2014年07月12日
渋谷凛「ガラスの靴」
「……ただいま」
「お帰り。ほれ、タオル。メールすりゃ迎えに行ったのに」
「コンビニまでそんなに距離無いし、走れば大丈夫かと思ったんだけど」
プロデューサーから手渡されたタオルを頭に被る。
ちょっとアイスを買いに行くだけのつもりだったけど、急に降り出した雨にやられてしまった。
「なんか悪いな凛。シャワー浴びた方がいいんじゃないか? 風邪引くぞ?」
「そうする。あ、奈緒、これ冷凍庫に入れといて」
「あいよ」
「加蓮、着替え出しといてやってくれ。それと凛、総選挙一位おめでとう」
「ありがと。…………えっ?」
髪を拭く手を止める。
何となしに返事をしちゃったけど、今とんでもない事を言われた気がする。
「え、あの、いま」
「ん? いや、だから、」
SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1404552719
「おめでとう。三代目シンデレラガールだ、凛」
六月も半ばの、梅雨の日の事。
コンビニでアイスを買った帰りに、私はシンデレラになってしまった。
「「ええぇーーーーっ!!」」
私を挟んで、奈緒と加蓮が叫ぶ。
「ま、マジかよPさん!? ホントに一位なのか!」
「ホントだホント。嘘なんか吐くか」
「すごいよ凛! いつも頑張ってたし、一位……も……」
抱き着いてきた加蓮が、驚いたように私の顔を見つめる。
「……? どうしたの、加蓮」
「凛、それ……」
ぽた、ぽた。
あれ、まだ拭き足りなかったかな。雨粒が、目元から滴っ、て……
「あ、れ……」
ぽた、ぽたり。
「あの、ちがっ、雨、濡れたから……」
止まらない。
だめだ、プロデューサーの前なのに。嬉しさは言葉で伝えなきゃいけないのに。
「あ、あー! 風邪引いちゃマズいし、シャワー浴びよう、凛! な!」
「……おう、早く浴びてこい。加蓮、ちょっと」
奈緒がぐいぐいと私の背中を押す。
気を遣ってくれたんだろう、泣いちゃう私なんかよりよっぽどリーダーに向いてるんじゃないかな。
奈緒は大人だ。本人に言うと、照れてそっぽを向くんだろうけどね。
――――――――――――――――――――
「お、着替えたな。まぁ座ってくれ」
お湯を浴びたら、だいぶ落ち着いてきた。
加蓮と奈緒に手招きされて、ソファーに座る。
「改めておめでとう、凛。ハーゲンダッツ買ってきてもらえばよかったな」
「ん、ありがと……ふふ、どっちにしろ私が行くんだ」
ほい、とスーパーカップを手渡される。
抹茶味が火照った喉に優しく染みる。この単純な味は嫌いじゃない、ちょっと多いけど。
「……ねぇ奈緒。二人ともちょっとあっさりし過ぎだと思わない?」
「だよなぁ……Pさん、もうちょっとこうさ、ムードを考えろよ。唐突過ぎるだろ」
「ねー、それだから誰かさんに鈍感とか言われるんだよ」
「加蓮、ちょっと静かにしようか」
にやにやと笑いながら、加蓮が舌を出す。
貴女もプロデューサー大好きな癖に。後で覚悟しとくがいい。
「いや、もちろん発表会とかはちゃんとやるぞ。速報値で確定しちゃったから、凛も早く知りたいかと思ってな」
「そんなに票取ってたのか?」
「ぶっちぎりとまではいかないが、最終的には二位に何万票か差を付けるんじゃないか」
「うわぉ」
「というわけで、凛はこれからしばらく撮影やらなんやらでちょっと忙しくなるから」
「はいはい、早めに返してねー」
「私は物じゃないから」
「シンデレラでしょ? 分かってますって」
「うん、分かった。日程とかは?」
「あー、詳しいスケジュールは追ってメールするよ。今日はとりあえず報告だけ」
「今日はこれで終わり? なら服が乾くまで時間あるし、どっかお祝いいこーよ!」
「いいな。あ、卯月と未央も呼ぼうか。いいだろPさん」
「あぁ、ユニットだしな。まだ他の子には話すなよ」
「分かってるって。凛、服乾くまで店決めとこう」
「ふふ……ありがと」
未央と卯月か。未央は抱き着いてきそうだし、卯月はなんか泣き出しそうな気がする。
……うん、まぁ、悪くないかな。
「で、Pさんは?」
「ん?」
「見事シンデレラガールにまで輝いた凛にご褒美とか無いの? 夜景の見えるレストランでディナーとか」
「ちょ、加蓮」
何を言い出すのだコイツは。
……いや確かにそりゃ、ご褒美は欲しいけど。
「それもそうだな。凛、それでいいか?」
「……え? それ、って?」
「いや、だからご褒美はディナーで良いかって。とびきり良い店に連れてってやるぞ」
「……うん、それで……ううん、それがいい、うん」
ありがとう加蓮。やっぱり貴女は私の親友だね。
「じゃあ撮影の夜は予定空けといてくれ。……凛、聞いてるか」
「うん、大丈夫だいじょうぶ。ふふ……」
「あー……Pさん、心配無いから。そっとしといてやってくれ」
「? おう」
その後やって来た卯月と未央に、開口一番「しぶりん、ニヤニヤしてどしたの」と言われた。
失礼な。ニヤついてなんかない。そう言い返すと、加蓮に手鏡を渡された。
……やっぱり加蓮なんて嫌いだ。
――――――――――――――――――――
「ハイ、オッケーでーす。休憩入ってくださーい」
「……ふぅ」
シンデレラガールの撮影はちょっと長引いていた。
いつにも増してスタッフさんも気合が入っているのが伝わってきて、こちらも負けてはいられない。
少しの間緊張を解いて、撮影用の透明な手摺に寄り掛かる……ちょっと怖い。
「……あ」
「お疲れ。結構掛かってるみたいだな。熱気が伝わってくるよ」
プロデューサーがやって来た。今日は加蓮と奈緒の収録があった筈だけど……
いけないいけない。この後の事を意識すると、つい頬が緩みそうになる。気を付けないと。
「いやな、付いて行ったのはいいが、二人に『大丈夫だから早く凛の所へ行け』って」
「ふふ……」
ありがとう、二人とも。今度ハナコを思う存分モフモフさせてあげよう。
「凛の撮影に付き添うのも久々だな。凛なら心配無いと思ってつい任せがちになっちまう」
「それだけ信じてくれてるって事だよね。でも、たまには顔出してほしいかな」
「おう」
寂しいし。
そう言い足そうか逡巡して、結局いつも通り言い出せないまま。
これだから凛は、と意地悪く笑う加蓮の顔が浮かぶ。自分でもよくないとは思ってるんだけどね……
「靴の方はどうだ、キツかったりしないか? お姫様」
「姫…………」
「凛? おーい」
「……あ、うん。大丈夫。ぴったりだよ」
足元を見れば、照明を受けてキラキラと輝くガラスの靴。
お世辞にも履き心地が良いとは言えないけど、心は羽根のように軽くなる。
……まぁ、やっぱり憧れだったし。ちょっと浮足立ってしまうのも仕方ない、うん。
「壊れないように気を付けなきゃならないけどね」
「やっぱ大変か?」
「うーん、元々ちょっと重めだし、歩き回ろうとは思わないから心配無いと思うよ」
愛梨も蘭子も履けなかった物を履いていると思うと、ちょっと申し訳無い気持ちになる。
シンデレラガールの名前に傷を付けないよう、万が一にも壊すわけにはいかないな。
「…………」
「プロデューサー?」
「綺麗になったな、凛」
「え……」
「いや、バレンタインの時も可愛くて良かったが、やっぱり凛は綺麗系の方が好きだなと思ってな」
「…………ふ、ふーん……?」
ヤバい。嬉し過ぎてニヤけそう。
私に尻尾が無くて本当によかった。あったら間違い無くぶんぶん振り回してると思う。
冷静に、冷静に。
「なら、舞踏会に連れてってくれてもいいんだよ?」
「いやー、レストランで勘弁してくれ」
「うん、楽しみにしてるから」
「そろそろ撮影再開しまーす!」
「っと……すまんな休憩中だったのに」
「ううん。気が張ってたし、良いリラックスになったよ」
「なら良かったんだが……じゃ、ちょっと挨拶周りしてくる。撮影終わったら控室で待ってるから」
そう言ってスタジオを出るプロデューサーの背中を見送る。
「……ふふ、綺麗になった、か」
形勢はそこまで悪くもないようだ。
「……よしっ!」
これはいっそう気合を入れて撮影に臨まなきゃね。
――――――――――――――――――――
控室のドアを開けると、プロデューサーが既に待っていてくれた。
「お疲れ、凛。どうだった?」
「ただいま。良いのが撮れたんじゃないかな、ちょっと延びちゃったけど」
「店には連絡してあるから問題無いぞ。凛、これを」
プロデューサーから箱を手渡される。けっこう軽い。
「お祝いのプレゼント。着替えたばっかりで悪いが、それに着替えてくれ。ドレスコードってやつだ」
「ん、そんな良いお店なの」
「それだけ凛が努力したって事さ。さて、俺も着替えなきゃな」
車で待ってるぞ、と言い残してプロデューサーが部屋を出る。
早速箱を開けると、思わず驚いてしまった。
「綺麗……」
深い蒼のドレスと、揃いのヒール。
服にそこまで詳しくない私でも、仕立ての良さが一目で分かる。
……ちょっとプロデューサーの懐が心配になってきた。
「悪くない、なんて言えないね、これじゃ」
――――――――――――――――――――
「似合ってるぞ、流石はシンデレラ」
履き慣れないヒールに苦労しながら駐車場に辿り着く。
プロデューサーもいつもよりどことなくピシッとしている気がする。
「……プロデューサーの方は、なんか地味だね」
「これでも一張羅なんだけどなぁ……凛と比べられちゃあ仕方無いな」
困ったように笑うプロデューサー。
あぁ、まただ。その格好も素敵だよ、なんて言えたらいいのに、言えない。
「さ、遅くなっても悪いし、急いで安全運転で行くぞ」
「難しそうだね」
「そこがプロデューサーの辛いところでな」
乗るのは馬車……じゃなくて、いつもの社用車。
ちょっとくたびれているけど、今日はどこもかしこもピカピカに磨かれていた。
「大変そうだね、プロデューサーって」
「ああ、けど楽しいぞ。アイドルもそうじゃないか?」
「うん、すごく楽しい。……将来はプロデューサーになってみようかな」
「こりゃ大型新人だなぁ」
そんな他愛も無い会話をしている内に、目的地へ辿り着く。
車から降りるとビルのてっぺんは遥か空へと伸びていて、見上げると首が痛くなる高さだった。
「……高いし、高そうだね」
「楓さんみたいだな……確かに高そうだ」
エレベーターに乗り、展望レストランの階へ上っていく。
階数表示は今まで見た事ないくらい大きい。事務所を十個重ねても届かなそうだ。
「来た事あるんじゃないの?」
「いや、今日が初めてだ。……実は、藤原さんの担当Pが教えてくれた店でな」
「肇の……あぁ、そういえば」
肇がヒロインを演じた映画が公開された時、そんな話をしたような覚えがあった。
やたらに上機嫌で「高い所が好きになりました」なんて言ってたっけ。
「あの人は藤原さんに対して……なんというか、過保護だからな」
「肇は本当に良い娘だからね……というか、加蓮も担当してる人がそれを言う?」
「いやほら、加蓮は色々と心配だし、放っとけん」
「はぁ……ほら、もう着くよ」
エレベーターのドアが開くと、店員さんが手を組んで待ち構えていた。
「予約していた渋谷です、遅れて申し訳無い」
「いえいえ、お待ちしておりました。こちらへどうぞ」
窓際の席に案内される。
椅子に座ると、そこからは都内の夜景が一望出来て……確かに高いね、これは。
「お飲み物を」
「ありがとうございます」
「ありがとうございます……ん、これって」
いわゆるカクテルグラスというやつだろうか。
薄い青で満たされたそれが二つ運ばれてきて、私とプロデューサーの前に置かれる。
「思ってる通り、凛の方はお酒だ。あぁ、俺の方はアルコール抜いてもらってるからな」
飲酒運転はしないぞ、とプロデューサーが笑う。
いや、それもあるけれど、そうじゃなくて。
「私、未成年だけど」
「来年はもう十八になるんだろう? 予行演習みたいなもんさ」
「お酒は二十歳からだし、まだ十七になったばかりだよ……いいの? アイドルがお酒なんて」
「ちゃんと秘密は守ってくれる店だし、凛は自制出来るから大丈夫だ。今日だけだぞ? さぁ、グラスを」
そこまで言うなら、まぁたまにはいいか。
零れないように気を付けながら、カクテルグラスを持ち上げる。
「シンデレラに」
「…………か、乾杯」
不意打ちで赤くなった顔を誤魔化そうと、打ち鳴らしたグラスを急いで口に運ぶ。
クランベリーと、ちょっと強めのアルコールの香り。
「ん……ちょっと私にはきついかな」
「あぁ、すまん。無理して飲む必要は無いからな。こっちと変えるか?」
プロデューサーが自分のグラスを差し出す。
……あれ、これってチャンスだよね? ど、どうしよう。素知らぬ顔で交換するべき?
いやでも心の準備がまだ……
「はは、でもよかったよ。凛は大人びてるからなぁ、子供っぽい一面も見れて安心した」
「…………」
くい、と一息にグラスを傾ける。
喉がかぁっと熱くなる感覚を飲み込んで、呆気にとられたプロデューサーの顔をきっと見据える。
「……すみません、強めのものをもう一杯もらえますか」
「あー……凛、俺が悪かった、謝るよ。でも酒はそんな風飲んじゃダメだ、いいな」
「ふん。子供だからわからないよ」
「りーん……」
店員さんが苦笑しながら、私のグラスに同じカクテルを注ぐ。
ま、私は大人だからこの辺で許してあげるよ、女の意地も分からない馬鹿プロデューサー。
「……十七か。たった二年足らずでここまで来るとはなぁ」
「プロデューサーのお陰だよ。最初から今までずっと面倒みてくれたしね」
「あぁ、最初に会った時思ったよ。こりゃトップアイドルになるな、って。どうやら間違ってなさそうだ」
「ふふ、プロデューサーの夢も叶えてあげなくちゃね」
「当面の目標は愛梨や蘭子だな。奈緒も加蓮も実力をどんどん付けてきてるし、うかうかしてられないぞ?」
「そうだね……」
プロデューサーに言われて、改めて実感した。まだまだ私は本当のシンデレラなんかじゃないって。
うん、トップアイドルに、本物のシンデレラになれたら……その時は、ちゃんと伝えられる気がする。
「また、レッスン頑張らないとね」
「おう、俺も頑張らなきゃな……明日から。今日ぐらいは許してくれよ」
二人で笑い合うと、前菜が運ばれてきた。
まぁ、今日ぐらいは全部忘れて楽しんだって、バチは当たらないでしょ?
私、もっと頑張るから。お願い、シンデレラ。……なんてね。
――――――――――――――――――――
「すっかり遅くなっちまったな、すまん」
「いや、すごく楽しかったよ。また連れてってね」
「……うーん、これからの俺達の頑張り次第かなぁ」
夢みたいな時間は、あっという間に終わりを告げて。
気付けばもうじき日を跨ごうかという頃に差し掛かっていた。
「悪いが、ちょっと事務所に寄らせてくれ。親御さんには連絡しとくから」
「わかった。……流石にそろそろ眠いや」
「そうか、じゃあ目を覚ましてやろう。後ろの席に箱があるだろ」
言われて振り向く。バッグや箱やらが何個か積み重なっている。
「……プロデューサー、たまには整理しようよ。どの箱?」
「あぁ、一番上の黒いやつだ」
「これね……よっ、と…………え?」
何気無く開いた箱の中にあったのは、とっても見覚えのある物。
「ガラスの靴……」
「俺からはドレス、そっちは事務所からのプレゼントだな」
「で、でも、いいの? 貰っちゃっても」
「凛の足に合わせて作った物だし、愛梨や蘭子もそうだったろ。素直に受け取ってくれ」
表彰式の後、蘭子が杖を抱えて一日中ニコニコしてたっけ……
ちょっと羨ましかったけど、まさか次ぐことになるなんてその時は思ってもみなかったな。
「宝物にするよ。ずっとずっと、大切にする」
「そうしてくれると嬉しいね……あー、一つ言い忘れてたんだが」
「何?」
「実はその靴、ガラスじゃなくて樹脂……アクリルで出来てるんだ。凛が足に怪我でもしたら大変だからな」
「……なんだ、私にぴったりだね」
「え?」
「ううん、何でも無い。ほら、事務所に着くよ」
仮初のシンデレラなら、アクリルの靴で丁度良い。
いつか本物になれたら……その時は、どこかの魔法使いさんに誂えてもらおうかな。
「じゃ、書類取ってくるだけだから。ちょっと待っててくれ」
車を後にして、プロデューサーが事務所へと上っていく。
誰も居ないんだろう事務所は真っ暗だ。日付が変わっちゃったし、無理もないか。
「…………」
十二時過ぎ。
「……これは」
とても良い考えが浮かんでしまった気がする。
事務所の窓をちらりと見れば、ちょうど明かりがつくところだった。迷っている時間は無い。
「よいしょ……っと」
こっそりと車外へ出て、トランクを開く。
ごちゃごちゃと積んであるアレやコレやを掻き分けて、壊れないよう、一番奥にそうっと箱を置いた。
「……よし」
車の中に戻り、後ろの席から似たような箱を手元に引き寄せる。
……この暗さなら、多分バレない筈。後でこの箱もこっそり返さないと。
後は大人しく座って、何事も無かったようにプロデューサーを待った。
――――――――――――――――――――
「今日は遅くまで連れ回して悪かったな。ゆっくり休んでくれよ」
「ありがと。おやすみ、プロデューサー」
「おやすみ、凛」
『忘れ物』を乗せたまま、車が走り去っていく。
「……ふふっ」
馬車ではなくて、社用車で。
ガラスじゃなくて、アクリルで。
本物じゃなくて、仮初で。
けれど、今の私ではこれが精一杯で。
「本番は、しばらくお預けだね」
けれど今の私には、きっとそれぐらいが丁度良いんだ。
「ただいま。お母さん」
「お帰り、凛……あら、ずいぶん素敵な服じゃない。羨ましいわぁ」
「…………あっ」
しまった、ドレスのままだった。というか、服を車に忘れちゃった……
その後、母に散々プロデューサーとの事をからかわれ、たまらずハナコを抱えて部屋へと逃げ込んだ。
慌てて服を忘れてきちゃうなんて……
「……案外、私ってシンデレラっぽいのかな、ハナコ」
「くぅん?」
首を傾げて、ハナコは眠たげに目を閉じた。
――――――――――――――――――――
「おはようございます」
「おはようございます、凛さん」
事務所に着くと、肇に会った。奈緒と加蓮はまだ来てないみたいだ。
「早いね、肇。今日はレッスン?」
「はい。オーディションも近いので、早めに準備しようかと」
そう言って、手に持った台本を掲げる。
……まさか全部読ませるわけじゃないだろうけど、なかなか大変そうなオーディションだ。
「今度はドラマだっけ。ふふ、最近調子良いみたいだね」
「凛さんに言われてしまうと照れますね……そういえば、この前はいかがでした?」
「ん?」
「レストランに連れて行ってもらったと聞きましたが」
あぁ、肇の担当Pさんの紹介だったっけ。
「すごく良い所だったよ。夜景も綺麗で」
「それは良かったですね。……それで、お返事は何と?」
「返事?」
「やはり気になってしまいまして……もちろん他の皆には内緒にしておきますから」
「……何の?」
「えっ」
しばらく考え込んだ後、見る間に肇の顔が紅葉のように染まっていく。
「いえ、すみません、私の勘違いでした。忘れてください」
「ふーん? ……あ、そうだ肇」
「何でしょう」
「……その話、今度聞かせてね。じっくりと」
「あ、あはは……」
なるほど。……なるほど。
「……えー、いいじゃん連れてってよー!」
「いいぞ。次の総選挙一位だったらな」
「く……足元見やがって」
「お前らにはてっぺんを目指してほしいからな……おはよう、凛。藤原さん」
加蓮と奈緒を引き連れてプロデューサーがやって来た。
二人ともなんだか不満げな顔だ。
「……どこか行くの」
「え? あー、いや……」
「私達もあの店に連れてけー、とさ。全く……リーダーからも何か言ってやれ」
「加蓮、奈緒」
加蓮が口笛を吹いて目を逸らし、奈緒がその後ろに隠れる。
まったく、もう。
「ふふ……三人とも、仲が良いんですね」
「藤原さんぐらい出来た娘だともっと嬉しいんだけどなぁ……そうだ、凛」
プロデューサーが机の上にあった封筒を持ち上げ、封を紐解く。
「この前のピンナップ、上がったから見ておくといい」
「え、シンデレラの時の? 見たい見たい!」
「なんで加蓮が張り切ってるんだよ……」
テーブルの上に広げられた数枚の写真をみんなで覗き込む。
……あれ?
「……綺麗ですね」
「おー、いいじゃんか。決まってるな」
「……この写真で合ってるの? 撮影は階段を中心にした筈なんだけど」
「合ってるぞ。カメラさんからも傑作だと太鼓判を押されたしな」
写真に写っていたのは、柵に寄り掛かる私。
しかも表情を見るに、本番中に撮った方じゃなくて休憩中の時みたいだ。
「良い写真だと思うよ。というか……色っぽい?」
「い、色っ……」
「ははは、俺も良い顔してると思うぞ。準備してくるから、三人も藤原さんもくつろいでてくれ」
「はーい」
プロデューサーが部屋を出ると、奈緒と加蓮がにやりと笑ってこちらを見る。
「いやー、うん。いい表情だねー凛」
「おう。これぞ恋する乙女って感じだ。誰かさんもイチコロだな!」
「凛、いったい誰を見つめてるんだろうねー?」
……こ、こいつら。
人が……いや乙女が黙ってればいい気になりおって。
「はぁ。今からでも替えてもらえないかなぁ。……足元見えないし」
「足元見る? さっきの話か?」
「……ううん、こっちの話」
ま、いいか。プロデューサーのお墨付きだし。
「お待たせー。あ、凛」
「何? プロデュー……サ…………」
…………待って、ちょっと待ってほしい。
全身を冷や汗が伝う。不思議そうにこちらを見つめる肇に反応する余裕も無い。
……なんで、その箱を持ってるの、プロデューサー…………?
「あ……あ、」
「ほら、ガラスの……じゃなかったな。シンデレラの時の靴。大切にするって言ってたろうに」
固まったままの私の腕に、プロデューサーが箱を乗せる。
「ちょっと失礼しますね」
不思議そうに私を見つめていた肇が、横から蓋を開く。
……止める余力など、私には残されていなかった。
「わぁ……ガラスの靴。とても素敵ですね」
「だろう? 凛に言われて車の整理したら出てきてな。忘れずに大事にしてくれよ、凛」
あの時荷物の整理を提案した私をビンタしに行きたい。
「……あぁ、なるほどなぁ」
「……へぇ、凛が『忘れ物』ねぇ」
二人が事態を理解してしまった。もう顔を上げられない。
見なくても分かる。これまで聞いたことも無いぐらいにふたりの声は弾んでいた。
「いやぁ、しっかり者で頼れるリーダーの凛でも忘れ物しちゃう事ってあるんだなぁ」
「そういうお茶目なところも凛の魅力だよ、奈緒。あ、どっちかっていうと乙女かな?」
楽しそうに、それはもう心の底から楽しんでいるみたいに、二人の交わす言葉が頭上を往復する。
顔を覆う両手が、伝わる熱でどんどん熱くなってくる。
「忘れ物しちゃうなんて、どこかのシンデレラみたいだね!」
「おいおい加蓮、凛はシンデレラになったばっかじゃんかー」
「あー、そうだったねー! あれ、ところでシンデレラってどこに靴を忘れていっちゃったんだっけ?」
「んーと、どうだったっけなぁ。Pさん、どこだったっけ?」
「急にどうしたお前ら……そりゃ、舞踏会の帰りに宮殿の…………あ」
びくりと体が震える。
最悪だ。よりにもよってこの二人の前なんて。
油断してた。まさか、本番がこんなに早く回ってくるなんて思わないじゃない!
「…………あー、凛。その…………そういう事、なのか?」
「それじゃPさんアタシ達先行ってるからじゃーな」
「また後でね凛今度じっくり話聞くから逃げたら承知しないよ」
煽るだけ煽った挙句、二人が脱兎の如く事務所を出て行った。
二人とも、後で泣かせる。絶対泣かす。
「……は、はじめ…………」
「レッスンの時間なので、お先に失礼しますね。そうそう、言いそびれてましたが、シンデレラガールおめでとうございます」
最後の頼みの綱がぶつりと切れて、事務所からふわふわと飛んでいった。
信じてたのに。今度絶対根掘り葉掘り話を聞いてやる。
「凛、俺は……」
「…………プロデューサー」
「凛、俺は、」
「…………プロデューサー」
顔を上げて、プロデューサーを見つめる。
真っ赤だって分かってる。口が乾いて、喉が震えてる。
それでもいま、言わなくちゃいけないんだ。
だからどうか、今だけでいい。少しでもいい。
貴女の勇気を私に貸して。
「あのね、私…………」
――お願い、シンデレラ!
おわり
サンクス 参考になるよ
21:30│渋谷凛