが雪歩のサンドイッチに向かって急降下してきた。
「こら待てっ!!!」
真っ黒なカラスは、まるで、「お前の声なんて聞こえちゃいないよ」と言わんばかりにサンドイッチを掴み、あっという間に飛び去って行ってしまった。
そしてあとには、雪歩の白い肩掛けバッグからこぼれた中身が、屋上のコンクリートの上に散らばっていた。
「あ〜あ……」
ボクは肩掛けバッグを手に取り、軽く叩いてホコリを払った。
そして散らばった中身をバッグの中へと戻していく。
ポーチ、財布、手帳、リップクリーム、白いハンカチ、そして……、
「香水……かなぁ?」
最後に残ったのは小さく透明なガラス製の容器。
その中には、薄く紫がかったピンク色の液体が半分くらいまで入っていた。
容器の真ん中あたりに貼られたラベルには、雪歩の几帳面な字で、
『2012/8/18』
と書かれている。
「昨日の日付?」
ボクは少しだけフタを開け、その隙間から香りを嗅いでみた。
容器の中から漂ってきたのは、甘く優しく、そしてどこか儚い香りだった。
そう、まるで雪歩のような……。
「あ…れ……?」
いつの間にかコンクリートに尻餅を突いている自分に気付き、何とか立ち上がろうとする。
だけど膝にはぜんぜん力が入らず、すぐにまぶたも重たくなってきた。
「ゆき……ほ?」
遠くなっていく意識の中、屋上に戻ってきた雪歩の姿が見えた。
ゆっくりとボクに歩み寄ってくる雪歩。
「真ちゃん……」
雪歩の手のひらがボクの頬に触れた。
そしていつものように、ボクに微笑みかけた雪歩。
その微笑みが、何故だかとても、悲しそうなものに思えた……。
書きため分はここまでです。
額に冷たさを感じて眼が覚めた。
まだ重たいまぶたをゆっくり開けると、事務所の天井が見えた。
「ボクは……」
まだはっきりしない意識の中で呟くと、誰かがボクの顔を覗き込んできた。
「お、眼が覚めたわね?」
「りつ……こ?」
「そうよ。もうしばらく横になってなさい」
もう一度眼を閉じると、右頬に風が当たり始めた。
どうやら律子がうちわで扇いでくれてるみたいだ。
そして額には、氷嚢が乗せられていた。
「大変だったのよぉ?雪歩ったら、大慌てで事務所に駆け込んでくるなり、涙声で、『真ちゃんが倒れちゃいましたぁ!』って叫んでたんだから」
雪歩が?
あのときボクは確かに、頬に雪歩の手のひらが触れたのを感じた。
そのあとは……。
「……雪歩は?」
「ダンスレッスンに行ったわ。20分くらい前にね」
ダンスレッスン……。
レッスン……。
ん?
「律子、いま何時何分!?ボクもダンス」
「いいから寝てなさい!トレーナーの先生には休むって連絡しといたから」
「……わかった」
半分起き上がりかけた身体をもう一度ソファーに沈める。
律子は床に落ちた氷嚢をタオルで拭い、再びボクの額に乗せてくれた。
「軽い日射病じゃないの?ちゃんと水分採ってた?」
日射病かぁ。
そんなヤワな鍛え方はしてないハズなんだけどなぁ。
「あとで雪歩にお礼言っときなさい。電話でもメールでも良いから」
「はい……」
横目で壁掛け時計を見ると、16時ちょうどを指していた。
そのあと30分ほど横になっていると、次第に身体も気分もスッキリしてきた。
「もう大丈夫そう?」
「うん、おかげさまで!ありがと律子」
「これもプロデューサーの務めよ。……って、そうだ。あんたのプロデューサーにもちゃんと連絡しとくのよ?」
「プロデューサーは?」
「千早とやよいを連れて営業に行ってるわ」
「そっか。わかった、仕事が終わる頃合いを見計らって連絡しとく」
もう少し事務所にいたい気もしたけど、
「今日はもう帰って休みなさい」
律子からそう促されたボクは、大人しく指示に従うことにした。
鼻の奥にはまだ微かに、あの香りが残っていた。
「ただいま」
「ん?真か?今日はやけに早いな?」
うちに帰ると、黒いタンクトップに白いハーフパンツという出で立ちの父さんが、玄関先でスクワットをしていた。
「なんかボク、日射病で倒れちゃったみたいでさ。今日はもう帰りなさいって」
「日射病だぁっ!?鍛え方が足りねぇから、そんな腑抜けたモンになるんだ!!!」
言われると思ってたよ。
まぁ、倒れたボク自身が信じられないんだけどさ。
「まぁ、あれだ。さっさとシャワーでも浴びて汗を流してこい!」
相変わらず分かりやすいツンデレだよね、この人。
伊織と良い勝負かもね、へへっ。
今回はここまでにしておきます。
シャワーを浴びて自分の部屋に戻ると、まずは雪歩に電話をかけた。
『もしもし、真ちゃん?』
「あ、雪歩?いま大丈夫?」
『うん!体調良くなった?』
「おかげさまで。心配かけちゃってごめんね」
携帯電話の向こうからは、電車の通り過ぎる音。
まだ帰宅途中だったのかな?
『真ちゃんでも倒れたりするんだね』
そう言って笑っている雪歩にちょっとだけ拗ねたフリをして、ボクは電話を切った。
すぐあとにプロデューサーにも電気をかけたんだけど、雪歩と同じこと言われちゃったよ
『真でも倒れたりするんだな』
ってさ。失礼しちゃうよ、まったく!
晩ご飯はカレイの煮付けと豚肉の野菜炒め、それからポテトサラダだった。
「しっかり食えよ?食わなきゃ体重増えないからな。体重が増えれば、突きも蹴りも重くなる」
早々と3杯目をおかわりしながら、父さんが言った。
ボク、体重なんて増やしたくないんですけど。
これでも年頃の女の子なんですけど。
「明日の午前中は補講なんでしょ?今日は早く寝なきゃダメよ?」
ボクのグラスに麦茶を注いでいる母さんから言われて、思い出してしまった。
あぁ、そうだった……。
当然ながら予習復習なんてしてるハズもなく、一気に憂鬱になる。
しかも英語なんだよなぁ……。
「英語なんて簡単なもんだろ。要は度胸だ」
かつてレーサーとして世界中を転戦してた父さんは、どうやら英語が堪能らしい。
もっとも、母さん曰わく、
「2/3はボディランゲージ」
みたいだけど。
晩ご飯の後片付けを終えて部屋に戻ると、押し入れの奥から黒猫のぬいぐるみを取り出した。
去年の誕生日に母さんが買ってくれたんたよね、この子。
もちろん、父さんには内緒でね。
見つかったら問答無用で捨てられちゃうから、出かけるときは押し入れに隠れてもらうことしてるんだ。
「もうすぐうちに来て1年だね」
「うん!あっという間だったにゃ!」
ニャン太の頭を撫でながら、しばしのあいだ1人芝居に没頭する。
……女の子ならこれくらい普通だよね?
伊織だって、ウサギのぬいぐるみ相手に同じことしてるよ、きっと。
「ふわぁ……」
大きなあくびをしながら時計を見ると、時刻は22時を過ぎていた。
いつもならまだ起きてる時間だけど、今日は母さんの言い付けを守って、もう寝よっと。
電気を消して、ニャン太を抱いたまま布団に入ると、心地いい眠気があっという間にボクを包んだ。
次の日は朝8時に母さんに起こされた。
寝たのが22時過ぎだから……10時間くらい寝ちゃったのか。
やっぱり疲れてたのかなぁ、ボク。
目覚めのシャワーを浴びてから制服に着替え、美味しそうな匂いのしている居間に向かう。
「いただきまーす!」
白いご飯とネギをかけた納豆、そして焼き魚と味噌汁。
これが菊地家の、いつもの朝ご飯。
やっぱり朝は白いご飯だよね!
「補講は何時から?」
「10時半から」
「遅刻しないようにね」
「はーい」
余裕を持たせるために、9時50分には家を出た。
学校までは自転車で20分ほど。
今日も天気が良くて、顔に当たる風も気持ちいい。
いったん切ります。
21時くらいから再開する予定です。
「おはよう、真!」
「おっはよ!」
補講開始の10分前に教室に入ると、いつものメンバーが揃ってた。
繪里子、宏美、智秋、直美の4人にボクを加えた5人が、補講のレギュラーメンバーってわけ。
「今日は小テストっぽいよ?」
窓際の自分の席に座ったボクに、2列隣の宏美が教えてくれた。
「えっ、マジで?」
勘弁してほしいなぁ……。
頭を抱えてうなだれたボクに、廊下側の繪里子から声が飛ぶ。
「ちゃんと予習復習してこないからだよ」
「じゃあ繪里子は、予習復習してきたの?」
「私がそんなことするわけ無いじゃないですかぁ!てへっ!」
相変わらずウザいキャラだ。
始業のチャイムが鳴り、先生が答案用紙を配り始める。
どうやら宏美の予言は的中したみたいだね。
もっとも、だからどうなるってワケでもないんだけどさ。
「えっと……」
開始から1分も経たないうちに頭が痛くなる。
『comparison』ってどう意味だっけ……。
他の4人の様子を横目でチラリと伺ってみたけど、みんな早くも諦めムード。
はぁ……卒業できるのかな、ボクら。
グラウンドからはソフトボール部と陸上部の元気な声に混じって、セミの声も聞こえてくる。
その上に広がる空には、いくつかの白い雲が気持ち良さそうに浮かんでた。
もう少しのあいだ、夏は続きそう。
終わりのチャイムが鳴ると同時に、ため息を吐く音が5つ聞こえた。
無理やり埋めた答案を先生に渡すと、他の4人と一緒に教室を後にした。
「ねぇあんた達。ついでにお昼ご飯食べてかない?」
智秋の呼びかけに直美が即答する。
「いいね!じゃあ、二郎にしない?」
「はぁ?あんたねぇ、女子高生が5人集まって、昼間からラーメン?」
っていうか、全員で行くって決まってるんだね……。
屋上の青いベンチに座る美希と雪歩の姿が思い浮かんだけど、昨日あそこで倒れてしまったばかりということもあって、ボクは智秋たちに付き合うことにした。
行き先はどうやらカレー屋さんに決まったみたい。
よーし!半熟タマゴをトッピングしよっと!
「またねー!」
カレーを食べ終わったあともお喋りは続いてたけど、14時からの演技レッスンを控えているボクは1人でカレー屋さんを出た。
「10分前には余裕で着きそうだね」
携帯電話の時計は13時12分。
レッスンスタジオまではここから自転車で20分かからないくらい。
10分前行動は、体育会系の基本ですから!
駐輪場で自転車にまたがりペダルをこぎ出すと、少し湿った空気が顔を撫でた。
空を見上げると、いつの間にか黒い雲に覆われつつあった。
「ヤバっ!降ってきちゃうかも!」
夕立の気配を感じたボクは、ペダルをこぐ脚に力を込めた。
グングン加速していく自転車。
頬には小さな雨粒が当たり始めた。
「やった!間に合った!」
レッスンスタジオが入っているビルが見えたとき、思わず叫んじゃった。
夕立はまだ本格的に降り出してはいなくて、相変わらず小さな雨粒がパラついてるだけだった。
最後の横断歩道で信号待ちをしながら、もう一度時間を確認してみた。
「まだ13時25分かぁ。早く着きすぎちゃうなぁ」
だけど、びしょ濡れになるよりはマシだもんね。
信号が点滅し始めたから携帯電話をしまい、自転車をこぎ出す用意をする。
そのときだった。
ビルの方角からこちらに向かって走ってきた猛スピードの車が、信号ギリギリで右折して、そしてスリップした。
「雨は降り始めが一番怖いんだ。道のゴミやホコリが浮くからな」
かつてレーサーだった父さんから聞いたそんな話を、ボクは呑気に思い出していた。
ボクに向かってすっ飛んでくる車を、やっぱり呑気に眺めながら。
―高そうな車だなぁ。
―あ。いま、運転手さんと眼があっちゃった。
―父さんと同年代くらいの人かなぁ?
ゆっくりと流れていく時間の中で、そんなとりとめの無いことを考えてた。
それが終わると、今日までの記憶が次々に頭をよぎり始める。
ひょっとして、これが走馬灯ってやつなのかな?
だとしたら……。
死んじゃうのかな、ボク?
スローモーションでボクに近付いてくる車。
身体は次第に、心地いい感覚に包まれてきた。
右足はペダルに、そして左足は地面に着いている。
それなのに、身体が少しずつ浮かび上がっていくような感覚。
視界は霞がかったように白くなってきて、両手の指先にはくすぐったいような痺れ。
そして……。
ボクの世界は真っ白になった。
全身を包み込む、浮翌遊感の中で。
―高そうな車だなぁ。
―あ。いま、運転手さんと眼があっちゃった。
―父さんと同年代くらいの人かなぁ?
ゆっくりと流れていく時間の中で、そんなとりとめの無いことを考えてた。
それが終わると、今日までの記憶が次々に頭をよぎり始める。
ひょっとして、これが走馬灯ってやつなのかな?
だとしたら……。
死んじゃうのかな、ボク?
スローモーションでボクに近付いてくる車。
身体は次第に、心地いい感覚に包まれてきた。
右足はペダルに、そして左足は地面に着いている。
それなのに、身体が少しずつ浮かび上がっていくような感覚。
視界は霞がかったように白くなってきて、両手の指先にはくすぐったいような痺れ。
そして……。
ボクの世界は真っ白になった。
全身を包み込む、浮翌遊感の中で。
沈んでゆく太陽を背に、ボクは走った。
空にはオレンジ色に染まった大きな入道雲。その入道雲に向かって、わき目もふらずにただ走った。
15分間の全力疾走なんて経験したこともないから、すぐにわき腹が痛くなってきた。頭もクラクラするし、心臓も激しく鼓動してる。
だけど脚だけは、懸命に動かし続ける。
だって、これはただの徒競走なんかじゃなくて、かかっているのは美希の命なんだから。
ボク、いまならメロスの気持ちが分かる気がするよ。
走らなきゃ友達を助けることができないんだったら、走るしかないじゃん!
ボクのそんな思いが通じたのか、歩行者用の信号は常に青。
神様がいるのかどうかなんて分からないけど、雪歩以外の誰かも、美希を助けるためにボクに力を貸してくれているような気がした。
事故現場までの最後の信号を越え、事務所が入っているビルの前を走り過ぎた。
そこからさらに走ると、交差点の路肩に停まっている一台の車が見えた。
その傍らには、夕陽を受けて輝く金色の髪。
美希だ。
車に乗り込もうとしてる。
脚は動かし続けながら、荒い息づかいのまま思い切り叫んだ。
「美希ー!!!」
届いた。
車のドアを開けたまま、辺りをキョロキョロ見回してる。
もう一度、さっきよりもさらに大きな声で叫ぶ。
「美希ー!!!!!」
こっちを見た。
ボクに気付いたのか、手を振っている。
ボクはそのままのスピードで美希に走り寄り、そして思い切り抱きついた。
全身が汗まみれになってることなんてお構いなしで。
「美希…美希!」
抱きしめたまま、美希の名前を呼んだ。
「ま、真君?」
当たり前だけど、困惑してる美希。
だけどその様子さえ愛おしかった。
「あ、あのね真君?ミ、ミキにも心の準備が必要で…それに……」
腕の中の美希が頭を動かして、車の方へ視線を送った。
美希を解放してその視線をたどってみると、運転席に座っている女性と眼が合った。
「ミキのママなの」
慌てて頭を下げると、美希のお母さんは苦笑しながらそれに応えてくれた。
「王子さまの菊地真ちゃんね?」
美希とは違う低い声。だけど、悪戯っぽい口調はよく似てる。
「は、はじめまして!菊地真です!あの…その……」
おかしな関係だと思われちゃったんじゃないかと、ドギマギしてるボク。
「美希から話は聞いてるわよ?とっても格好いい女の子だって」
美希に眼をやると、ボクらのやり取りを聞きながらニコニコ笑ってた。
「私のことは気にせず、続きをどうぞ」
さっきよりもさらに悪戯っぽい口調で促す、美希のお母さん。
「い、いえ!もう大丈夫です!」
我ながら間の抜けた返事だよね、まったく。
「ところで、どうしたの真君?汗びっしょりだよ?」
……そう聞かれても、返答のしようがないよね。
「美希を助けるために時間を越えて、それから走った」
なんて言えるわけないし。
何も言えずにオロオロしてるボクに、美希が心配そうな声をかける。
「真君、大丈夫?ホントに熱でもあるんじゃない?」
……まぁ、そう思われても仕方ないよね。
ボクが美希でも同じこと言うだろうし。
「美希?そろそろ帰らないと」
運転席からの声に、美希が元気よく返事をした。
「また明日!」
そう言って車に乗り込んだ美希。
走り出した車が見えなくなるまで、ボクは手を降り続けた。
車が見えなくなると、一気に全身の力が抜けた。
張り詰めていたものが切れたのか、膝にもまったく力が入らない。
ボクは路肩にへたり込み、走った大きく息を吐き出した。
美希を助けられたことへの安堵感と、未来を変えてしまったことへの恐怖感。
その2つが交互に頭の中を行き来してる。
そう。まだ終わっていないんだ。
ボクには聞かなきゃいけないことがたくさんある。
膝に手をあてがい、立ち上がる。
そしてさっき走ったきた方向きを振り返った。
ゆっくりと歩いてくる、1人の女の子。
ボクの親友。そして……。
「雪歩」
その呟きは、夕暮れどきの喧騒にかき消された。
「間に合ったんだね?」
ボクの前に立った雪歩が、微笑みながら言った。
軽く頷いてその問いかけに答える。
それからしばらくの間、ボクらは見つめ合った。
ねぇ雪歩?
ボクはキミに聞きたいことがあるんだ。たくさんたくさん。
聞いてしまったことで、何かが変わってしまうかもしれない。
だけどボクらは、それを乗り越えられるハズだよ。
だってボクらは……親友だから。
頭の中にはいくつも言葉が溢れてる。
それなのに、口からは何も飛び出していかない。
そんなボクを見かねたのか、雪歩が先に口を開いた。
「真ちゃん?」
そして、いつものように優しくて儚い声で言った。
「ベンチに座ろ?あの、青いベンチに」
「綺麗な夕焼けだね」
ベンチに座って空を見上げた雪歩が、なんだか名残惜しそうな口調でそう言った。
それからボクの方へ向き直り、ゆっくりと語り始めた。
「これからするお話は、全部本当のこと。 真ちゃんに信じてもらえるかどうか分からないけど……」
そこで一度言葉を切って、眼を閉じた。
駅の方からは走り去っていく電車の音。
その音が消えたとき、雪歩は再び眼を開けた。
そして何かを決意をしたような表情と声で、ボクに言った。
「私の住んでいる世界のことだよ」
東の空はオレンジから紫へと、その色を変えて始めていた。
2876年。
それが雪歩の住む世界。
何度もの大きな戦争のせいで地上は荒れ果て、空気は汚れてしまった。
だからその時代の人たちは地上を捨て、地面の下で暮らしている。
大きな穴を掘り、地下に建物を造って。
「時代を遡って来たときも地面の下で暮らしてるんだよ?
穴を掘って、1人用の居住ルームを備え付けるの」
―私が自分で掘ったわけじゃないけどね。そう言って照れたように笑った雪歩。
2876年の技術を用いた道具なら、それくらいの穴は30分ほどで掘れてしまうみたいだ。
「そして、時間を遡る理由は、これ」
そう言ってポケットから取り出したのは、例のガラス製の容器。
薄く紫がかったピンク色の液体が、小さく波打ってる。
「これはね?コスモスの花びらから抽出した液体に、特殊な溶液を混ぜ合わせたもの」
「コスモス?」
「うん。私たちの世界からはもう、失われてしまったお花」
雪歩が生まれる10年前。
科学者である雪歩のお父さんは、ある発見をした。
特定の品種のコスモスから抽出される液体に特殊な溶液を混ぜ合わせると、時間を飛び越えることができる、って。
その頃の地上はまだそれほど汚染されていなくて、コスモスも簡単に手に入れることができた。
飛び越えることの出来る時間が数秒から数分になるまでに、5年の歳月が費やされた。
数時間、数日、数ヶ月、そして数年……。
発見から27年が経ち、好きなだけ時間を越えられるようになった頃、最も大きな戦争が巻き起こった。
「トドメ、ってやつだね。コスモスだけじゃなく、地上に存在する総てに対しての」
そう言って力無く笑った雪歩の表情は、ボクなんかよりもずっと大人びていた。
「最初はお父さんが時間を遡ってたんだけどね。いまは私のお仕事」
「どうして雪歩が?」
「お父さんには研究に集中して貰いたいから。それに……」
「それに?」
「やっぱり楽しいから。この時代は」
そっか……。
人々が地面の下で暮らす世界に、年頃の女の子が喜ぶ娯楽なんてあるハズないもんね。
「でも、今回はちょっとハメを外しすぎちゃったかも。
だって、アイドルになっちゃったんだもん!」
満面の笑顔でそう言った雪歩。
彼女が「ハメを外しすぎた」ことに、ボクは大いに感謝した。
だってそうでなきゃ、ボクらは出会えなかったんだから。
そして美希は助からなかったんだから。
再び真顔に戻った雪歩が話を続ける。
あるとき、雪歩のお父さんはこう考えた。
「時間を越えることが出来るのなら、空間も越えることも出来るのではないか」
って。
それが実現できれば、どこにだって行ける。
汚れてしまった地上から、他の星に旅立つことだって……。
「無責任だって言う人もいるよ?汚れてしまったんじゃなくて、『汚してしまった』んじゃないか、って。だけどね……?」
すでに半分ほど紫色に染まった空を見上げながら、雪歩は言った。
「生き物はやっぱり、お日さまの下で生きるべきなんだよ」
ボクには想像も出来ない世界に生きている雪歩の言葉に、胸が痛んだ。
「ねぇ真ちゃん?コスモスの語源、知ってる?」
「…何語?」
「ギリシャ語だよ」
『comparison』の意味も分からなかったボクに、ギリシャ語なんて分かるハズもない。
無言で首を横に振ると、雪歩はからかうような微笑みを浮かべた。
「もともとはね、『Kosmos』っていうギリシャ語。秩序とか、美しいっていう意味の」
「そう…なんだ」
「当時のギリシャの人たちはロマンチックだったんだね。夜空の星が整然と並んでいるのを見て、宇宙のことを『Cosmos』って呼ぶようになったんだって」
突然始まったギリシャ語の講義に、頭の回転が付いていかないボク。
2876年の常識なのかな、それ?
「そして整然と花びらが並んだ可愛らしいお花にも、同じ名前を付けたんだよ」
「それがコスモス?」
「うん。人間って凄いよね。何千年も前に、宇宙とお花を結び付けたんだから」
興奮気味に話してる雪歩。
それを見て戸惑っているボクに気付いたのか、大きく深呼吸した。
「『Cosmos』から作られた液体を使って、『Cosmos』に飛び出してゆく。
もう一度、お日さまの下で暮らすために」
また空を見上げた雪歩。
だけど今度は、空を見ているわけじゃなかった。
その先にあるもっと大きなものに思いを馳せているのが、ボクにも分かった。
「『Kosmos,Cosmos』それが私たちの世界の合い言葉」
ボクを見ながらそう言った雪歩の表情は、とっても誇らしげだった。
「……もう一つ、お話ししておかなくちゃいけないことがあるの」
さっきまでの表情とはうって変わって、悲しげな顔をした雪歩。
「……なに?」
雪歩が何を言うのかなんて見当も付かないけど、それを聞きたくはなかった。
聞いてしまうことで、何かが終わってしまうような予感がしたから……。
「この液体を作るのに、1ヶ月くらいの時間がかかるの」
手のひらに載せたガラス製の容器に視線を落としながら、声まで悲しげになっていた。
「完成しちゃったから、もう帰らなくちゃいけないんだよ。私の世界に」
―みんなが待ってるから。
その呟きはまるで、自分に言い聞かせてるみたいだった。
「……また、帰ってくるんだよね?」
ボクと眼を合わせようとしない雪歩に、返答を促す。
だけど返ってきたのは、期待しているものとは大きく異なる答えだった。
「帰ってくるよ。だけど……真ちゃんは私のことを覚えてない。真ちゃんだけじゃなく、みんなも」
「……どういうこと?」
「そういう決まりだから。飛び越えた先の時代で関わった人には、私の記憶を残しちゃいけないって……」
「そんな!?」
言っている言葉は理解できた。
だけど、言っている言葉の意味はちっとも理解できなかった。
正確に言うと、理解しないように努めてた。
「真ちゃんが初めて私を見たのはいつ?」
雪歩を初めて見た日……?
うん、よく覚えてるよ。
あれは今年の1月。美希と2人で受けたオーディションの会場に、怯えたように立ち竦んでいる女の子がいた。
「それが雪歩だった。そうでしょ?」
「ごめんね真ちゃん。それは偽物の記憶なんだよ。初めて見たのは私が765プロに入った日」
俯いたまま申し訳なさそうな声で喋っている雪歩。
泣くのを我慢しているようにも見えた。
「……どういう…こと?」
「この時代では催眠術って言うのかなぁ?」
「そんなの…そんなの信じられるわけないじゃないか!」
「そうだよね……。だけどね?催眠術っていうのは、1人にかけるより大勢にかける方が簡単なんだよ。
記憶を植え付けるのも、そして、消してしまうのも」
2人の間に流れる、重い沈黙。
ボクは拳を握りしめ、なんとか声を絞り出した。
「……どこまでが偽物の記憶なの?」
「……私のお父さんのこととか。もちろん、この時代のね」
「萩原建設の社長、っていうのは?」
「あのときとっさに思い付いた会社名。ごめんね……」
雪歩を責める気なんてなかった。
だけど、ボクの知ってる雪歩が、どんどん消えていくような気がした。
それが悲しくて、辛くて、悔しくて……。気が付くとボクの眼からは、大粒の涙がこぼれ落ちていた。
そして、雪歩の眼からも。
「……雪歩のこと、誰にも喋らないから」
嗚咽混じりの声で、途切れ途切れの声を投げかけるボク。
「雪歩は親友だから…忘れたくないから…だから……」
ボクから雪歩の記憶を消さないで。
そう叫びたかった。
だけど、涙が邪魔をして、声にはならなかった。
「ダメだよ真ちゃん…ダメなんだよ……」
ボクを諭すような雪歩の声。
儚くてキレイで、だけど稟とした、ボクの大好きな声。
この声を忘れてしまうことなんて、考えられなかった。
「もう…行くね?」
そう言ってベンチから立ち上がった雪歩。
ボクも雪歩に引っ張られるように立ち上がり、行かないで、って叫ぼうとした。
だけどその前に、雪歩の細い腕で抱きしめられていた。
「言わないで真ちゃん…帰りたくなくなっちゃうから…このままでいたくなっちゃうから…お願い……」
震えている雪歩の身体を、ボクも強く抱きしめた。
こんなに華奢な身体に、あんなに大きな覚悟と使命をしまい込んでる。
そう思ったとき、雪歩の頭を撫でながら自然にこう言っていた。
「分かったよ、雪歩」
腕の中の雪歩が、震える声で「ごめんね」って言った。
何度も何度も、「ごめんね」って。
そして最後に、今までで一番透き通った声で言ったんだ。
「ありがとう、真ちゃん」
って。
ボクの腕から離れた雪歩が3歩ほど後ずさった。
ボクの眼をまっすぐに見つめたままで。
「お願い真ちゃん。後ろ向いてて」
ボクは雪歩が望む通りに、背中を向けた。
空はまだ少し明るくて、夏の余韻を感じさせた。
「眼を閉じて」
声のままに、ゆっくりと眼を閉じる。
背中の向こうで雪歩が動く気配がした。
そして後ろから抱きしめられた。
背中から伝わる雪歩の温もり。
ボクの大好きな雪歩の、優しい温もり。
「約束するよ、真ちゃん」
「何をだい?」
「いまから何年か先の未来。きっと真ちゃんの前に現れるよ。真ちゃんに私だって分かるような形で」
「……うん」
「だから、さよならは言わないよ?」
「うん。ボクも言わない」
少しずつ頭の中が白くなっていく。
背中の温もりも消えていく。
「またね、真ちゃん」
「またね、雪歩」
2つの声が混ざり合い、溶けていった。
そして再び眼を開けたとき……。
ボクは1人で、いつもの屋上に立っていた。
自分がどうして泣いているのかも分からずに。
不思議な感覚だった。
まるで自分の父さんや母さんの顔を忘れてしまったかのような、不思議な感覚。
「……ボク、何を忘れたんだろ?」
頭をフル回転させてみたけど、何も浮かんでは来なかった。
「……ま、いっか。思い出せないってことは、大したことじゃないってことだよね、きっと」
自分で勝手に納得すると、屋上の出入り口に向かって歩き出そうとした。
そのとき、ジーンズの後ろポケットから、何かがコンクリートの上に落ちた。
「これは……?」
膝を屈めて、それを手に取ってみる。
「花?えっと、この花はたしか……コスモス、だよね」
それは薄く紫がかったピンク色の、一輪のコスモスだった。
8月28日、快晴。
ボクはいつものように、美希と2人でお昼ご飯を食べていた。
「いよいよ明日だね!」
「へ?何が?」
ゴミを白いビニール袋に入れながら、美希が思い出したように言った。
「真君の誕生日、なの!」
あ、そっか。
明日8月29日は、ボクの18歳の誕生日だったね。
「あんまり嬉しくないんでしょ?夏休み終わる直前だから」
「そうなんだよね……」
「誕生日を迎える」=「もうすぐ夏休みが終わる」だから、今年もあんまり嬉しくないなぁ。
しかも、学生生活最後の夏休み……。
「ミキ、もう行くね?ダンスレッスンに遅れちゃうの」
「うん、わかった。頑張ってね」
「ハイなの!」
レッスンに向かう美希を見送ると、ボクはベンチの背もたれに背中を預けた。
そしてバッグの中から、白いハンカチを取り出した。
ハンカチを開くと、その真ん中にはコスモスの押し花。
薄く紫がかったピンク色の、優しく、そして儚いコスモス。
あの日うちに帰ると、不器用な手付きでこれを作った。
なんでこんなことを思い付いたのかは、自分にも分からない。
だけど、こうするのに十分な理由を、ボクは持っているような気がしたんだ。
ハンカチを畳み、空を見上げた。
ベンチと同じ、薄い青色の空。
その空の真ん中を、一筋の飛行機雲が貫いていた。
太陽が昇る方角に浮かぶ大きな入道雲を目指して、真っ直ぐに。
もうすぐ夏が終わり、コスモスの季節がやってくる。
お し ま い
終わりです
時間かかってごめんね
>>105
一週間くらい前に書いたのが最後
>>103
ありがとう
ネタがあれば毎日でも書くんだけど、なかなか思いつかない……
13:52│菊地真
