2013年11月08日
涼「嘘と裏切りと律子姉ちゃん」
※この作品には殺人、レイプその他エログロシーンが含まれます。
プロローグ
プロローグ
「大丈夫。大丈夫よ、涼」
女は、よろよろと進む。
その背に負うものの重みと地面の傾斜が、その速度と正確性を奪う。
蹴躓き、何度も膝をつきながら、それでもけして背中の人物を落とすことなく、彼女は山を下る。
「道まで出たら、適当な車をつかまえて、救急車を呼んでもらいましょう。そのまま乗せていってもらってもいいわね」
彼女の肩に頭をあずけっぱなしの従弟が、こくんと頷いたような気がして、女はおかしくなってしまう。
「でも、乗車拒否されちゃうかしら。こんな汚れてたら」
彼女は己の体を見下ろして、そう呟いた。スニーカーが泥まみれなくらいは、山にいるのだから当たり前だろうが、グレーのパンツスーツも
べっとりと汚れている。
染め抜かれた色は、暗い赤茶。
泥でも汗でもない、それ。
「大丈夫よ。大丈夫」
真っ白な顔で力なく彼女の背に負われている従弟に声を掛け続けながら、彼女は山をじりじりと下り続ける。
がくがくと震える足で、荒い息を吐きながら、彼女は行く。
その背に従弟の亡骸を抱えながら、秋月律子は、行く。
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――1日目
「はい、はい。わかりました。いえ、そんな……ありがとうございました。失礼します」
受話器を置いて、私はふうとため息を吐く。
そのまま、なんとなしに電話機をみつめていた。765時代とは違う機種に、まだなんとなく慣れることが出来ていない。
「警察、どうだって? 秋月さん」
斜め前のデスクで仕事をしていた尾崎プロデューサーが、これも疲れた口調で訊ねかけてきた。
「いつも通り、進展はなし、っていうのを遠回しに聞かされましたよ。頑張ってくれてはいると思うんですけど……」
「そう……」
尾崎さんの顔が暗く翳る。きっと、私の表情も暗いだろう。
遡ること一月。石川社長――芸能事務所876プロダクション社長の石川実が失踪した。いや、状況から判断すると、おそらくは拉致された。
けれど、犯人側から身代金の要求などの働きかけがなかったために、捜査は手詰まり。そんな時、かつて876プロに所属していたまなみさん
――岡本まなみが同じように姿を消した。
彼女に関しては他人に連れ去られたような痕跡はなかったものの、警察は連続誘拐事件として認識し、捜査を続けている。
しかし、日々は空しく過ぎるだけで進展はなかった。
そんな中、経営者を失った876プロには、提携関係にあった765プロから二人の人間が出向してきている。アイドルを引退したばかりの私、秋月律子と、
私をトップアイドルにまで育て上げてくれたプロデューサー。
私たちは、引退後には765プロから独立して芸能事務所を起ち上げる予定だった。けれど、876の緊急事態に急遽予定を変え、876プロを手助けすること
になったのだ。
見方によっては765プロによる876プロの乗っ取りとも受け取れる事態だけど、業界からは好意的に受け止められているようだ。
なにしろ、876もいまや売れっ子アイドルを抱える事務所。へたに倒れられてアイドルも共倒れになられては困る、と各局、各部署が考えたのも無理は
ないのかもしれない。
そんなわけで私は876の事務所にいて、そして、いつものように警察に問い合わせ、おなじみの返答を得ていたというわけ。
「無事を祈りたいけど……これだけ時間が経っていると」
「それは……。わかりますけど、私たちは希望を失わずにいましょうよ。涼たちを暗くさせるわけにはいきませんからね!」
「そうね……」
尾崎さんが絶望的なことを呟くのに、私は努めて明るく答える。もちろん、私だって内心では……。
ううん。そんなことを考えていてもしかたない。
「そういえば、今日から泊まりですから。後、よろしくお願いしますね」
「ああ……。村おこし企画だっけ? 高ランクのアイドルを呼ぶなんて思い切ったものね」
「涼は、日高さんや水谷さんよりは低ランクですからね」
二人がAランクなのに対して、私のいとこである涼はずっとBランクに留まっている。けして低いランクではないが、ギャラに差があるのは事実だ。
とはいえ、涼に実力がないわけではない。なにしろ私だってAランクに上がれたのだから、涼がAランクになれないはずがないのだ。
でも、まあ、そこは、いまや、涼のプロデューサーとなった私の腕の見せ所というところだろう。
「じゃ、出かけてきます」
「はい、いってらっしゃい」
そうして、私は涼と待ち合わせている東京駅へと向かったのだった。
「ずいぶん山奥なんだね」
レンタカーの窓から流れる景色を眺めながら、後部座席に座る涼がそんなことを呟いた。
実際、そこにあるのは、そんな感想が出て来るのもしかたないくらいの山深い風景。
最寄りの新幹線停車駅まで移動して、さらに一時間車を飛ばして、ようやく指定された場所に近づいてきているところだ。
「ごめんね。もうしばらくだから」
「ううん。別に構わないよ」
涼の柔らかな笑顔をバックミラー越しに見つめて、私は複雑な気持ちになった。彼が浮かべているのは、確かに魅力的な笑顔ではあるが、それは
営業スマイルに近い。
昔、見せてくれていた笑顔とは、少し変わってしまった。あるいは、そう感じるのは涼が着けている衣服のせいもあるのかもしれない。
女性アイドルとして売れっ子となり、そして、ほんとうは男性であるという事実をカミングアウトすることに失敗した――圧力を受けてどうしようも
なかった――涼は、その後、どんな時でも女装を貫いた。
オフの時や、事情を知る私と会う時くらいは男の姿をしても良いだろうに、そうやんわりと促したのだが、ファンのために偽りであっても女性として
活動を続けたいと主張する彼は、けして本来の性にふさわしい服装をとることはなかった。
そう、彼は、外から見るだけでは可愛らしい女の子にしか見えない姿を、いまもしている。
無理をしているだろうとは思っても、どうやってそれを解きほぐして良いかわからない。私は彼のプロデュースをするようになってから、このことに
悩まされ続けている。
とはいえ、現状の仕事は『女性としての秋月涼』を求めていて、今日もそれは同じだ。
まずはそちらに集中しよう、と目的地に向けて、車を走らせる。
「あら……?」
指定された駐車場に入り、依頼者に到着の連絡を入れようとして、携帯電話の電波が入らないことに気がついた。
以前、打ち合わせの電話をした時には相手も携帯だったから、地域全体に電波が届いていないということはないだろう。
「ちょっと電波悪いみたいだから、外に出てみるわね」
「ん。僕は待ってたらいい?」
「ええ。そこにいてちょうだい。なにか買ってこようか?」
軽く首を振ってシートにもたれかかり、目を瞑る涼を置いて、車から下りた。
大型のトラックやトレーラーがいくつも連なる中をうろうろと電波を求めてさまよう。
「ん、ちょっと入るかな。かけてみよ」
そうして、携帯電話を耳にあてた時だった。
がつん。
そんな音がするかのような衝撃を首に受け、視界に火花が飛ぶ。平衡感覚が失われ、そのままがっくりと膝をついたところで、自分が殴られたのだと
ようやく頭が理解した。
「え……」
携帯電話がどこかに転がっていく、からからという音が聞こえる。気づいた時には地面に両手をついていて、体を支えようとするその腕の力も萎えて
いこうとしているところだった。
本能が打ち鳴らす警鐘に従って体を動かそうにも、どうやっても力が入らない。
なんとか後ろを振り向こうとして、しかし、再び訪れた衝撃にその目論見ははかなく潰える。
そこで、私は意識を失った。
「んぅ……」
頭の割れそうな頭痛に目を開ける。いや、開けたはずであった。
だが、視界は闇に包まれたままだ。
「え?」
事態が把握できない。
無意識に体を動かそうとして、自由がきかないことにも気づいた。
「え……」
驚きの声もかすれ、まともに出てきていない。
これは一体どういうことだと千々に乱れる思考をまとめようとしていると、聞き慣れた声が耳朶を打った。
「律子姉ちゃん!?」
「涼? 涼、いるの?」
「うん。少し離れたところだけど……」
「良かった……」
暗闇の中、唯一導きの光となるような温かさをその声に感じる。
まるで状況は把握できないが、涼は無事で、そして、一緒にいるらしい。私はほっと息を吐いた。
けれど、その安堵は即座にひっくり返される。
「それが、良くないんだよ。律子姉ちゃん」
「え?」
そこで彼は少し口ごもり、私は暗闇の中で待たされることとなる。
その間に、思い出していた。そうだ。私、殴られて……。
「あのね、律子姉ちゃん。ぼ……私たち、拉致されたみたい」
ようやく押し出すようにして言った涼の言葉を、しばし、理解出来なかった。驚きの反応も遅れてしまう。
「えぇっ?」
「律子姉ちゃんも、私も手術台みたいなところに縛り付けられてて、律子姉ちゃんは目隠しされてる」
「ウソ……」
呆然と、言葉を漏らす。それ以外、なにも思考が形にならなかった。
「少なくとも、私が頭を動かせる範囲で見える部分で言うと、そうなんだ……」
ごくり、と唾を飲み込む。ずきりと後頭部が痛んだが、その痛みがかえって希薄になっていた現実感をつなぎ止めてくれた。
「……私たち以外に、誰かいるの?」
しばし考えて、そう問いかけてみた。目隠しされているという自分にはなにも見えない以上、涼からの情報をあてにするしかない。
「いまのところ、部屋には誰もいないみたいだけど……」
「じゃ、じゃあ、涼。落ち着いて、見えるものを教えてちょうだい。なんとか逃げられないか探らないと」
「うん、わかった。ええと……」
『おっと、おしゃべりはそこまでにしてもらおう』
唐突に、ざらついた声が響く。合成音……いや、ボイスチェンジャーだ。
「天井にあるスピーカーから声が出てるよ。人が入ってきたわけじゃない」
抑えた声でそう涼が教えてくれる。その情報を得ることは不安を和らげてくれたものの、それ以上の嫌な予感をもたらした。
『黙れ』
「うぐっ」
思った通り、というべきだろうか。きつい声が飛び、次いで涼の苦鳴が聞こえた。
「涼? 涼!」
『黙れ。これが最後の警告だ』
悲鳴のように、涼の名前を呼んだ。だが、返事が返ってくるより前に、私の喉を何かが締め上げた。
「ぐ、が……」
苦しい、苦しい、苦しい。
なにかベルト状のものが、喉を強く締め付けている。
息ができない苦しさにもがこうとしても、縛り付けられた体は動かない。苦しみをどこにも逃すことが出来ず、舌を突き出し、声にならぬ苦鳴をあげる
ことしかできない
ふさがれているはずの視界にちかちかと赤い光が見えるようになった頃に、その締め付けは解かれた。
「げほっ! ごほ、ごふっ」
一気に喉が解放されたことで、咳き込んでしまう。
私のものとは違う咳き込む声が聞こえてくることからして、涼も同じような目にあわされていたらしい。
そう判断できるようになったのは、その咳がおさまりかけたころのこと。
『こちらの指示以外の事をすれば、即座にこのように報いを受ける。理解したかな?』
返事を期待したものではなかったのだろう。声は私たちの反応を待たずに続いた。
『さて、まずは現状を理解していただこう。君たちは、いまや私に支配されている。体は拘束され、ボタン一つで首を締め上げ、命を奪うことも可能だ』
機械で変調された声が、冷酷な事実を淡々と告げる。その内容よりも、むしろ、その声の平板さに身震いせずにはいられない。
いかに機械を通していても、動揺や感情は声から伝わる。そのはずだ。
だが、相手からはそんな様子が微塵も感じられない。つまりは、それだけ残酷なことに慣れているのだ。あるいは、元々そんなものを感じる情動に薄い
のか。
その事に思い至って、私はなにかがかちかちと鳴るのを聞いた。
自らの歯の根が合わずにぶつかりあう音を。
声は、しばらく続かなかった。もしかしたら、私たちが怯えているのを見て楽しんでいたのかもしれない。
『さて、元トップアイドル様と現役アイドルを手に入れたわけだから、年増の社長や無能マネージャーとは違う楽しみ方をさせていただこう』
ああ、と声にならぬため息が喉から漏れる。
うすうすは危惧していたとおり、この相手は、石川社長やまなみさんを拉致したその人物なのだ。
そして、その言葉に、下卑た欲望の匂いを私はかぎ取った。
ようやく見せた相手の感情の揺らぎが、さらに私を恐怖させる。
『どちらから楽しむとするかな』
これから起こることを予期し、そして、私ははっと気づいた。
震える体に活を入れ、からからに乾ききった唇を舌で湿らせてなんとか言葉を押し出す。
「二人もいらないでしょう」
「律子姉ちゃん?」
なんとしてでも涼を守らねばならない。
『なんだと?』
「二人同時に監禁しておくのは、リスクが高いし、あまり意味がないんじゃない? 私一人いれば十分でしょ。涼はまだ子供だし、放してあげて」
そう、涼を守らねば。
私は涼のお姉ちゃんで、プロデューサーなのだから。
ちと休憩。
20分ほどしたら、また投下再開します。
だが、自己犠牲の言説を唱えながらも、その裏にもっと切実なものがあることも、私は知っていた。
涼は、男だ。
そして、女性二人を捕らえたと思い込んでいる相手に、その事実が知れたらどうなるか。
失望は怒りを呼び、怒りは突発的な行動を促しかねない。
そう、涼が男と知れるや、私たちはすぐさま縊り殺されかねないのだ。
私は死にたくない。涼を死なせたくない。
だから、私は必死に犯人を誘う。出来る限り私に注意を引き寄せ、そして、どうにか涼を解放させるために。
『ほう、面白い』
声は、驚きよりも嘲りの色が濃かった。なんとでも思うがいい。まずは、生き残る道を探るべきだ。
『自ら申し出るとは、驚きだよ。とはいえ……』
なにか、ぷしゅっと小さな破裂音がする。何の音だろう?
涼が息を呑むのがわかる。それに続いて、こつこつと近づいてくる足音。
そうか、相手が入ってきたのか。
「なにをっ」
その声を皮切りに、もみ合う音が聞こえる。私は動かない体をなんとか動かそうともがき、叫び、涼の名を呼んだ。
「涼! 涼! 涼になにをしたの!」
『たいしたことではない。別室に行ってもらっただけのことだ』
返事は、さっきまでとは違って聞こえた。これまでのスピーカーより随分小さく、そして、近い。
ボイスチェンジャーから直に出ている音だ。
つまり、犯人はすぐ側に居る。
だが、涼の声は聞こえない。おそらく、こいつの言うように、別の部屋に追いやられたのだろう。
『さすがにこのままお帰り願うのは現実的ではないからね。しかし、だ』
足音がする。相手の気配がごく近くに感じられた。
『君が私を楽しませてくれている限りは、あちらの無事は約束してやってもいい』
「ほ、本当?」
『ああ。ただし、もちろん』
私はびくんと体を震わせる。犯人が、ついに私に触れたのだ。
肩に触れたその手のおぞましい感触に、震えが止まらない。
『君にはそれなりの代償を支払ってもらうがね』
そいつの指が、私の胸をわしづかみにした。その容赦ない強さに、私は悲鳴を堪えるのがやっとだった。
犯人の言うことを信じる他ない私は、奴を思う存分楽しませてやるために、ひたすら怯えた様子を見せた。
演技などしてみせる必要はない。実際に、私は恐れ戦き、やがてくる運命を嘆いていたのだから。
鋏をかしゃんかしゃん鳴らしながら、犯人は私の衣服を切り裂いていく。
脱がすのではなく、わざわざ鋏で切る行為が、相手の嗜好に基づくものなのか、私を台に縛り付けているという実際的理由からなのかはよくわからない。
だが、冷たい金属の刃が膚に当たる度、私は本能的恐怖に身をすくめた。震える私を、動くとどこか切れてしまうぞ、と楽しげに脅す犯人が恐ろしく、
そして、憎くてたまらない。
陵辱を受けているというこの状況に、ついつい思考を手放してしまいそうになる。
けれど、それは許されない。
私は自分が臆病で、怠け者で、諦めやすくて、すぐに逃げ出してしまうことを知っている。
だからこそ、逃げられない。
私には美希のような才気もなければ、貴音のような思慮深さもない。伊織のように肝が据わっているわけでもない。
そんな人間に残されているのは、努力することだけだ。
思考を放棄するわけにはいかない。状況を把握し、そして、逃げ道を探らなくちゃ。
一人なら、そんなことはできなかったろう。けれど、ここには涼がいる。
あの子が男であることが知れぬうちに、逃げる算段をつけること。その目標だけが私の心の支えだった。
現状を鑑みるに、まず、相手は男で、そして単独犯だ。
男でなければ私の体を楽しもうなんて思わないだろうし、そして、複数人が共謀しているのなら、わざわざこの男が涼を別室に連れて行く必要もない。
単独だと思わせておいて、どこかで見張っている可能性もまるでないわけでもないが、いまは考えてもしかたあるまい。
ボイスチェンジャーで声を変え、私に目隠しをさせているのは、まだ救いがある。
正体を隠すということは、すぐに私たちを殺す……始末する意図がないことを示している。最初から闇に葬る前提なら、そんな手間をかける必要は
ないのだ。
次に、体を拘束されている状況をいかにして覆すか、ということだけど……。これがなかなかに難しそうだ。
涼は手術台のようなものと言っていたが、その言葉で想像する平面的なものとはちょっと違うようだ。
というのは、男が衣服を切り裂いていくために操作して台が動いたためにわかったのだが、この台は脚部と腕部が独立して動くようなのだ。
つまり、体にかなりフィットして、私の意思とは無関係に動かせるようになっているわけ。
そう、いま、男がじょきじょきと切り捨て、じわじわと膚を露わにしていっている下半身は、私の意思に反して、大きく広げられている。
それを意識すると、羞恥に体が熱くなる。無理矢理脚を開かされ、パンツとストッキングを鋏で解体されるなんて……。
いや、今更だろう。どう取り繕おうと、これからの展開は予想出来ているのだ。
私は、この男にレイプされる。
「ひっ」
鋏が膚に触れ、私はそんな悲鳴を漏らす。
これまでも何度も何度も漏らしている恐怖と嫌悪の声。
『くふ……くふっ』
男の笑いなのだろうか。奇妙に甲高い音とノイズが混じる。ノイズは荒い息だろうか。いずれにせよ、とても気持ち悪い。
だが、泣くことだけは我慢していた。
どれだけ悲鳴を漏らそうと、どれだけ震えようといい。けれど、涙だけは見せたくなかった。それは単なる意地でしかないけれど、でも、この屈辱の中で
唯一押し通したい意地だった。
それでも、さすがに下着をはぎ取られ、下半身を全て露出させられた時には、涙がにじんだ。悔しさと怖さからではない。
あの人を思って。
そこから先は、正直、意識や感覚自体が曖昧になる。
ああ、これが精神を自ら保護する作用だろうか、などとぼうっとした頭で考える。
覚えていられたのは、執拗に唾を塗り込める舌で体中が穢されたこと、膚と秘所にぬめぬめしたなにか――潤滑液だろう――をぬりたくられたこと、
全ての場所が指でなぞられ、開かれ、見つめられたこと、そして、体を割り裂くような痛み。
「ぐぅ……」
体の中をかき混ぜられるような苦痛に呻く。
吐き気がする。
おぞましくて、情けなくて、怖くて、辛くて、寂しくて、哀しくて、むかっ腹が立って、そして、なによりもイタイ。
『あれ、結納までして、プロデューサーとまだしてなかったんだ』
それまで冷静な口調を保っていた声が、それまでにはない幼く、明るい調子でそんなことを呟く。
え?
「どうして……?」
自分の声とは思えないようなしゃがれた声が、疑問を形作った。
まだしていないというのは、処女の証を見たからだろう。
けれど、結納のことを知っているのはどういうこと?
私とあの人……プロデューサーが恋仲であることを知っている765プロの仲間たちにすら、そのことは伝えていない。それなのに、なぜ、この男が?
『あ、しまった。まあ、いいか』
くすくすという笑い声。それと共に、私の目隠しがむしり取られた。
その顔は、最初は逆光になって、よく見えなかった。ずっと暗闇に閉じ込められていた目が、天井の照明を受けて、ホワイトアウトしてしまったせいも
あるだろう。
だけど。
ああ、だけど。
ぼんやりと見えていたものが確かな形になるにつれ、私の心にひびが刻まれる。
「あ、あ……あ……」
声が出ない。意識が定まらない。鼓動がいままで以上に跳ね上がる。
眼鏡などかけていなくとも、見紛うはずがない、その顔。
それは紛れもない、私の従弟、秋月涼、その人の顔。
「あんた、脅されて……」
唯一納得できる可能性にすがろうとしても、それはあっさりとはね除けられた。
「ばかだなあ、そんなことあるわけないだろ」
きゃはは、と聞いたことの無いような笑い声をあげて、彼は吐き捨てる。
「そんなことより、見てよ。律子姉ちゃん」
髪をつかまれ、ぐいと持ち上げられる頭。首にかかったベルトが喉を圧迫する中、私は見た。
私の体に打ち付けるように出入りする涼のものを。
涼と私は、間違いなく繋がっていた。
「あああああああああーーーーーーーっ!!」
絶叫する私の頬を、大粒の涙が滑り落ちていった。
――4日目
「ん……」
目を醒まし、そして、淡く光る天井を見つめて、これまでのことが夢でなかったことを確認する。
裸のままごろりと寝返りを打って、私は腕を両目の上にのせた。
なにも見たくなかった。考えたくなかった。
現実を、全て拒絶したかった。
だが、そんなことはできるはずがないのだ。
涼は、あの後、私を散々に犯した。
ひたすらに犯される中で無理矢理に口に食べ物を詰め込まれ、気絶する最中でも嬲られ、排泄を強要され、射精の回数を数えさせられた。
涼がひとまず私を拘束から解放するまでに精を放った回数は、十八回。
私のお腹には、マジックで記された正の字が三つと、下と読めなくもない字が黒々と残されている。
私が自ら書いたのだ。
そう強要されたからではあるが、途中からは機械的に指示に従っていたようにも思う。
なにしろ、睡眠の代わりに気絶していたとはいえ、二昼夜にわたり断続的に犯され続けたのだ。
反抗する意思など残るはずもない。
そもそもいじくられ続けた――涼のものが回復していなくとも、蠢く器具で玩ばれた――お陰で私のあそこは腫れ上がり、挿入されずとも痛みを
発していたくらいだ。
涼の恐ろしいほど大きなものを突っ込まれたら、それだけで泣きわめくほど痛く苦しかった。あの状態でなにができるだろうか。
しかし、いま思い返せば、あの時は涼の性器もずいぶん痛んでいたのでは無かろうか……。
きっと、そんな痛みなど気にならないほど、私を憎んでいるのだろうけれど。
憎んでいる。
そうだ、涼は私を憎んでいる。
私だけではなく、石川社長やまなみさんや……彼を女装アイドルという不本意な立場に追い込んだ全てを。
それを痛感したのは、唯一彼に反撃を試みた時の事だ。
拘束から解放された私は、体の力を総動員して、彼をひっぱたこうとした。
それでどうにかなると考えたわけでもない。ただ、すり切れずに残っていた激情に任せた一撃。
だが、それはあっさりと防がれた。
いや、それどころか、私が叩こうとした次の瞬間には、床に転がされ、組み伏せられていたのだ。
「昔とは違うんだよ、律子姉ちゃん」
どこを極めているのか、涼が掴む場所からは痛みというよりは灼熱の感覚が走っていた。体を少しでも動かせば、信じられないほどの激痛が走り、
意識が途切れかけたほどだ。
「僕を都合の良い弟分だと思わないで欲しいな」
涼は冷静な声でそう続け、そして、なにかとてもいいことを思い出したかのように、朗らかに笑った。
「ああ、そうだ。いいものを見せてあげるよ」
そうして、私はそれを見せられたのだ。
『いだいいだいだいいいいぎぎっぎぎっ』
部屋の壁の一つにはめ込まれたモニターにその無惨きわまりない光景が映り、天井に設置されたスピーカーから、大音量の悲鳴が迸る。
「残念なことに、石川社長は映像とか残す前に死んじゃってさ。なにしろ最初だったから、僕も焦ってたんだよね」
『ゆるひ、ゆるひぐぎゅぎゅぎゅぎゅ』
人の上げるものとはとても思えない、絞め殺される動物のような苦鳴が響く。画面の中では、見知った顔が歪んでいた。
まん丸に目を見開き、涙を流し、小刻みに震えるその姿は、岡本まなみ。
「まなみさんは嘘つきだからね。舌を抜いてみるのが一番だと思ったんだ」
涼の言葉通り、画面の中ではまなみさんの舌はペンチで挟まれ、引っ張られている。顔が固定されていないためか、ちぎれたりはなかなかしないようで、
映像の中では何度も何度も引っ張られている様子であった。
「ただ、舌をかみ切って死ぬって難しいんだってね。これ、やってから調べて知ったんだけど」
モニターにはまなみさんの舌を引き抜こうとしている涼の姿がはっきりと映っている。まなみさんが苦しみもだえ、そして許しを請う姿を見て、彼は
狂ったように笑っていた。
とても楽しそうに。
とても苦しそうに。
「でも、かなり痛いみたいだから、その点では成功だったな」
現実の涼は、淡々と、実に淡々と、そう述べる。映像の方の涼は、まなみさんの顔を押さえつけた上でひねりを入れる事で、彼女の舌をひきちぎることに
成功していたようだった。
血をあふれさせる口からごぼごぼと喘鳴が聞こえる。彼女の目はひっくり返り、白目をむいていた。
「もうやめてっ」
涼の隣で崩れ落ち、耳を塞いで頭を抱える私。これ以上、とても耐えられそうになかった。
「続き、見ないでいいの? まだまだだよ?」
そう言いながらも、涼は手に持っていたリモコンを操作して、モニターの電源を落とした。
「結局、この後、歯を全部折り取ってね。三日後に見に来たら死んでたよ。失血か窒息が原因かな」
自分の血で溺れるってどういう気分なんだろう、なんて言葉が涼の口から出るなどと、誰が想像出来たろうか。
でも、これは間違いのない現実なのだ。
「律子姉ちゃんにあそこまでのことをするつもりはないけど、あんまり反抗的だと、気が変わるかも知れないよ」
そう言い捨てて、彼は部屋を出て行ったのだ。
それから、私は泣いた。
涼の犯した罪を思い、それに至るまでのあの子の追い詰められようを思い、そして、彼の一見あっさりとした口調に含まれていた憎しみを思い、泣いた。
なぜ彼が私やまなみさんや石川社長を憎んでいるかなど、考えるまでもない。
男性を磨こうとアイドル業界の門を叩いた少年に女性アイドルとしてのデビューを強いた私たちを、男性アイドルとしての再出発という望みさえ叶える
ことの出来なかった私たちを、涼は憎んでいるのだ。
拉致、監禁、殺人を実行してしまうほどに。
そのことをはっきりと認識した途端、私の心は折れた。
それから、私はここに転がっているのだ。
全てが夢になってくれたらいいのに、そう思いながら。
「そう、うまくはいかないか……」
目を瞑る度に願っても、けして叶ってくれない願い。
『律子姉ちゃん』
スピーカーから私を呼ぶ声がする。
腕を顔から外し、首だけを持ち上げる。すると、隣の部屋からこちらを見る涼と目があった。
この部屋の壁面、モニターがはめこまれたのと反対側のそれは、一面が透明な強化ガラスかなにかになっていて、涼が居室としているらしい部屋が見える。
もちろんあちらからもこちらは丸見えだ。
寝ているところも、作り付けのトイレに入るのも、全て彼の監視下にある。
『少しは体、休まったかな?』
にやにやといやらしい笑みを張り付けて、涼が訊く。かわいらしい顔にはまるで似合わない邪悪な表情。だが、男性の姿をしているだけまだましかも
しれない。女装の状態であの顔をされたら、辛すぎる。
「ええ……」
私はのろのろと起き上がり、胸と股間を腕で隠しながら、顔だけを涼の方へ向ける。もはや意味のないことかもしれないが、羞恥心はわき上がってきた。
『さて、それじゃあ、今日はなにから始めようかな……』
楽しそうな声。
陵辱の時間が、また始まるようだった。
――10日目
この長方形の部屋には、本当にわずかなものしかない。
長辺の壁面は一方が涼の部屋につながる透明な壁で、もう一方にはモニターと拘束用の磔台。
短辺となる壁面の一つからは、板状のものが突き出ていて、この上にマットレスが敷かれていてベッドになる。その反対には透明な仕切りがあるだけの
シャワーコーナーとトイレコーナー、それに唯一の――私にはけして開けられない――出入り口。
そして、部屋の中央にある拘束台。
たったこれだけだ。
私が自ら縊死するのを警戒してか、タオルや毛布すらなく、シャワーコーナーにあるスポンジと石鹸、それにトイレのペーパーが私の自由になるものと
言えようか。
衣服など、もちろん、あるわけもない。
唯一身につけるものといえば眼鏡だが……。
幸いなことに部屋の空調は性能がいいものらしく、四六時中裸で過ごしても風邪をひくことはありそうにない。
ただし、性能が良いのも考え物だ。
室温が四〇度、湿度が八〇%などという蒸し風呂のような状況も可能なのだから。
「み、水……」
私は透明な壁にへばりつきながら求める。この喉の渇きを癒やしてくれるものを。その向こうでは私に見せつけるように涼がスポーツドリンクの
ペットボトルを傾け、ごくごくと喉を鳴らしていた。
「おねがい、涼……」
ひりつく喉に鞭打って、私は彼に懇願する。汗だくの体は、もう身動きを取るのさえ苦しく、壁にはりついた無様な姿のまま、私は彼の許しを請おうと
した。
『律子姉ちゃんが僕を拒絶しようとするからだよ』
ぽちゃぽちゃとペットボトルを揺らしながら、彼は嘲弄する。だが、そこで、涼は小首を傾げた。
『このところは従順だったのに、どうしたの?』
「だ、だって、生理なのよ? そんな時に、しようだなんて……。下手したら、病気になっちゃう」
なんとかトイレットペーパーを使って経血が垂れるのだけは防いでいる股間を出来るだけ隠すようにしながらそう抗弁する。
『あはははは!』
一瞬呆気にとられたようになっていた涼だったが、すぐに弾かれたように笑い出した。
『病気? 病気だって? いまさら?』
腹を抱えて笑う彼は、手元の何かを操作する。途端、どこからか涼やかな風が吹き付けてきた。
ああ、と思わず快楽の吐息を漏らす。
『いやあ、面白いなあ。まあ、笑わせてくれたから、許してあげる』
涼は立ち上がり、部屋を横切り、何処かへ見えなくなった。私の視線は彼の後を追わざるを得ない。
ぷしゅっと音を立てて、扉が開く。
「はい、律子姉ちゃん」
部屋に入ると、涼は、新しいペットボトルを私に放ってきた。急いで飛びつき、蓋を開けるのももどかしく、喉に流し込む。
「あ、ありがとう」
そもそも苦しめていた人物に礼を言うのもおかしなものだが、実際にされるとそう言わなくてはいけないような気分になるものだ。
「ね、律子姉ちゃん」
涼はしばらく私を見つめていたが、額に浮かんだ汗を拭ってから、声をかけてきた。
「律子姉ちゃん、僕を説得したりしないよね。なんで?」
「説得?」
「うん。素直に警察に出頭した方が良い、とか、未成年なんだからいまなら罪は……とかさ」
わずかな間を置いて、私は聞き返す。
「……まなみさんたちはそう言ったの?」
「うん」
そうか。
たしかに、そういう手もあったかも知れない。
だが、二人も殺している――と少なくとも当人は言っている――涼に警察に行こうなどと言えるものだろうか?
毎日毎日私に尽きぬ性欲を吐き出し、攻撃衝動のはけ口とし、昔のことをやり返すようにからかい、いじめ抜いているその行動を支える恨みの深さを
思って、なお翻意を促せるものだろうか。
いや、そもそも、私だけが解放されてどうする?
私自身の身は汚れ、そして、涼を守ることはもはや叶わないというのに。
「どうしたらいいのか、わからないのよ」
しかたなく、私はそんなことを言った。諦めているわけではないが、でも、だからといって……。
「そっか」
涼は興味深げな様子で私のほうを見ている。
私の体をなめるように見ているが、しかし、情欲に燃える目ではない、なにか考えているような……。
私はその目を見て、思いついたことを口にした。
「一つだけ訊かせてほしいの」
「ん?」
「きっかけはなんだったの? あなたを、決意させたのは」
涼は驚いたように身を仰け反らせた。それから照れたように微笑む。
久しぶりに見た、懐かしい笑顔。
「社長にね、言われたんだ」
だが、穏やかな表情とは裏腹に、声は激しい感情に彩られている。
「体も成長して、そろそろ男だというのを隠すのは難しくなりそうだから、いっそ、そのための処置を受けないか、ってね」
「処置?」
肩をすくめ、涼は投げやりに言った。
「ホルモン注射とか、男性器の切除とか、骨を削るとか、そういうの」
「そんな……」
硬直する私を、涼は随分長いこと眺めていたようだったが、結局はなにも言わず、扉を開けて出て行った。
その日、涼はそれ以上、私を嬲ろうとしなかった。
――18日目
ストックホルム症候群。あるいはその対となる、リマ症候群。
監禁状態にある人間が犯人に感化される。あるいは逆に犯人のほうが人質を思いやるようになる。
私たちの関係の変化は、外部の人間が見れば、結局の所、それらの症候群の一症状と判断されることだろう。
だが、果たしてそれだけなのか。
私はベッドに座る涼の股間に顔を埋め、舌と口の奉仕を捧げながら、そんなことを考えていた。
涼は私を殴ったり限界まで性器を痛めつけたりするのをやめ、私は涼のことを甘い声で呼ぶようになった。
それだけを見れば、自分の身を守るために無意識に媚びることを覚えたようにも見えるし、コントロール下にある女に力を誇示する必要がなくなった
ために、優しくあつかうようになったというだけにも見える。
だが、いま感じている情は、本当にそんな防衛本能と支配欲の充足からだけ来ているものなのか。
私たちはいとこ同士だ。
涼が生まれたときから、私たちはお互いを知っている。
そして、これはほとんど確信なのだが涼の初恋の相手は私だろう。一方で、私の初恋もまた涼に対するものだった。
だから、二人の間に絆が蘇るのはありえないことでもない。
もちろん、いまの状況が異常なことは間違いなく、そして、これが恋愛感情とは似て非なるものであることは、私も承知している。
だが、自分の感覚を偽るわけにもいかない。
私は間違いなく涼の愛撫に快楽を感じ、彼のものを受け入れることを心待ちにするようになっていた。
事実、彼のたくましいものを口に含み、舌と口腔の愛撫を加えているいま、私の性器は濡れそぼっている。
思うに、涼の目的がわかってきた時が、一つの転機だったように思う。
涼は、私には執拗に繰り返した性的陵辱を、まなみさんや石川社長には加えていない。当人がそう私に語ったわけではないが、彼女たちに対する
復讐行為について聞く限り、その気配がない。
一方、彼女たちに加えられたような拷問を、私は受けていない。
強姦によって傷つけられたのは事実だが、ペンチやナイフなどの凶器を用いた行為などされていない。
この差はなんだろうか。
一つは、復讐の完遂のためだろう。
何日も何日も監禁し、それにつきあっていてはアイドル活動も出来ないし、次のターゲットを拉致する計画を進めることも出来ない。
だから、出来る限り短い時間で処分する必要があった。
だが、現状、世間的には涼も拉致されたと認知されているはずだ。私に対してはいくらでも時間がある。
そして、もう一つ。
涼は、私を殺した後、というのを考えていないのではないだろうか。
復讐を終えた後で、社会に戻る気があるように思えない。そんなつもりがあると、どうしても思えないのだ。
それ故に、私を拷問することで復讐を遂げることを急がない。もはや行き着く先はわかっているのだから。
結局の所、私と過ごしているこの時間は緩慢な心中に他ならない。
破滅するまでの間、私と戯れ続け、そして、両者共に人知れず死んでいく。それこそが涼の望みだと思えてならないのだ。
そう結論づけたとき、私はそれでもいいと思った。
この子の憎悪と苦悩を最後まで受け止める、それが私の役割だと悟った。
そうして、私は彼を愛しいと思ったのだ。
私は夢中になってキスの雨を降らせていた彼の男根から唇を離し、私の唾液で濡れててらてらと光る亀頭をゆっくりと指でなでながら囁いた。
「ねえ、きて……涼」
濡れた声で私は誘う。
自らの女を無理矢理開かせた男に、再び体の奥深く侵入することを、切なく願う。
そうして荒々しく床に倒され、涼のものが入ってきた時、私は歓喜の声をあげていた。
――24日目
『では、次のニュースです……』
時折、涼の気まぐれで、壁のモニターにテレビ番組が映されることがある。リアルタイムなのかどうかもよくわからないが、外の世界の刺激は私をわずかばかり慰めてくれた。
ただ、もう最近では涼と私の失踪に関するニュースを聞くことはほとんどない。ワイドショーなどでも取りあげられることが無くなっているようだ。
たぶん、警察はこの場所を見つけることなく、捜査は暗礁に乗り上げることだろう。
そのことに、私は複雑な感情を抱いている。
誰かに助けて欲しいという願いはある。だが、これには恐怖もつきまとう。社会復帰など果たして出来るものかという感覚が、この願いを素直に認めようとしない。
もうこのままでいいのだという諦めの気持ちもあった。これは、きっと贖罪の気持ちから。
そして、見つけて欲しくないという薄暗い欲望も心の奥底で蠢いている。涼と私と、二人が交わす情交だけという生活に慣れきって、この鳥籠から出たくないという心情が私の中で生まれているのだ。
見方を変えれば、この生活は実に安穏としている。
放っておいても食事は――しかも涼が腕を振るう美味しいごちそうが――出て来るし、することと言えば、肉の快楽を貪るか、涼とよっかかりあって睦言を語り合うかくらい。疲れれば眠り、自然と目を醒ましては、またお互いを求める。
その繰り返し。
私はもはやなにも考える必要はなく、涼が与えてくれる命令に従えばいい。
どんな恥ずかしいことも、どんないやらしいことも、涼が命じるのだからしかたないと自分に言い訳して、とことんまで追い求められる。
お尻の穴を性器として使い、そこから快感を得ることにももう抵抗はない――どころか進んでそれを求めたいくらいだ――し、涼の精液どころかおしっこを飲ませてもらうのもお仕置きというよりご褒美になっている。
私は彼の与えてくれる喜悦にただただ耽溺していればいい。
この一室は涼が用意してくれた、私のためのディストピアなのだから。
狂っている、と自分でも思う。
でも、それでいいのだ。
もっと狂わないといけない。
あの子の横に立つためには。
「おはよう、律子姉ちゃん」
涼が、満面の笑みを浮かべながら、部屋に入ってきた。彼はじろじろと私の体を眺めやり、そして、頷く。
「そうだな、今日はオナニーから始めようか」
涼の言葉に私は膚を桜色に染めながら、床に座り、恥じらいを込めた動作でゆっくりと脚を広げて行く。
つるつるに剃り上げられ、奴隷の焼き印を入れられた恥丘を服従の証として涼に向けて突き出し、私はそこに指を伸ばす。
さあ、今日も悦楽の一日が始まる。
――30日目
涼に言われてシャワーを浴びると、ベッドの上に服が一揃いあった。
透明な壁の方を見ると、涼の姿はない。厨房にでもいるのだろう。
ともかく、このスーツを着ろという指示だと判断して、それらを身につける。
ブラジャーの締め付けやストッキングのきつさなどもうすっかり忘れていた。そもそも服を身につけるというのは、こんなにも窮屈な行為だったろうか?
最後に眼鏡をかけ、私は自分の姿を見下ろした。
うん、これはこれでいいわね。
「涼? 着たわよ?」
返事はない。忙しくしているのだろうか。私はスーツに皺をよせないよう注意しながらベッドに腰掛け、指示を待った
ストリップだろうか。あるいは、最初に戻ってレイププレイ?
そこまで考えて、苦笑を漏らす。
思考が完全に性行為中心になっている。
だが、それもしかたのないことだろう。なにしろ、セックスする以外はなんでもない話をしているか、涼の手料理を食べているかくらいしかないのだ。
食事も、たとえば犬のように這いつくばって食べさせられたり、時には行為に繋がることだし……。
そこまで考えたところで、扉が音を立てて開き、涼が現れた。私は立ち上がり、微笑みを送る。
だが、彼はなにか脚がふらついているし、顔色も青ざめている。
「どうしたの、顔色悪いわよ?」
「ん。気にしないで。それより、ちょっと話を聞いてくれない?」
「う、うん」
これまでの生活で隷属することが身についている私は、承諾するしかない。いや、むしろそれ以外の事を考えることすら普段はしない。
いま、こうして逆らう可能性を考慮しているのもおかしなことだ。久しぶりに服を着ているからだろうか。
「ありがとう」
涼にお礼を言われ、無条件に体が温かくなる。
「半年くらい前かな。社長から、例のことを言われたんだ」
男性としての特徴が出てきてしまった涼に、女性化を迫った件だろう。石川社長も無茶苦茶なことを言う人だ。もはやその報いは受けたわけだけれど。
「それで、諦めが付いた。色々とね」
「涼……」
「それから、復讐を考えたんだ。これまで稼いだお金があったとはいえ、なかなか大変だったよ。代理人を立てて土地を買って、この建物を建てさせたり、
おびき寄せるために休眠会社を買い取って嘘の仕事や取引を入れたりとか……。まあ、細かい話はいいよね」
涼はなにかを振り払うように手を振って先を続ける。
「ともかく、僕は復讐の計画を立てた。その対象は四人」
四人? 石川社長、まなみさん、それに私。三人まではわかるが、もう一人は?
「僕だよ、律子姉ちゃん」
私の疑問が伝わったのだろう。涼は自嘲の表情でそう言った。
「涼、自身?」
「そう、僕だよ。なにも出来なかった僕。ファンのためと自分に言い聞かせて女性であることを続けた僕。何者にもなれなかった僕」
涼はぐっと奥歯を噛みしめたようだった。
「僕は、『秋月涼』を殺したかった」
その一言を言うために、どれだけの力を費やしたのか。彼は疲れ切ったように、はあ、と大きく息を吐いた。
「僕は、律子姉ちゃんと一緒に始末するつもりだったんだよ。僕をね」
やっぱり。予想通りだ。
「心中ね」
「ああ、うん。……もしかして、わかってた?」
涼は意外そうに顔を歪めた。私が頷くのに、彼は思ってもみなかったことのように目を見張っていた。
「ええ。こうなったらしかたないもの」
ああ、そうか、と私は思った。
わざわざスーツを着せた意味を悟ったのだ。
「それで、どうするの?」
「え?」
「死出の衣装に、服を着せてくれたんでしょう?」
驚いたように言う涼に、私はかえって不思議がりながら訊ねる。
「ああ、いや……。って、律子姉ちゃん、抵抗ないの?」
「今更じゃない。つきあうわよ」
出来れば、あまり苦しくないのがいいが、贅沢は言っていられないだろう。穏やかに、というと、お酒でも飲んで二人で手首を切るのが一番だろうか。
「……ごめん」
「ううん。だって、私にも……」
「違うんだ」
涼は私の言葉を遮り、シャツのボタンを外し始める。
あれ? 死ぬのは今日じゃあないのかな?
「つきあわせられない」
「え?」
私は驚きに立ち尽くす。涼のはだけたシャツの向こうに、赤い色が見えた。
シャツの下にきつく巻いていたらしい布をべっとりと濡らす赤茶けた液体。しみ出る先は、どれほどの量のそれが溢れているのか。
蔭腹、という単語が頭をよぎる。
「律子姉ちゃんは生きるんだ」
血に濡れるお腹に目をやっていた私は、涼がいつの間にナイフを手にしていたか、まったくわからなかった。
私が気づいた時にはそれは既に涼の喉元にあり、ためらいのない動きで一気に喉をかききるところであった。
鮮血が宙に舞う。
「いやーーーーーーーーーーーーっ!」
絶叫する私の頬を、大粒の涙が滑り落ちていった。
エピローグ
病室は随分前から沈黙に支配されていた。
けして不穏な沈黙というわけではないが、緊張感は常に存在していた。
「プロデューサー」
この部屋の主――入院患者である秋月律子が半身を起こし、しゃりしゃりとリンゴの皮をむいている男に声をかける。
「876プロのほうはどうです?」
「絵理ちゃんと愛ちゃんは765に移籍することになった。尾崎さんもフリーの立場は維持するが、765を手伝ってくれることになってる。876は潰れる」
「そうですか……」
「幸い、報道は沈静化しているよ。まあ、もう二月経つからな」
再び沈黙。
律子は窓の外を眺める。
リンゴをむき終えて顔をあげたプロデューサーの視線がその愁いを帯びた横顔に引き寄せられ、どうやっても引きはがせなくなる。
彼女は美しかった。
一月に渡る監禁生活のために筋肉が落ち、以前のような快活な雰囲気は無くなってしまったが、そのことが儚さを醸しだし、何とも言えない艶を
生み出している。
「私、やっぱり産む事にします」
ふと顔を戻した律子がなんでもないことのように、そう宣言する。プロデューサーは俯くしかなかった。
律子の瞳に光る決意の色を見たくなかったがために。
「……決心は変わらないか」
「はい。だから、婚約は解消して下さい。慰謝料が必要ならお支払いします」
「ばか。そんなものいらないよ」
さすがに苦笑して顔をあげる。
そのまま視線を上げ、天井を睨みつけた。
「涼くんへの同情か?」
「いえ」
律子は軽く首を振って、その口元に笑みを刻む。柔らかく、そして、断固たる笑み。
「涼に言われたんです。生きろ、って」
「お腹の子も含めてだと思うわけか」
「はい」
プロデューサーはそこでようやくのように顔を戻した。律子の視線と彼のそれが絡み合う。
「わかった」
立ち上がり、背を向けたところで、じゃあなと手を挙げる。
その背に向けて、律子は言った。
「さようなら」
その瞳に、涙の影はなかった。
(終)
そんなわけで、個人的にはりゅんりゅん♪エンドよりきついだろうと思う涼のBエンドを書いてみました。
これもりょうりつになるんでしょうかね。
短いですが、おつきあいありがとうございました。
女は、よろよろと進む。
その背に負うものの重みと地面の傾斜が、その速度と正確性を奪う。
蹴躓き、何度も膝をつきながら、それでもけして背中の人物を落とすことなく、彼女は山を下る。
「道まで出たら、適当な車をつかまえて、救急車を呼んでもらいましょう。そのまま乗せていってもらってもいいわね」
彼女の肩に頭をあずけっぱなしの従弟が、こくんと頷いたような気がして、女はおかしくなってしまう。
「でも、乗車拒否されちゃうかしら。こんな汚れてたら」
彼女は己の体を見下ろして、そう呟いた。スニーカーが泥まみれなくらいは、山にいるのだから当たり前だろうが、グレーのパンツスーツも
べっとりと汚れている。
染め抜かれた色は、暗い赤茶。
泥でも汗でもない、それ。
「大丈夫よ。大丈夫」
真っ白な顔で力なく彼女の背に負われている従弟に声を掛け続けながら、彼女は山をじりじりと下り続ける。
がくがくと震える足で、荒い息を吐きながら、彼女は行く。
その背に従弟の亡骸を抱えながら、秋月律子は、行く。
SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1345805195
――1日目
「はい、はい。わかりました。いえ、そんな……ありがとうございました。失礼します」
受話器を置いて、私はふうとため息を吐く。
そのまま、なんとなしに電話機をみつめていた。765時代とは違う機種に、まだなんとなく慣れることが出来ていない。
「警察、どうだって? 秋月さん」
斜め前のデスクで仕事をしていた尾崎プロデューサーが、これも疲れた口調で訊ねかけてきた。
「いつも通り、進展はなし、っていうのを遠回しに聞かされましたよ。頑張ってくれてはいると思うんですけど……」
「そう……」
尾崎さんの顔が暗く翳る。きっと、私の表情も暗いだろう。
遡ること一月。石川社長――芸能事務所876プロダクション社長の石川実が失踪した。いや、状況から判断すると、おそらくは拉致された。
けれど、犯人側から身代金の要求などの働きかけがなかったために、捜査は手詰まり。そんな時、かつて876プロに所属していたまなみさん
――岡本まなみが同じように姿を消した。
彼女に関しては他人に連れ去られたような痕跡はなかったものの、警察は連続誘拐事件として認識し、捜査を続けている。
しかし、日々は空しく過ぎるだけで進展はなかった。
そんな中、経営者を失った876プロには、提携関係にあった765プロから二人の人間が出向してきている。アイドルを引退したばかりの私、秋月律子と、
私をトップアイドルにまで育て上げてくれたプロデューサー。
私たちは、引退後には765プロから独立して芸能事務所を起ち上げる予定だった。けれど、876の緊急事態に急遽予定を変え、876プロを手助けすること
になったのだ。
見方によっては765プロによる876プロの乗っ取りとも受け取れる事態だけど、業界からは好意的に受け止められているようだ。
なにしろ、876もいまや売れっ子アイドルを抱える事務所。へたに倒れられてアイドルも共倒れになられては困る、と各局、各部署が考えたのも無理は
ないのかもしれない。
そんなわけで私は876の事務所にいて、そして、いつものように警察に問い合わせ、おなじみの返答を得ていたというわけ。
「無事を祈りたいけど……これだけ時間が経っていると」
「それは……。わかりますけど、私たちは希望を失わずにいましょうよ。涼たちを暗くさせるわけにはいきませんからね!」
「そうね……」
尾崎さんが絶望的なことを呟くのに、私は努めて明るく答える。もちろん、私だって内心では……。
ううん。そんなことを考えていてもしかたない。
「そういえば、今日から泊まりですから。後、よろしくお願いしますね」
「ああ……。村おこし企画だっけ? 高ランクのアイドルを呼ぶなんて思い切ったものね」
「涼は、日高さんや水谷さんよりは低ランクですからね」
二人がAランクなのに対して、私のいとこである涼はずっとBランクに留まっている。けして低いランクではないが、ギャラに差があるのは事実だ。
とはいえ、涼に実力がないわけではない。なにしろ私だってAランクに上がれたのだから、涼がAランクになれないはずがないのだ。
でも、まあ、そこは、いまや、涼のプロデューサーとなった私の腕の見せ所というところだろう。
「じゃ、出かけてきます」
「はい、いってらっしゃい」
そうして、私は涼と待ち合わせている東京駅へと向かったのだった。
「ずいぶん山奥なんだね」
レンタカーの窓から流れる景色を眺めながら、後部座席に座る涼がそんなことを呟いた。
実際、そこにあるのは、そんな感想が出て来るのもしかたないくらいの山深い風景。
最寄りの新幹線停車駅まで移動して、さらに一時間車を飛ばして、ようやく指定された場所に近づいてきているところだ。
「ごめんね。もうしばらくだから」
「ううん。別に構わないよ」
涼の柔らかな笑顔をバックミラー越しに見つめて、私は複雑な気持ちになった。彼が浮かべているのは、確かに魅力的な笑顔ではあるが、それは
営業スマイルに近い。
昔、見せてくれていた笑顔とは、少し変わってしまった。あるいは、そう感じるのは涼が着けている衣服のせいもあるのかもしれない。
女性アイドルとして売れっ子となり、そして、ほんとうは男性であるという事実をカミングアウトすることに失敗した――圧力を受けてどうしようも
なかった――涼は、その後、どんな時でも女装を貫いた。
オフの時や、事情を知る私と会う時くらいは男の姿をしても良いだろうに、そうやんわりと促したのだが、ファンのために偽りであっても女性として
活動を続けたいと主張する彼は、けして本来の性にふさわしい服装をとることはなかった。
そう、彼は、外から見るだけでは可愛らしい女の子にしか見えない姿を、いまもしている。
無理をしているだろうとは思っても、どうやってそれを解きほぐして良いかわからない。私は彼のプロデュースをするようになってから、このことに
悩まされ続けている。
とはいえ、現状の仕事は『女性としての秋月涼』を求めていて、今日もそれは同じだ。
まずはそちらに集中しよう、と目的地に向けて、車を走らせる。
「あら……?」
指定された駐車場に入り、依頼者に到着の連絡を入れようとして、携帯電話の電波が入らないことに気がついた。
以前、打ち合わせの電話をした時には相手も携帯だったから、地域全体に電波が届いていないということはないだろう。
「ちょっと電波悪いみたいだから、外に出てみるわね」
「ん。僕は待ってたらいい?」
「ええ。そこにいてちょうだい。なにか買ってこようか?」
軽く首を振ってシートにもたれかかり、目を瞑る涼を置いて、車から下りた。
大型のトラックやトレーラーがいくつも連なる中をうろうろと電波を求めてさまよう。
「ん、ちょっと入るかな。かけてみよ」
そうして、携帯電話を耳にあてた時だった。
がつん。
そんな音がするかのような衝撃を首に受け、視界に火花が飛ぶ。平衡感覚が失われ、そのままがっくりと膝をついたところで、自分が殴られたのだと
ようやく頭が理解した。
「え……」
携帯電話がどこかに転がっていく、からからという音が聞こえる。気づいた時には地面に両手をついていて、体を支えようとするその腕の力も萎えて
いこうとしているところだった。
本能が打ち鳴らす警鐘に従って体を動かそうにも、どうやっても力が入らない。
なんとか後ろを振り向こうとして、しかし、再び訪れた衝撃にその目論見ははかなく潰える。
そこで、私は意識を失った。
「んぅ……」
頭の割れそうな頭痛に目を開ける。いや、開けたはずであった。
だが、視界は闇に包まれたままだ。
「え?」
事態が把握できない。
無意識に体を動かそうとして、自由がきかないことにも気づいた。
「え……」
驚きの声もかすれ、まともに出てきていない。
これは一体どういうことだと千々に乱れる思考をまとめようとしていると、聞き慣れた声が耳朶を打った。
「律子姉ちゃん!?」
「涼? 涼、いるの?」
「うん。少し離れたところだけど……」
「良かった……」
暗闇の中、唯一導きの光となるような温かさをその声に感じる。
まるで状況は把握できないが、涼は無事で、そして、一緒にいるらしい。私はほっと息を吐いた。
けれど、その安堵は即座にひっくり返される。
「それが、良くないんだよ。律子姉ちゃん」
「え?」
そこで彼は少し口ごもり、私は暗闇の中で待たされることとなる。
その間に、思い出していた。そうだ。私、殴られて……。
「あのね、律子姉ちゃん。ぼ……私たち、拉致されたみたい」
ようやく押し出すようにして言った涼の言葉を、しばし、理解出来なかった。驚きの反応も遅れてしまう。
「えぇっ?」
「律子姉ちゃんも、私も手術台みたいなところに縛り付けられてて、律子姉ちゃんは目隠しされてる」
「ウソ……」
呆然と、言葉を漏らす。それ以外、なにも思考が形にならなかった。
「少なくとも、私が頭を動かせる範囲で見える部分で言うと、そうなんだ……」
ごくり、と唾を飲み込む。ずきりと後頭部が痛んだが、その痛みがかえって希薄になっていた現実感をつなぎ止めてくれた。
「……私たち以外に、誰かいるの?」
しばし考えて、そう問いかけてみた。目隠しされているという自分にはなにも見えない以上、涼からの情報をあてにするしかない。
「いまのところ、部屋には誰もいないみたいだけど……」
「じゃ、じゃあ、涼。落ち着いて、見えるものを教えてちょうだい。なんとか逃げられないか探らないと」
「うん、わかった。ええと……」
『おっと、おしゃべりはそこまでにしてもらおう』
唐突に、ざらついた声が響く。合成音……いや、ボイスチェンジャーだ。
「天井にあるスピーカーから声が出てるよ。人が入ってきたわけじゃない」
抑えた声でそう涼が教えてくれる。その情報を得ることは不安を和らげてくれたものの、それ以上の嫌な予感をもたらした。
『黙れ』
「うぐっ」
思った通り、というべきだろうか。きつい声が飛び、次いで涼の苦鳴が聞こえた。
「涼? 涼!」
『黙れ。これが最後の警告だ』
悲鳴のように、涼の名前を呼んだ。だが、返事が返ってくるより前に、私の喉を何かが締め上げた。
「ぐ、が……」
苦しい、苦しい、苦しい。
なにかベルト状のものが、喉を強く締め付けている。
息ができない苦しさにもがこうとしても、縛り付けられた体は動かない。苦しみをどこにも逃すことが出来ず、舌を突き出し、声にならぬ苦鳴をあげる
ことしかできない
ふさがれているはずの視界にちかちかと赤い光が見えるようになった頃に、その締め付けは解かれた。
「げほっ! ごほ、ごふっ」
一気に喉が解放されたことで、咳き込んでしまう。
私のものとは違う咳き込む声が聞こえてくることからして、涼も同じような目にあわされていたらしい。
そう判断できるようになったのは、その咳がおさまりかけたころのこと。
『こちらの指示以外の事をすれば、即座にこのように報いを受ける。理解したかな?』
返事を期待したものではなかったのだろう。声は私たちの反応を待たずに続いた。
『さて、まずは現状を理解していただこう。君たちは、いまや私に支配されている。体は拘束され、ボタン一つで首を締め上げ、命を奪うことも可能だ』
機械で変調された声が、冷酷な事実を淡々と告げる。その内容よりも、むしろ、その声の平板さに身震いせずにはいられない。
いかに機械を通していても、動揺や感情は声から伝わる。そのはずだ。
だが、相手からはそんな様子が微塵も感じられない。つまりは、それだけ残酷なことに慣れているのだ。あるいは、元々そんなものを感じる情動に薄い
のか。
その事に思い至って、私はなにかがかちかちと鳴るのを聞いた。
自らの歯の根が合わずにぶつかりあう音を。
声は、しばらく続かなかった。もしかしたら、私たちが怯えているのを見て楽しんでいたのかもしれない。
『さて、元トップアイドル様と現役アイドルを手に入れたわけだから、年増の社長や無能マネージャーとは違う楽しみ方をさせていただこう』
ああ、と声にならぬため息が喉から漏れる。
うすうすは危惧していたとおり、この相手は、石川社長やまなみさんを拉致したその人物なのだ。
そして、その言葉に、下卑た欲望の匂いを私はかぎ取った。
ようやく見せた相手の感情の揺らぎが、さらに私を恐怖させる。
『どちらから楽しむとするかな』
これから起こることを予期し、そして、私ははっと気づいた。
震える体に活を入れ、からからに乾ききった唇を舌で湿らせてなんとか言葉を押し出す。
「二人もいらないでしょう」
「律子姉ちゃん?」
なんとしてでも涼を守らねばならない。
『なんだと?』
「二人同時に監禁しておくのは、リスクが高いし、あまり意味がないんじゃない? 私一人いれば十分でしょ。涼はまだ子供だし、放してあげて」
そう、涼を守らねば。
私は涼のお姉ちゃんで、プロデューサーなのだから。
ちと休憩。
20分ほどしたら、また投下再開します。
だが、自己犠牲の言説を唱えながらも、その裏にもっと切実なものがあることも、私は知っていた。
涼は、男だ。
そして、女性二人を捕らえたと思い込んでいる相手に、その事実が知れたらどうなるか。
失望は怒りを呼び、怒りは突発的な行動を促しかねない。
そう、涼が男と知れるや、私たちはすぐさま縊り殺されかねないのだ。
私は死にたくない。涼を死なせたくない。
だから、私は必死に犯人を誘う。出来る限り私に注意を引き寄せ、そして、どうにか涼を解放させるために。
『ほう、面白い』
声は、驚きよりも嘲りの色が濃かった。なんとでも思うがいい。まずは、生き残る道を探るべきだ。
『自ら申し出るとは、驚きだよ。とはいえ……』
なにか、ぷしゅっと小さな破裂音がする。何の音だろう?
涼が息を呑むのがわかる。それに続いて、こつこつと近づいてくる足音。
そうか、相手が入ってきたのか。
「なにをっ」
その声を皮切りに、もみ合う音が聞こえる。私は動かない体をなんとか動かそうともがき、叫び、涼の名を呼んだ。
「涼! 涼! 涼になにをしたの!」
『たいしたことではない。別室に行ってもらっただけのことだ』
返事は、さっきまでとは違って聞こえた。これまでのスピーカーより随分小さく、そして、近い。
ボイスチェンジャーから直に出ている音だ。
つまり、犯人はすぐ側に居る。
だが、涼の声は聞こえない。おそらく、こいつの言うように、別の部屋に追いやられたのだろう。
『さすがにこのままお帰り願うのは現実的ではないからね。しかし、だ』
足音がする。相手の気配がごく近くに感じられた。
『君が私を楽しませてくれている限りは、あちらの無事は約束してやってもいい』
「ほ、本当?」
『ああ。ただし、もちろん』
私はびくんと体を震わせる。犯人が、ついに私に触れたのだ。
肩に触れたその手のおぞましい感触に、震えが止まらない。
『君にはそれなりの代償を支払ってもらうがね』
そいつの指が、私の胸をわしづかみにした。その容赦ない強さに、私は悲鳴を堪えるのがやっとだった。
犯人の言うことを信じる他ない私は、奴を思う存分楽しませてやるために、ひたすら怯えた様子を見せた。
演技などしてみせる必要はない。実際に、私は恐れ戦き、やがてくる運命を嘆いていたのだから。
鋏をかしゃんかしゃん鳴らしながら、犯人は私の衣服を切り裂いていく。
脱がすのではなく、わざわざ鋏で切る行為が、相手の嗜好に基づくものなのか、私を台に縛り付けているという実際的理由からなのかはよくわからない。
だが、冷たい金属の刃が膚に当たる度、私は本能的恐怖に身をすくめた。震える私を、動くとどこか切れてしまうぞ、と楽しげに脅す犯人が恐ろしく、
そして、憎くてたまらない。
陵辱を受けているというこの状況に、ついつい思考を手放してしまいそうになる。
けれど、それは許されない。
私は自分が臆病で、怠け者で、諦めやすくて、すぐに逃げ出してしまうことを知っている。
だからこそ、逃げられない。
私には美希のような才気もなければ、貴音のような思慮深さもない。伊織のように肝が据わっているわけでもない。
そんな人間に残されているのは、努力することだけだ。
思考を放棄するわけにはいかない。状況を把握し、そして、逃げ道を探らなくちゃ。
一人なら、そんなことはできなかったろう。けれど、ここには涼がいる。
あの子が男であることが知れぬうちに、逃げる算段をつけること。その目標だけが私の心の支えだった。
現状を鑑みるに、まず、相手は男で、そして単独犯だ。
男でなければ私の体を楽しもうなんて思わないだろうし、そして、複数人が共謀しているのなら、わざわざこの男が涼を別室に連れて行く必要もない。
単独だと思わせておいて、どこかで見張っている可能性もまるでないわけでもないが、いまは考えてもしかたあるまい。
ボイスチェンジャーで声を変え、私に目隠しをさせているのは、まだ救いがある。
正体を隠すということは、すぐに私たちを殺す……始末する意図がないことを示している。最初から闇に葬る前提なら、そんな手間をかける必要は
ないのだ。
次に、体を拘束されている状況をいかにして覆すか、ということだけど……。これがなかなかに難しそうだ。
涼は手術台のようなものと言っていたが、その言葉で想像する平面的なものとはちょっと違うようだ。
というのは、男が衣服を切り裂いていくために操作して台が動いたためにわかったのだが、この台は脚部と腕部が独立して動くようなのだ。
つまり、体にかなりフィットして、私の意思とは無関係に動かせるようになっているわけ。
そう、いま、男がじょきじょきと切り捨て、じわじわと膚を露わにしていっている下半身は、私の意思に反して、大きく広げられている。
それを意識すると、羞恥に体が熱くなる。無理矢理脚を開かされ、パンツとストッキングを鋏で解体されるなんて……。
いや、今更だろう。どう取り繕おうと、これからの展開は予想出来ているのだ。
私は、この男にレイプされる。
「ひっ」
鋏が膚に触れ、私はそんな悲鳴を漏らす。
これまでも何度も何度も漏らしている恐怖と嫌悪の声。
『くふ……くふっ』
男の笑いなのだろうか。奇妙に甲高い音とノイズが混じる。ノイズは荒い息だろうか。いずれにせよ、とても気持ち悪い。
だが、泣くことだけは我慢していた。
どれだけ悲鳴を漏らそうと、どれだけ震えようといい。けれど、涙だけは見せたくなかった。それは単なる意地でしかないけれど、でも、この屈辱の中で
唯一押し通したい意地だった。
それでも、さすがに下着をはぎ取られ、下半身を全て露出させられた時には、涙がにじんだ。悔しさと怖さからではない。
あの人を思って。
そこから先は、正直、意識や感覚自体が曖昧になる。
ああ、これが精神を自ら保護する作用だろうか、などとぼうっとした頭で考える。
覚えていられたのは、執拗に唾を塗り込める舌で体中が穢されたこと、膚と秘所にぬめぬめしたなにか――潤滑液だろう――をぬりたくられたこと、
全ての場所が指でなぞられ、開かれ、見つめられたこと、そして、体を割り裂くような痛み。
「ぐぅ……」
体の中をかき混ぜられるような苦痛に呻く。
吐き気がする。
おぞましくて、情けなくて、怖くて、辛くて、寂しくて、哀しくて、むかっ腹が立って、そして、なによりもイタイ。
『あれ、結納までして、プロデューサーとまだしてなかったんだ』
それまで冷静な口調を保っていた声が、それまでにはない幼く、明るい調子でそんなことを呟く。
え?
「どうして……?」
自分の声とは思えないようなしゃがれた声が、疑問を形作った。
まだしていないというのは、処女の証を見たからだろう。
けれど、結納のことを知っているのはどういうこと?
私とあの人……プロデューサーが恋仲であることを知っている765プロの仲間たちにすら、そのことは伝えていない。それなのに、なぜ、この男が?
『あ、しまった。まあ、いいか』
くすくすという笑い声。それと共に、私の目隠しがむしり取られた。
その顔は、最初は逆光になって、よく見えなかった。ずっと暗闇に閉じ込められていた目が、天井の照明を受けて、ホワイトアウトしてしまったせいも
あるだろう。
だけど。
ああ、だけど。
ぼんやりと見えていたものが確かな形になるにつれ、私の心にひびが刻まれる。
「あ、あ……あ……」
声が出ない。意識が定まらない。鼓動がいままで以上に跳ね上がる。
眼鏡などかけていなくとも、見紛うはずがない、その顔。
それは紛れもない、私の従弟、秋月涼、その人の顔。
「あんた、脅されて……」
唯一納得できる可能性にすがろうとしても、それはあっさりとはね除けられた。
「ばかだなあ、そんなことあるわけないだろ」
きゃはは、と聞いたことの無いような笑い声をあげて、彼は吐き捨てる。
「そんなことより、見てよ。律子姉ちゃん」
髪をつかまれ、ぐいと持ち上げられる頭。首にかかったベルトが喉を圧迫する中、私は見た。
私の体に打ち付けるように出入りする涼のものを。
涼と私は、間違いなく繋がっていた。
「あああああああああーーーーーーーっ!!」
絶叫する私の頬を、大粒の涙が滑り落ちていった。
――4日目
「ん……」
目を醒まし、そして、淡く光る天井を見つめて、これまでのことが夢でなかったことを確認する。
裸のままごろりと寝返りを打って、私は腕を両目の上にのせた。
なにも見たくなかった。考えたくなかった。
現実を、全て拒絶したかった。
だが、そんなことはできるはずがないのだ。
涼は、あの後、私を散々に犯した。
ひたすらに犯される中で無理矢理に口に食べ物を詰め込まれ、気絶する最中でも嬲られ、排泄を強要され、射精の回数を数えさせられた。
涼がひとまず私を拘束から解放するまでに精を放った回数は、十八回。
私のお腹には、マジックで記された正の字が三つと、下と読めなくもない字が黒々と残されている。
私が自ら書いたのだ。
そう強要されたからではあるが、途中からは機械的に指示に従っていたようにも思う。
なにしろ、睡眠の代わりに気絶していたとはいえ、二昼夜にわたり断続的に犯され続けたのだ。
反抗する意思など残るはずもない。
そもそもいじくられ続けた――涼のものが回復していなくとも、蠢く器具で玩ばれた――お陰で私のあそこは腫れ上がり、挿入されずとも痛みを
発していたくらいだ。
涼の恐ろしいほど大きなものを突っ込まれたら、それだけで泣きわめくほど痛く苦しかった。あの状態でなにができるだろうか。
しかし、いま思い返せば、あの時は涼の性器もずいぶん痛んでいたのでは無かろうか……。
きっと、そんな痛みなど気にならないほど、私を憎んでいるのだろうけれど。
憎んでいる。
そうだ、涼は私を憎んでいる。
私だけではなく、石川社長やまなみさんや……彼を女装アイドルという不本意な立場に追い込んだ全てを。
それを痛感したのは、唯一彼に反撃を試みた時の事だ。
拘束から解放された私は、体の力を総動員して、彼をひっぱたこうとした。
それでどうにかなると考えたわけでもない。ただ、すり切れずに残っていた激情に任せた一撃。
だが、それはあっさりと防がれた。
いや、それどころか、私が叩こうとした次の瞬間には、床に転がされ、組み伏せられていたのだ。
「昔とは違うんだよ、律子姉ちゃん」
どこを極めているのか、涼が掴む場所からは痛みというよりは灼熱の感覚が走っていた。体を少しでも動かせば、信じられないほどの激痛が走り、
意識が途切れかけたほどだ。
「僕を都合の良い弟分だと思わないで欲しいな」
涼は冷静な声でそう続け、そして、なにかとてもいいことを思い出したかのように、朗らかに笑った。
「ああ、そうだ。いいものを見せてあげるよ」
そうして、私はそれを見せられたのだ。
『いだいいだいだいいいいぎぎっぎぎっ』
部屋の壁の一つにはめ込まれたモニターにその無惨きわまりない光景が映り、天井に設置されたスピーカーから、大音量の悲鳴が迸る。
「残念なことに、石川社長は映像とか残す前に死んじゃってさ。なにしろ最初だったから、僕も焦ってたんだよね」
『ゆるひ、ゆるひぐぎゅぎゅぎゅぎゅ』
人の上げるものとはとても思えない、絞め殺される動物のような苦鳴が響く。画面の中では、見知った顔が歪んでいた。
まん丸に目を見開き、涙を流し、小刻みに震えるその姿は、岡本まなみ。
「まなみさんは嘘つきだからね。舌を抜いてみるのが一番だと思ったんだ」
涼の言葉通り、画面の中ではまなみさんの舌はペンチで挟まれ、引っ張られている。顔が固定されていないためか、ちぎれたりはなかなかしないようで、
映像の中では何度も何度も引っ張られている様子であった。
「ただ、舌をかみ切って死ぬって難しいんだってね。これ、やってから調べて知ったんだけど」
モニターにはまなみさんの舌を引き抜こうとしている涼の姿がはっきりと映っている。まなみさんが苦しみもだえ、そして許しを請う姿を見て、彼は
狂ったように笑っていた。
とても楽しそうに。
とても苦しそうに。
「でも、かなり痛いみたいだから、その点では成功だったな」
現実の涼は、淡々と、実に淡々と、そう述べる。映像の方の涼は、まなみさんの顔を押さえつけた上でひねりを入れる事で、彼女の舌をひきちぎることに
成功していたようだった。
血をあふれさせる口からごぼごぼと喘鳴が聞こえる。彼女の目はひっくり返り、白目をむいていた。
「もうやめてっ」
涼の隣で崩れ落ち、耳を塞いで頭を抱える私。これ以上、とても耐えられそうになかった。
「続き、見ないでいいの? まだまだだよ?」
そう言いながらも、涼は手に持っていたリモコンを操作して、モニターの電源を落とした。
「結局、この後、歯を全部折り取ってね。三日後に見に来たら死んでたよ。失血か窒息が原因かな」
自分の血で溺れるってどういう気分なんだろう、なんて言葉が涼の口から出るなどと、誰が想像出来たろうか。
でも、これは間違いのない現実なのだ。
「律子姉ちゃんにあそこまでのことをするつもりはないけど、あんまり反抗的だと、気が変わるかも知れないよ」
そう言い捨てて、彼は部屋を出て行ったのだ。
それから、私は泣いた。
涼の犯した罪を思い、それに至るまでのあの子の追い詰められようを思い、そして、彼の一見あっさりとした口調に含まれていた憎しみを思い、泣いた。
なぜ彼が私やまなみさんや石川社長を憎んでいるかなど、考えるまでもない。
男性を磨こうとアイドル業界の門を叩いた少年に女性アイドルとしてのデビューを強いた私たちを、男性アイドルとしての再出発という望みさえ叶える
ことの出来なかった私たちを、涼は憎んでいるのだ。
拉致、監禁、殺人を実行してしまうほどに。
そのことをはっきりと認識した途端、私の心は折れた。
それから、私はここに転がっているのだ。
全てが夢になってくれたらいいのに、そう思いながら。
「そう、うまくはいかないか……」
目を瞑る度に願っても、けして叶ってくれない願い。
『律子姉ちゃん』
スピーカーから私を呼ぶ声がする。
腕を顔から外し、首だけを持ち上げる。すると、隣の部屋からこちらを見る涼と目があった。
この部屋の壁面、モニターがはめこまれたのと反対側のそれは、一面が透明な強化ガラスかなにかになっていて、涼が居室としているらしい部屋が見える。
もちろんあちらからもこちらは丸見えだ。
寝ているところも、作り付けのトイレに入るのも、全て彼の監視下にある。
『少しは体、休まったかな?』
にやにやといやらしい笑みを張り付けて、涼が訊く。かわいらしい顔にはまるで似合わない邪悪な表情。だが、男性の姿をしているだけまだましかも
しれない。女装の状態であの顔をされたら、辛すぎる。
「ええ……」
私はのろのろと起き上がり、胸と股間を腕で隠しながら、顔だけを涼の方へ向ける。もはや意味のないことかもしれないが、羞恥心はわき上がってきた。
『さて、それじゃあ、今日はなにから始めようかな……』
楽しそうな声。
陵辱の時間が、また始まるようだった。
――10日目
この長方形の部屋には、本当にわずかなものしかない。
長辺の壁面は一方が涼の部屋につながる透明な壁で、もう一方にはモニターと拘束用の磔台。
短辺となる壁面の一つからは、板状のものが突き出ていて、この上にマットレスが敷かれていてベッドになる。その反対には透明な仕切りがあるだけの
シャワーコーナーとトイレコーナー、それに唯一の――私にはけして開けられない――出入り口。
そして、部屋の中央にある拘束台。
たったこれだけだ。
私が自ら縊死するのを警戒してか、タオルや毛布すらなく、シャワーコーナーにあるスポンジと石鹸、それにトイレのペーパーが私の自由になるものと
言えようか。
衣服など、もちろん、あるわけもない。
唯一身につけるものといえば眼鏡だが……。
幸いなことに部屋の空調は性能がいいものらしく、四六時中裸で過ごしても風邪をひくことはありそうにない。
ただし、性能が良いのも考え物だ。
室温が四〇度、湿度が八〇%などという蒸し風呂のような状況も可能なのだから。
「み、水……」
私は透明な壁にへばりつきながら求める。この喉の渇きを癒やしてくれるものを。その向こうでは私に見せつけるように涼がスポーツドリンクの
ペットボトルを傾け、ごくごくと喉を鳴らしていた。
「おねがい、涼……」
ひりつく喉に鞭打って、私は彼に懇願する。汗だくの体は、もう身動きを取るのさえ苦しく、壁にはりついた無様な姿のまま、私は彼の許しを請おうと
した。
『律子姉ちゃんが僕を拒絶しようとするからだよ』
ぽちゃぽちゃとペットボトルを揺らしながら、彼は嘲弄する。だが、そこで、涼は小首を傾げた。
『このところは従順だったのに、どうしたの?』
「だ、だって、生理なのよ? そんな時に、しようだなんて……。下手したら、病気になっちゃう」
なんとかトイレットペーパーを使って経血が垂れるのだけは防いでいる股間を出来るだけ隠すようにしながらそう抗弁する。
『あはははは!』
一瞬呆気にとられたようになっていた涼だったが、すぐに弾かれたように笑い出した。
『病気? 病気だって? いまさら?』
腹を抱えて笑う彼は、手元の何かを操作する。途端、どこからか涼やかな風が吹き付けてきた。
ああ、と思わず快楽の吐息を漏らす。
『いやあ、面白いなあ。まあ、笑わせてくれたから、許してあげる』
涼は立ち上がり、部屋を横切り、何処かへ見えなくなった。私の視線は彼の後を追わざるを得ない。
ぷしゅっと音を立てて、扉が開く。
「はい、律子姉ちゃん」
部屋に入ると、涼は、新しいペットボトルを私に放ってきた。急いで飛びつき、蓋を開けるのももどかしく、喉に流し込む。
「あ、ありがとう」
そもそも苦しめていた人物に礼を言うのもおかしなものだが、実際にされるとそう言わなくてはいけないような気分になるものだ。
「ね、律子姉ちゃん」
涼はしばらく私を見つめていたが、額に浮かんだ汗を拭ってから、声をかけてきた。
「律子姉ちゃん、僕を説得したりしないよね。なんで?」
「説得?」
「うん。素直に警察に出頭した方が良い、とか、未成年なんだからいまなら罪は……とかさ」
わずかな間を置いて、私は聞き返す。
「……まなみさんたちはそう言ったの?」
「うん」
そうか。
たしかに、そういう手もあったかも知れない。
だが、二人も殺している――と少なくとも当人は言っている――涼に警察に行こうなどと言えるものだろうか?
毎日毎日私に尽きぬ性欲を吐き出し、攻撃衝動のはけ口とし、昔のことをやり返すようにからかい、いじめ抜いているその行動を支える恨みの深さを
思って、なお翻意を促せるものだろうか。
いや、そもそも、私だけが解放されてどうする?
私自身の身は汚れ、そして、涼を守ることはもはや叶わないというのに。
「どうしたらいいのか、わからないのよ」
しかたなく、私はそんなことを言った。諦めているわけではないが、でも、だからといって……。
「そっか」
涼は興味深げな様子で私のほうを見ている。
私の体をなめるように見ているが、しかし、情欲に燃える目ではない、なにか考えているような……。
私はその目を見て、思いついたことを口にした。
「一つだけ訊かせてほしいの」
「ん?」
「きっかけはなんだったの? あなたを、決意させたのは」
涼は驚いたように身を仰け反らせた。それから照れたように微笑む。
久しぶりに見た、懐かしい笑顔。
「社長にね、言われたんだ」
だが、穏やかな表情とは裏腹に、声は激しい感情に彩られている。
「体も成長して、そろそろ男だというのを隠すのは難しくなりそうだから、いっそ、そのための処置を受けないか、ってね」
「処置?」
肩をすくめ、涼は投げやりに言った。
「ホルモン注射とか、男性器の切除とか、骨を削るとか、そういうの」
「そんな……」
硬直する私を、涼は随分長いこと眺めていたようだったが、結局はなにも言わず、扉を開けて出て行った。
その日、涼はそれ以上、私を嬲ろうとしなかった。
――18日目
ストックホルム症候群。あるいはその対となる、リマ症候群。
監禁状態にある人間が犯人に感化される。あるいは逆に犯人のほうが人質を思いやるようになる。
私たちの関係の変化は、外部の人間が見れば、結局の所、それらの症候群の一症状と判断されることだろう。
だが、果たしてそれだけなのか。
私はベッドに座る涼の股間に顔を埋め、舌と口の奉仕を捧げながら、そんなことを考えていた。
涼は私を殴ったり限界まで性器を痛めつけたりするのをやめ、私は涼のことを甘い声で呼ぶようになった。
それだけを見れば、自分の身を守るために無意識に媚びることを覚えたようにも見えるし、コントロール下にある女に力を誇示する必要がなくなった
ために、優しくあつかうようになったというだけにも見える。
だが、いま感じている情は、本当にそんな防衛本能と支配欲の充足からだけ来ているものなのか。
私たちはいとこ同士だ。
涼が生まれたときから、私たちはお互いを知っている。
そして、これはほとんど確信なのだが涼の初恋の相手は私だろう。一方で、私の初恋もまた涼に対するものだった。
だから、二人の間に絆が蘇るのはありえないことでもない。
もちろん、いまの状況が異常なことは間違いなく、そして、これが恋愛感情とは似て非なるものであることは、私も承知している。
だが、自分の感覚を偽るわけにもいかない。
私は間違いなく涼の愛撫に快楽を感じ、彼のものを受け入れることを心待ちにするようになっていた。
事実、彼のたくましいものを口に含み、舌と口腔の愛撫を加えているいま、私の性器は濡れそぼっている。
思うに、涼の目的がわかってきた時が、一つの転機だったように思う。
涼は、私には執拗に繰り返した性的陵辱を、まなみさんや石川社長には加えていない。当人がそう私に語ったわけではないが、彼女たちに対する
復讐行為について聞く限り、その気配がない。
一方、彼女たちに加えられたような拷問を、私は受けていない。
強姦によって傷つけられたのは事実だが、ペンチやナイフなどの凶器を用いた行為などされていない。
この差はなんだろうか。
一つは、復讐の完遂のためだろう。
何日も何日も監禁し、それにつきあっていてはアイドル活動も出来ないし、次のターゲットを拉致する計画を進めることも出来ない。
だから、出来る限り短い時間で処分する必要があった。
だが、現状、世間的には涼も拉致されたと認知されているはずだ。私に対してはいくらでも時間がある。
そして、もう一つ。
涼は、私を殺した後、というのを考えていないのではないだろうか。
復讐を終えた後で、社会に戻る気があるように思えない。そんなつもりがあると、どうしても思えないのだ。
それ故に、私を拷問することで復讐を遂げることを急がない。もはや行き着く先はわかっているのだから。
結局の所、私と過ごしているこの時間は緩慢な心中に他ならない。
破滅するまでの間、私と戯れ続け、そして、両者共に人知れず死んでいく。それこそが涼の望みだと思えてならないのだ。
そう結論づけたとき、私はそれでもいいと思った。
この子の憎悪と苦悩を最後まで受け止める、それが私の役割だと悟った。
そうして、私は彼を愛しいと思ったのだ。
私は夢中になってキスの雨を降らせていた彼の男根から唇を離し、私の唾液で濡れててらてらと光る亀頭をゆっくりと指でなでながら囁いた。
「ねえ、きて……涼」
濡れた声で私は誘う。
自らの女を無理矢理開かせた男に、再び体の奥深く侵入することを、切なく願う。
そうして荒々しく床に倒され、涼のものが入ってきた時、私は歓喜の声をあげていた。
――24日目
『では、次のニュースです……』
時折、涼の気まぐれで、壁のモニターにテレビ番組が映されることがある。リアルタイムなのかどうかもよくわからないが、外の世界の刺激は私をわずかばかり慰めてくれた。
ただ、もう最近では涼と私の失踪に関するニュースを聞くことはほとんどない。ワイドショーなどでも取りあげられることが無くなっているようだ。
たぶん、警察はこの場所を見つけることなく、捜査は暗礁に乗り上げることだろう。
そのことに、私は複雑な感情を抱いている。
誰かに助けて欲しいという願いはある。だが、これには恐怖もつきまとう。社会復帰など果たして出来るものかという感覚が、この願いを素直に認めようとしない。
もうこのままでいいのだという諦めの気持ちもあった。これは、きっと贖罪の気持ちから。
そして、見つけて欲しくないという薄暗い欲望も心の奥底で蠢いている。涼と私と、二人が交わす情交だけという生活に慣れきって、この鳥籠から出たくないという心情が私の中で生まれているのだ。
見方を変えれば、この生活は実に安穏としている。
放っておいても食事は――しかも涼が腕を振るう美味しいごちそうが――出て来るし、することと言えば、肉の快楽を貪るか、涼とよっかかりあって睦言を語り合うかくらい。疲れれば眠り、自然と目を醒ましては、またお互いを求める。
その繰り返し。
私はもはやなにも考える必要はなく、涼が与えてくれる命令に従えばいい。
どんな恥ずかしいことも、どんないやらしいことも、涼が命じるのだからしかたないと自分に言い訳して、とことんまで追い求められる。
お尻の穴を性器として使い、そこから快感を得ることにももう抵抗はない――どころか進んでそれを求めたいくらいだ――し、涼の精液どころかおしっこを飲ませてもらうのもお仕置きというよりご褒美になっている。
私は彼の与えてくれる喜悦にただただ耽溺していればいい。
この一室は涼が用意してくれた、私のためのディストピアなのだから。
狂っている、と自分でも思う。
でも、それでいいのだ。
もっと狂わないといけない。
あの子の横に立つためには。
「おはよう、律子姉ちゃん」
涼が、満面の笑みを浮かべながら、部屋に入ってきた。彼はじろじろと私の体を眺めやり、そして、頷く。
「そうだな、今日はオナニーから始めようか」
涼の言葉に私は膚を桜色に染めながら、床に座り、恥じらいを込めた動作でゆっくりと脚を広げて行く。
つるつるに剃り上げられ、奴隷の焼き印を入れられた恥丘を服従の証として涼に向けて突き出し、私はそこに指を伸ばす。
さあ、今日も悦楽の一日が始まる。
――30日目
涼に言われてシャワーを浴びると、ベッドの上に服が一揃いあった。
透明な壁の方を見ると、涼の姿はない。厨房にでもいるのだろう。
ともかく、このスーツを着ろという指示だと判断して、それらを身につける。
ブラジャーの締め付けやストッキングのきつさなどもうすっかり忘れていた。そもそも服を身につけるというのは、こんなにも窮屈な行為だったろうか?
最後に眼鏡をかけ、私は自分の姿を見下ろした。
うん、これはこれでいいわね。
「涼? 着たわよ?」
返事はない。忙しくしているのだろうか。私はスーツに皺をよせないよう注意しながらベッドに腰掛け、指示を待った
ストリップだろうか。あるいは、最初に戻ってレイププレイ?
そこまで考えて、苦笑を漏らす。
思考が完全に性行為中心になっている。
だが、それもしかたのないことだろう。なにしろ、セックスする以外はなんでもない話をしているか、涼の手料理を食べているかくらいしかないのだ。
食事も、たとえば犬のように這いつくばって食べさせられたり、時には行為に繋がることだし……。
そこまで考えたところで、扉が音を立てて開き、涼が現れた。私は立ち上がり、微笑みを送る。
だが、彼はなにか脚がふらついているし、顔色も青ざめている。
「どうしたの、顔色悪いわよ?」
「ん。気にしないで。それより、ちょっと話を聞いてくれない?」
「う、うん」
これまでの生活で隷属することが身についている私は、承諾するしかない。いや、むしろそれ以外の事を考えることすら普段はしない。
いま、こうして逆らう可能性を考慮しているのもおかしなことだ。久しぶりに服を着ているからだろうか。
「ありがとう」
涼にお礼を言われ、無条件に体が温かくなる。
「半年くらい前かな。社長から、例のことを言われたんだ」
男性としての特徴が出てきてしまった涼に、女性化を迫った件だろう。石川社長も無茶苦茶なことを言う人だ。もはやその報いは受けたわけだけれど。
「それで、諦めが付いた。色々とね」
「涼……」
「それから、復讐を考えたんだ。これまで稼いだお金があったとはいえ、なかなか大変だったよ。代理人を立てて土地を買って、この建物を建てさせたり、
おびき寄せるために休眠会社を買い取って嘘の仕事や取引を入れたりとか……。まあ、細かい話はいいよね」
涼はなにかを振り払うように手を振って先を続ける。
「ともかく、僕は復讐の計画を立てた。その対象は四人」
四人? 石川社長、まなみさん、それに私。三人まではわかるが、もう一人は?
「僕だよ、律子姉ちゃん」
私の疑問が伝わったのだろう。涼は自嘲の表情でそう言った。
「涼、自身?」
「そう、僕だよ。なにも出来なかった僕。ファンのためと自分に言い聞かせて女性であることを続けた僕。何者にもなれなかった僕」
涼はぐっと奥歯を噛みしめたようだった。
「僕は、『秋月涼』を殺したかった」
その一言を言うために、どれだけの力を費やしたのか。彼は疲れ切ったように、はあ、と大きく息を吐いた。
「僕は、律子姉ちゃんと一緒に始末するつもりだったんだよ。僕をね」
やっぱり。予想通りだ。
「心中ね」
「ああ、うん。……もしかして、わかってた?」
涼は意外そうに顔を歪めた。私が頷くのに、彼は思ってもみなかったことのように目を見張っていた。
「ええ。こうなったらしかたないもの」
ああ、そうか、と私は思った。
わざわざスーツを着せた意味を悟ったのだ。
「それで、どうするの?」
「え?」
「死出の衣装に、服を着せてくれたんでしょう?」
驚いたように言う涼に、私はかえって不思議がりながら訊ねる。
「ああ、いや……。って、律子姉ちゃん、抵抗ないの?」
「今更じゃない。つきあうわよ」
出来れば、あまり苦しくないのがいいが、贅沢は言っていられないだろう。穏やかに、というと、お酒でも飲んで二人で手首を切るのが一番だろうか。
「……ごめん」
「ううん。だって、私にも……」
「違うんだ」
涼は私の言葉を遮り、シャツのボタンを外し始める。
あれ? 死ぬのは今日じゃあないのかな?
「つきあわせられない」
「え?」
私は驚きに立ち尽くす。涼のはだけたシャツの向こうに、赤い色が見えた。
シャツの下にきつく巻いていたらしい布をべっとりと濡らす赤茶けた液体。しみ出る先は、どれほどの量のそれが溢れているのか。
蔭腹、という単語が頭をよぎる。
「律子姉ちゃんは生きるんだ」
血に濡れるお腹に目をやっていた私は、涼がいつの間にナイフを手にしていたか、まったくわからなかった。
私が気づいた時にはそれは既に涼の喉元にあり、ためらいのない動きで一気に喉をかききるところであった。
鮮血が宙に舞う。
「いやーーーーーーーーーーーーっ!」
絶叫する私の頬を、大粒の涙が滑り落ちていった。
エピローグ
病室は随分前から沈黙に支配されていた。
けして不穏な沈黙というわけではないが、緊張感は常に存在していた。
「プロデューサー」
この部屋の主――入院患者である秋月律子が半身を起こし、しゃりしゃりとリンゴの皮をむいている男に声をかける。
「876プロのほうはどうです?」
「絵理ちゃんと愛ちゃんは765に移籍することになった。尾崎さんもフリーの立場は維持するが、765を手伝ってくれることになってる。876は潰れる」
「そうですか……」
「幸い、報道は沈静化しているよ。まあ、もう二月経つからな」
再び沈黙。
律子は窓の外を眺める。
リンゴをむき終えて顔をあげたプロデューサーの視線がその愁いを帯びた横顔に引き寄せられ、どうやっても引きはがせなくなる。
彼女は美しかった。
一月に渡る監禁生活のために筋肉が落ち、以前のような快活な雰囲気は無くなってしまったが、そのことが儚さを醸しだし、何とも言えない艶を
生み出している。
「私、やっぱり産む事にします」
ふと顔を戻した律子がなんでもないことのように、そう宣言する。プロデューサーは俯くしかなかった。
律子の瞳に光る決意の色を見たくなかったがために。
「……決心は変わらないか」
「はい。だから、婚約は解消して下さい。慰謝料が必要ならお支払いします」
「ばか。そんなものいらないよ」
さすがに苦笑して顔をあげる。
そのまま視線を上げ、天井を睨みつけた。
「涼くんへの同情か?」
「いえ」
律子は軽く首を振って、その口元に笑みを刻む。柔らかく、そして、断固たる笑み。
「涼に言われたんです。生きろ、って」
「お腹の子も含めてだと思うわけか」
「はい」
プロデューサーはそこでようやくのように顔を戻した。律子の視線と彼のそれが絡み合う。
「わかった」
立ち上がり、背を向けたところで、じゃあなと手を挙げる。
その背に向けて、律子は言った。
「さようなら」
その瞳に、涙の影はなかった。
(終)
そんなわけで、個人的にはりゅんりゅん♪エンドよりきついだろうと思う涼のBエンドを書いてみました。
これもりょうりつになるんでしょうかね。
短いですが、おつきあいありがとうございました。
08:15│秋月律子